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非行
はい、人を殺そうと思いました。
これは僕が児童相談所で発した第一声である。
児童相談所の待合室、一生懸命参考書を読んでいる人がいた。
集中していたのだろうか。僕が待合室のドアを開けても椅子に座っても待合室を出ても、決して参考書から目を離すことはなかった。
……死に魅了されている僕にそっくりだな、と思った。
ただ熱中先が違っただけ。僕も参考書を読んでいる彼も同じじゃあないか。自分の好きなことに必死になって何が悪いんだ、と内心イライラが募った。
静寂に包まれた薄暗い待合室。
部屋の隅に置かれた小さな本棚には、心理学やら犯罪学やらの文字が並んでいたような気がする。馬鹿馬鹿しい。
本なんかで人の心理を理解することができたら、叶わぬ恋なんてないし、人間関係に心を病むひとなんていない。
理解した気になっているだけで、実際、人の深層心理を解ることなんて不可能。
理解されていたら、人を殺そうだなんて思っていないもの。
先のことなんて考えられなかったし、考えたくもなかった。
絶望という言葉が誰よりも似合っていたと思う。僕は殺人を試み、そして失敗した。全部どうでもよかった。誰が死のうが誰が生きようが関係ない、ただ自分を襲う途方もない苦しみから解放されたかっただけ。それだけだった。
๋࣭
学校の授業中、先生から急に声をかけられた。
「おい、お前カバン持ってちょっと来い」
「えっ、はい。」
僕は学校でどちらかというと問題児寄りの立ち位置だったので、特に動揺することもなく席から立ち上がった。その日、たまたま学校に友達に貸すべく漫画を持ってきていたので、それがバレてしまったのだと思った。
バレないようにやったつもりやってんけどなぁ、帰りに渡すべきやったかぁ
などと脳内でしょうもない反省会を行いながら、先生に続いて廊下を歩く。学習室という名の 通称:説教部屋 の前で歩みが止まった。ここに入れという暗黙の了解を察知し、漫画如きで面倒だなぁとため息をつきながら学習室のドアを開ける。絶望の瞬間だ。説教をするための部屋である学習室には机と椅子しかないので、瞬時に状況を理解することができた。
泣いている両親の前に、包丁がひとつ。
僕が殺人のために購入した凶器だとひと目でわかった。
「こっち来い」
放心状態の僕に父親が怒鳴ったようだ。学習室に大きく響いた怒鳴り声が、絶望を加速されていく。脳内がホワイトアウトしていく。僕が席に着くと、父親が情けない声をあげながら号泣し始めた。それまで父親が泣くところを見たことがなかったので、我が子の前でこんな情けない声を出しながら泣くほどのことなのか と、ここで初めて事の重大さを理解した。
๋࣭
「誰かを傷つけるというかー…人を殺したいと思ったの?」
「はい、人を殺そうと思いました。」
児童相談所職員であるTさんからの質問に、僕はうつむきながらこう答えた。どんな表情をしているかな、僕のこと怖いかな と妄想を繰り広げながら、目の前の机の上に積もった浅い埃だけを見つめ続けた。この妄想に夢中で、Tさんが実際どんな反応をしたかは覚えていない。話を一切聞いていないのに、なぜか時間があっという間に感じられた。
「はい、これ。」
そんな一言と共に、僕に1枚の紙が差し出された。机の埃が紙で隠れてしまったので、仕方なく目線を紙に打ち込まれた文字羅列へ移す。長文を読む気力なんてものはとっくになかったので全内容を理解することはできなかったが、そこに僕が銃刀法違反をしたというようなことが書かれているのだけわかった。が
……心底どうでもよかった。
Tさんがタラタラと銃刀法違反やら警察やらのつまらない話を始めたので
「話が変わるようで悪いんですが、具体的にどういった場面から私が銃刀法違反だと断定できるんですか」
とだけ聞いてみたが、僕の少年法への理解について問い詰めてきたのですぐに耳を傾けるのをやめた。
当時…というほど昔の話でもないのだが、当時僕は13歳だった。
もう既になんとなくわかっただろうが、日本の少年法では14歳未満を罰することはできないとされている。
そう、だから僕が人殺しを成功させようが失敗しようが、罰されることはないのだ。始め、僕はこれを利用しようと考えていた。
だが、途中から生きることに疲れすぎてしまってそんなことはすっかりどうでもよくなっていたので、少年法の存在が僕の殺人衝動を正当化させたというふうに言われることは大変癪だった。
๋࣭
「誕生日おめでとう」
14歳になったあの日、僕は未だ絶望していた。
少年法が適当されなくなったからとかではなく、ただ自分の生を実感することが辛かった。どうしようもなく鬱だったのだ。
中高一貫校に通っていたわけではなかったし、両親共に一応高学歴であったせいか学には厳しく中卒という選択肢はそもそも存在していなかったので、高校受験が着々と近付いていた。一刻も早く死にたい。死にたい。しにたい。しにたい。それしか考えられない日々。
中学2年生の途中から提出物や勉強を殆どしなくなっていたので、成績も見るに耐えないものとなっていた。言い訳紛いなことを言うと、勉強をする余裕すらもなかったのだけれど。
頑張れば合格できそうだと奮闘して決めた志望校も、気づけば遥か遠い存在になっていた。遠くて、遠くて、遠すぎて、なんかもういいやって思えてきて。
それから勉強を頑張ることもせず、1年して、僕はテキトーに決めた学校へ進学した。学校見学にはたったの2校しか行かなかった。
なにがしたかったんだっけ、なんで生まれてきたんだっけ。
つーか、なんで生きてんだろう