第二章 学校生活

そんな日本人学校での生活

いくら日本人学校とはいえ馴染めるはずはなかった。

相手は私より海外生活の長い帰国生

発言も多く、のんびり育った私としては馴染むのに時間がかかった。

それだけでなく、海外の学校ならではの避難訓練もあった。地震、火災はもちろん、不審者対策である。

あの高い刑務所のような門は侵入者を防ぐためのものだと知った時、自分たちは守られているという安心感と同時に刑務所の囚人の気分にも陥った。

門以外だけでなく、外からの侵入者を防ぐために、異常が発生した場合音が鳴る工夫も存在した。

そのこともあり、風が強い日はよく警報がなった。警報が鳴けば先生たちがトランシーバーを持ち構内を走り回る。そんな光景は日本では見られない。

当時の私からしたら新鮮であった。

そんな不思議な日本人学校での生活。

一番の思い出は、中学3年生の時ある先生が話してくれた話である。

それはある時の、地震での避難訓練の時。

あまり真剣でなかった私達に、福島出身の先生が泣きながら私達に話してくださった、東日本大震災。

「僕は、目の前で親戚を見失った。津波で、あの地震で失った。みんなは北京にいたから何も知らない。だから僕はそんなことも伝えたいそう思って日本人学校の先生を応募した。地震は起こにくい北京かもしれないけど、練習を練習と思うな。この訓練は本番だと思わないと本当にあったとき、あの時こうしてればって思うんだぞ。おれはそれで救えなかったのかもしれないと後悔している」と…。

初めて大震災の恐怖を話から聞いて察した時、身体の震えを感じた。他人事ではないと感じた。

この学校に行って、色んな地域の先生と出会って初めて心を動かされる先生と出会い、初めてこの学校で良かったと感じた。


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