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猫舌改造計画

「猫舌だよね」と最初に言ってきたのは夫だと思う。「思う」というのは、その前に誰かに何度か言われた記憶があるけど、その人物を思い出そうとすると顔は目や鼻がなくのっぺらぼうだし、性別も名前も年齢も人格も記憶の彼方にあって思い出せない。だから今、私の記憶にある人物の中で一番最初に言ってきたのは夫、ということになっている。

夫は夫なので毎日一緒に暮らしてるし、出会ってからの年数を数えると頻繁に顔を合わせている関係だけど、だからこそ私の猫舌具合をよく見ているので、その度に「猫舌だよね」と言う。私は猫舌。熱いものを口に入れるとハフハフしちゃうし、舌を火傷して翌日の夕方まで痛いこともある。何度も言われると自覚する。これは猫舌だ。

先週、夫と下北沢でランチに韓国料理を食べに行った。夫はお肉が鉄板でジュージューしてるランチ、私は石焼ビビンバにした。ごはんの上にお肉にナムルに卵、辛いものは少し苦手だからコチュジャンは少なめに入れる。ビビンバは好きだけど石焼じゃないビビンバは普通だ。だってカリカリのおこげができないから、おこげがないビビンバはどう考えても魅力が半減する。

店主がテーブルの上に、夫が頼んだジュージューのお肉と、私が頼んだ石焼ビビンバを置いた。店主の着ていた服はBTSのTシャツだった。私はユンギが好きだけど、店主には内緒だし、好きなものを宣言する関係性はなかった。
店主がテーブルを離れたと同時に、左手にビビンバスプーン、右手にビビンバスプーンを持ち目の前のビビンバに立ち向かう。まず卵を崩し底からすくうようにしてかき混ぜる。ナムルもお肉も混ざったところでコチュジャンを入れ忘れたことに気づいてちょっと入れる。コチュジャンはいつも忘れるから毎回、途中参加だ。湯気が立って鼻腔をくすぐり、目の前の夫がお肉を口に運んでいても私は混ぜ続ける。ある程度まざった所で、石焼の器に沿うようにご飯をペタペタつける。スプーンを置き、甘ったるい梨ジュースを飲んで少し休憩する。ちょっとだけ汗をかく。

待ったところで器から少しだけご飯を剥がしてみる。ナムルに汚れた白いご飯が茶色くなって「焦げてますよ」と言っている。私はその焦げをスプーンでガリガリと剥がして、他のご飯と混ぜる。混ぜて混ぜて混ぜてようやく実食。まだ湯気が立ち続けているご飯を口に入れる。熱い。噛めない。飲みこめない。でもお腹が空いてるから早く胃に流したい。少し口を開けて外に空気を吐き出す。それでもご飯は冷えることなく口の中で大火かと思える温度を存分に発している。スプーンを置く。今日も完全に負けだ。そして夫はまた同じこと言う。

「猫舌だよね」

夫は箸を伸ばし、私のビビンバを熱さなど物怖じせず口に放り込み「美味しい」と言った。私の舌はピリピリしっぱなしだ。

「ふーふーってすればいいんだよ」
「ふーふーってすると変な顔になるから嫌だ」
「やってみて」

スプーンを右手に持ち、夫の前で「ふーふー」っとやってみた。夫は吹き出して「変な顔だね」と言った。私のふーふーは口からだけではなく、何故か鼻息も一緒に出る。自分の「ふーふー」の顔は見たことがないけど、なんとなく変な顔になっていることは分かるのだ。結局、ビビンバには惨敗し、人の倍以上をかけて食べ終え、帰り道は舌が痛くてたまらなかった。

ご飯を食べる度に少し傷つくのは悲しい。家に帰ってから猫舌を治す方法をインターネットで調べた。すると、舌の感度に差異はなく舌の使い方が下手な事に原因があるらしいということが分かった。猫舌ではない人は、熱さを感じる舌先をうまく下の歯に押し当て隠すから、熱いものを食べられる。そんなこと誰が教えてくれるのだろう。私は知らなかった。
パソコンの前で舌先を下の歯に押し当ててみた。でも口が半分ぐらいしか開かない。鼻の穴も膨らんでる。きっとふーふーより酷い顔をしている予感がした。この顔でご飯を食べたらきっと夫は「変な顔だね」ってまた笑うだろう。それでも今度試してみようと思う。





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