第三章 自分とは
中学3年生は私にとって考えさせられる一年だった。
中国国内で起こった、ある島に関する問題の抗議デモ。それが運動会シーズンに繰り広げられた。
自分達の乗るスクールバスにも石が投げられ、怪我人は出なかったものの、肩身が狭かった。
タクシーに乗っても日本の悪口を言われる時期もあった。過去の歴史がこんなにも痛感するとは思わず、中学生にして、自分が日本人であることに誇りを持てずにいた。
一方で、ニュースを見ると日本もたくさん中国のデモを流しており、それを大きくバッシングしていたところを見て心が痛くなった。
自分は日本人なのに日本人の話も中国人の話もどちらの話も理解できるようで、不思議な気持ちに陥った。
日本に一時帰国すると、中国人ってって言われる。逆に中国の一部の人にも日本人の良いイメージが浸透していないと感じる。
みんな何もわかってないとその時から思い始めた。昔の日本人は酷かったかもしれない。私も教科書での日本人しか知らない時代もある。でも、素敵な心を持った人がたくさんいる。一方で中国人にも日本のみんなが知らない良さが沢山ある。日本だったらお年寄りや子供に席を譲るのに勇気がいる人もいるのに、中国だと乗ってきたら何人もの人がさーっと立って譲る。そんな姿を日本で見てこなかった私は感動した。それだけじゃなく、今の日本をもっと知ろう、理解しようとみんな積極的だった。そんな人達がたくさんいた。
でもそんなことを友人に言ったところで理解してくれる人はいなかった。だから将来自分がその間に立って、友好の架け橋になりたいと思うようになった。
自分って国籍は日本人かもしれない。でも心は世界人なのだ。そう思いたい