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仕事を選択する条件。

いま思い返せば笑ってしまうけれど、大学受験の時期、将来の仕事を漠然とでも決めておいたほうがいいだろうと考えるのだが、なかなか自分の未来イメージが思い描けず、真剣に困っていた。
「文系」という受験先の選択はしていたものの、「理系」ではないというだけの理由だったから、文系に受かっても目指すものが見えているわけではなかった。
「将来、どうするの?」と進路指導の先生にも聞かれるし、「一般企業」と答えたとしても「どういう職種の?」と押し込んでくるのは分かっていたから、なんとか話ができるレベルの将来像は見えていたかった。
世の中を見回して、教師? 運転手? 建設現場の監督? 公務員? デパートの店員? 喫茶店のマスター? などなど目にした仕事を自分に当てはめてみるのだが、どうもピンとこない。
自分一人の頭じゃ職業のアイデアが少なすぎる! 選択肢が多ければ何か見えてくるはずだ! じゃあどこにあるか? と考えた。
そして、分厚い「職業別電話帳(当時から「タウンページ」と呼んでいたかは記憶にない)」を手にした。
これならすべての職業が載っているはずだ! むしろ、「この中に自分の将来があるんだ!」と妙な感慨すら覚えた。
「あ・い・う・え・お……」と一つひとつ職業の名称を見ていった。いったいいくつの職業が掲載されていたのだろう? とにかく全部見終わるのに時間がかかった。
だけど、どこにも自分の仕事はなかった。というよりも、そのどれにも自分の姿をイメージできなかった。
「おれは将来、働かない人なのか?」
バカなことを考えるだけだった。

何も決められないまま、大学に入った。
が、忘れたふりをしていても、自分の向き合うべき課題が消えたわけではない。とうとう「就職」の二文字が“スミ100%”の濃度で目の前にやってきた。
その頃に、やっと気づいた。やりたい職業を、ではない。決めるには基準が必要だ、という単純なことに思い至った。
職業選択のための譲れない条件。それが明確になれば、すんなりと選べるはずだ。同時に自分の未来像も見えるだろう。
遅い! だが、本人としては、すごい発見をしたような気になっていた。
大工さんだって道具がそろわなきゃ仕事ができない。おれは、自分で必要な道具をそろえることが第一歩だと気づいたのだ! 
ちょっとした優越感さえ覚えていた。でも、その中身が何なのか、ノコギリと金づちとカンナと……自分の譲れない条件は分からないままだった。
そこで、人生でいちばん考えた! と言えるかもしれないくらいに考え抜いた。
三週間ほどもかかって、二つの条件が決まった。
「苦手なことをする仕事」
「好きなことをする仕事」
これだけを抽出にするのに四苦八苦した。
自分でもその二つに「矛盾してるなあ」と思いながら、それも考え抜いて、だから譲れない条件なんだ、と思い定めた。
もし、苦手なことを一生やらなくていい時間を過ごしたら、自分はとんでもない偏った人間になってしまうんじゃないか、という恐れから、強制的に苦手なことを自分にやらせなきゃ、と考えた。
苦手なのは人に会うことだった。緊張感が嫌いだからだ。会ってしまえばウソのように会話が弾むこともあるのだが、それまでにあれこれ考えてドキドキするのが嫌だった。
でも、一方では、苦手なことばっかりだったら、そもそも仕事として持続できるはずがないから、好きなこともできる仕事でないとダメだ、とも考えた。好きなのは文章を書くことだった。
苦手で好きなことができる仕事。矛盾する二つのレンズを重ね合わせた結果、「人に会いながら文章を書くことができる仕事」という焦点が見えた。
それからは速攻だった。新聞社と雑誌社に手あたり次第、履歴書を送った。ほかにも職種はあったのかもしれないが、そこもまた視野の狭さが影響して、やっとひっかかった一社に就職した。
その会社は結局、長く務めることはなかったけれど、その後も、二つの条件だけは譲らずに転職した。
仕事を始めて10年ほど経った頃、「緊張してるのか?」と同行した先輩に言われたことがある。そう指摘されてハッとした。変わらない自分の姿を知った。と同時に、「よかった。まだ、この仕事を続ける意味がある」とも思った。

私にとって仕事を決めるということは、自分に必要なものを確かめることと同義で、仕事を変えるということは、自分にとって必要なものを変更するということ。それが分かってきた。
少なくとも、仕事は電話帳から探すものではない。

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