どんなことに幸せを覚える私でありたいか。
新潟県の中でも雪深い地域と言われている越後妻有では3年に一度、「大地の芸術祭」が行われている。その名の通り、この土地ならではの自然環境を活かしたアートが展開され、世界中からアーチストがやってくる。
地元の人々と共同制作を行う作品もあり、妻有の人々にとっても「私の作品」と言えるものが生まれていく。
この芸術祭の初期の頃に聞いた話。
この地の特徴の一つでもある棚田を使ってアートを展開したいと考えた外国人の作家夫婦がいた。家畜を引いて田を耕す人や刈り取りをする人の姿などを影絵のように田んぼの中に立て、それを遠くから目にする際に、四季折々のこの大地の様子を「読む」ことができるよう文字と背景の棚田の農作業の絵を重ね合わせることができる。
なんともうまくない説明になってしまうが、「まつだい」駅の目の前でその作品を見たとき、空間的なスケールや発想に驚くと同時に、日本人が見逃しがちな日本的原風景を外国人によって教えられた。
さらに、このアートに関するいきさつを関係者から聞いたとき、幸せの構造というものを思い知らされた。
実は、この棚田の持ち主は、高齢のために農業を継続することがむずかしいと思っていた。跡取りがいるわけでもないようだった。もうやめてしまおうと考えていた矢先、この場所をぜひ作品として使わせてほしいという依頼を受けた。どんなものが出来上がるのか知る由もないまま、持ち主は作家に場所を提供した。
出来上がった作品「棚田」を見て思った。自分の棚田が多くの人に何かをメッセージできることを知って、もう少しこのまま農業を続けてみようと考え直した。
作品の背景にはそのような物語が存在した。そのことを知らずとも、素敵な作品だったけれど、一つの作品を通して、持ち主の高齢のおじいさんも、作家ご夫妻も、私たちも、みんなが幸せになれる。それが本当の意味でのアートなのだろうとも思えた。
障害者福祉の関係者から耳にしたことも、「いちご」を真ん中に、幸せが展開された実際の物語だった。
就労の場としての意味合いだけでなく、土や農作物や生きものとの触れ合いが心身にも良い効果を与えるという理由で、障害を持った人たちの農業現場での研修や自習が増えている。「農福連携」は農家にとっても人手不足の解消のほか、新しい社会貢献を果たすことにもつながる。
自然に影響を受ける農業は、気候の変化への対応や、適切なタイミングの見計らいや、「待つ」という育成の基本を学ぶ仕事でもある。経済よりも人材と馴染みやすい感じを受ける。
そんな農業を長く続けてきた、ある「いちご」農家の男性が「農福連携」の一環として軽度の精神障害を持った10代の女の子を農園で受け入れることにした。
最初は緊張気味だった男性も、女の子の行動からさまざまなことを考えさせられるようになった。
女の子は「いちごさん、おはよう」と毎朝、無邪気に話しかける。ほほえましい光景として見ているだけだった男性は、あるとき、ハッとさせられた。
「自分たちもいちごを栽培し始めたときは、あのような姿だったのかもしれない。それがいつの間にか作業的になって、収穫や価格に目を向けて、目の前に『〇〇さん』と呼ぶ命を育んでいることなど忘れがちになっていた。そんな大事なことをやっている仕事だったんだと、女の子に教えられた気がする」
ここにも、幾重にも輪を広げた幸せがある。農家だけでなく、女の子にも、そしてそれを聞いた私たちにも感じられる幸せが。
本当の幸せは、多層的に広がる構造をしているのかもしれない。誰かの不幸を持って他の誰かが幸福になるような関係を幸せと呼ぶのは幸福なことではない。
棚田やいちごが幸せの種になり得るのは、それらにまつわる人々の物語がそこにあるからだ。その物語を聞くことができて、アートの世界や農業の世界を、今までとは違った次元から見ることができるようになったのは、とても幸せなことだ。
自分で発見できる幸せもあるだろうし、誰かの存在が幸せに気づかせてくれることもあるだろう。そうした渦中に間違いなく存在している。気がつきにくいけれど。