進撃〔巨人学解釈〕【いってらっしゃいエレン】
『進撃の巨人』を
知りうる既存の考察とちがう観点から
考える試みです。
「いってらっしゃい、エレン」
通称「いてエレ」について。
(自分の今の考えを記録しとく用でもあります)
【結論】この流れです。
⑴二千年の呪縛から解放を求める始祖ユミル
↓
⑵自分を解放してくれるのがミカサであり、その対象がエレンであると知る
↓
⑶エレンは「進撃の巨人」を継承するので、
継承前の幼少期エレンに自分を解放することになる「結末」の記憶を送り、導いていく
↓
⑷エレンの「進撃の巨人」継承後は
ミカサの頭を通じて間接的に随時確認
↓
⑸無事「結末」を迎え開放されたユミルは、
時間の概念がない「道」を通じて
「同時に存在する」1巻の木の下で眠るエレンにこの記憶を送る、
解放の「結末」が成り立つように。
では始めます
【Contents】
❶「何者にも従うことはなかった」
❷同一円上
❸“進撃”継承前に見た未来の記憶
《補足①》
【“進撃”前のエレンへ】
❹壁がない
《補足②》
海外版の「いてエレ」翻訳
❺結論
《補足③》
後天的自由
❶「何者にも従うことはなかった」
まず、今回の説の前提として。
予てより「進撃の巨人」の能力者は、
王に抗うため、
「何者にも従うことはなかった」
王家の人間や、始祖ユミルでも、
何者にも従うことはなかった
「進撃の能力者」へは、
記憶の干渉や頭の中を覗いたり等はできない。
→だから「進撃」を継承したあとのエレンには、
始祖ユミルは直接干渉できず
ミカサの頭を通して覗き、
間接的にエレンを確認
することしかできなかった。
これを前提に話します。
❷同一円上
「道の世界」では、
現実世界の時間軸・時系列で起きたことが
全て同時に存在する。
「過去も未来もない、時間の概念がない
“道の世界”」
その上で、
34巻にあるこの始祖ユミルが解放された場面。
ユミルは、
このとき初めて
「いてエレ結末シーン」を目撃し、
二千年の呪縛から解放されたが、
「同一円上」に存在する単行本1巻の
木の下で眠るエレンにも、
この「結末シーン」の記憶を送った。
それが第1巻の「いてエレ」
「進撃の巨人」を継承する前の
「記憶を送れる状態」のエレンに送り、
自分を解放してくれるこの「結末」に
無事辿り着く為に。
そうすることにより
34巻の「結末」も成り立つ、
ぐるぐると回っているんじゃないかなと。
❸ “進撃”継承前に見た
未来の記憶
アニオリではあるが、
アニメ第1話「いてエレ」直前、
「進撃の巨人」を継承する前のエレンが
木の下で「母親が食われる未来」
を見ている。
これも同様に
始祖ユミルが送った記憶
だと考えている。
《始祖ユミルの目的とは・・・》
自分がフリッツ王の支配から解放されること。
その為の「(34巻の)結末」に導くこと。
そこに辿り着く為にすること・記憶を
エレンになるべく見せて、
無意識中に・本能的に「結末」へ向けて
動くようにすること。
(二千年前から探していた、自分を解放してくれる人がミカサだと思った。
その解放の対象となる人物がエレンであることも分かった為、エレンに記憶を送っていた。)
《補足①》
【“進撃”前のエレンへ】
同様に、ユミルが
「進撃」継承前のエレンに
記憶送った例は、他にも。
このシーンの場合、
服を介している「間接的な接触」の為、
始祖や進撃を持つグリシャとの「接触」により記憶が開いたのではない。
※「道に繋がる」・「記憶が開く」手段の
一つの「物理的に人同士が接触」して
力が発動する時は、
「服を介さない素肌同士の接触に限る」
と考えている。
なのでこれは、
→「進撃」継承前の
記憶関与可能な状態のエレンに、
「結末」に辿り着かせたい始祖ユミルが送ったものの一つ、
「記憶ツアーの記憶」である
と考える。
エレンは、
赤子の時のこの出来事(ユミルから送られてきた記憶ツアーの一部始終)を覚えており、
隣のジークがどんな様子か
チラ見して確認している。
(始祖ユミルはエルディア人に干渉できる、
ただ「進撃」の力を持つ者以外に)
ちなみに、「進撃」継承以降のエレンは、
ユミルから送られてきたのではなく、
始祖ユミルが立ち会った場面を
道を通じて突発的にみている
「未来の記憶で見たことがある」
↑
「この少年を」見たことがある
(「このシーンを」ではない)
「おそらくオレはこの少年を助ける」
↑
自分が地鳴らしで殺すのを知ってるから
ここでラムジーはこの場を脱することができると分かっている
→この場面でここを脱するには
自分が助けるしかないから
「いずれその少年も殺すくせに」
↑
ラムジーが自分の地鳴らしで
踏み殺されるシーンをユミルが見てて、
その記憶を見たことがあるから。
そもそも始祖ユミルは、
初代巨人であり、その力を九つに分かつ前の、
いわば「一つの巨人」
当然、その全ての能力を持ち合わせていたと考えるのが自然であり、
「進撃」の能力も兼ね備えていた考えられる。
=始祖ユミルは初代「進撃の巨人」
↓
「ラムジー踏み潰し」に関しても、
「過去も未来も時間の概念がない
道の世界」から、
“進撃”の力も持つ始祖ユミルが体験した
「ラムジーを潰す記憶」を
過去(あるいは未来)の“進撃”の継承者
であるエレンに送った、
と考えられる。
❹壁がない
片方のコマでは背景にコマがあり、
もう片方では壁がない。
壁がないほうは「夢や記憶の世界」なのではないか、とも考えられる。
しかし、大分県日田市にある
「進撃の巨人ミュージアム」内で流れていた
インタビュー映像にて、諫山先生は
「漫画が作られていくにつれ作画にかけられるコストも増えていった」
と語っていた。
この1巻のシーンの1コマで
壁を描くかどうかがコストに影響するとは
あまり思えないが、
このインタビューからも、この1巻の1コマは
「壁がないから夢の世界」ではなく、
たまたま背景に壁が描かれなかっただけ
とも捉えられる。
また、アニメではこのシーンの
全てに壁が描かれていました。
→「夢や記憶の世界」ではない。
《補足②》
海外版の「いてエレ」翻訳
興味本位で海外版の1巻と34巻を確認。
「See you later」は
直訳「後でまた会う」の通り、
「軽い別れ際の挨拶」である。
一方、「いってらっしゃい」と同様に使われる表現として、
「Take care」がある。
「体に気をつけて」「お元気で」「さようなら」
の意味があり、
作中の意味合いを考えるとこちらの方が合ってるのかとも捉えられるが、
⚫︎1巻の海外版制作時は
そこまで意図せず翻訳された可能性が高い
→同シーンなので34巻でも同じ文言で訳した
⚫︎ミカサは「すぐに会いたい」「会える」という願いも込めて「See you later」を使った可能性も高い
ので、特に
何の成果の得られませんでした
が、少なくとも海外版からは
「逝ってらっしゃい」
の意味はないことはわかりました。
❺結論
「いってらっしゃいエレン」は、
二千年の呪縛から解放される「結末」を
目撃した始祖ユミルが、
同時に存在する「進撃」継承前のエレンに
そこに辿り着く為に送っていた
その「結末の記憶」である、と考える。
《補足③》
後天的自由
A「母親の仇が目的の一つ」
↕️
B「自身が巨人を母親に仕向けた」
「始祖の力がもたらす影響には
過去も未来もない、同時に存在する」為、
このA・Bどちらが「先」だったか
はないが、
エレンは始祖ユミルが導く通りの
「結末」へと進み続けた。
そんな中でも、
「記憶が人を形成する」のなら、
それはエレンの意思でもあり、
エレンが自分の大切な仲間を守るために
できることとして下した選択が
極端すぎたにせよ、
人類を救う術を試みたにせよ、
他の8割の人類よりも
自分にとって1番大切な仲間を守る「意思」
は最後まで全うした
幼少期から父親、友達、そしてユミルにより
記憶が形成された「自由の奴隷」は、
夢見た「自由」の景色に向かって進み続け、
それが始祖ユミルが求めた
「結末」・「解放」にも繋がり、
キース・シャーディスが言った通り
壁の外で燃え尽きることとなった🕊️
以上!!
(引用 : 諫山創先生『進撃の巨人』講談社)