「覚醒するシスターフッド」
「シスターフッド」
姉妹のような女同士の間柄。さらに意味を広げると、最近はフェミニズムの標語として、ひとつのイシューに向かって理念を共有したり、共闘できる関係として認識されている女性同士の関係性。(TSUTAYA Newsより抜粋)
社会的なジェンダー平等にはまだほど遠いとされている日本社会だが、それでもその達成に向けて声を上げる人々が増え、少しずつだが社会に変化が見え始めていることが感じられる昨今。フェミニズムがテーマの小説も続々と世に出され、わたしももくもくと読みあさり始めている。
大学を出て会社に入ったころは、男女には社会的役割があって当然と考えていたわたし。早々に結婚し、会社を辞めて家庭に入ろうなどと考えていた。それまでは、社会を知らず両親とぬくぬくと育ってきた環境があったからだろう。両親が言うことが正しい、と自分で考えようとしなかった典型的なお嬢気質だった。社会に出てからも、「若くてかわいい女性」のイメージで営業していた・・・あくまで無意識に。そういう位置づけにされているとやりやすいなとも思っていた。
十年少し経った今、色々な人生経験を経て、子ども二人を育てている。親元を離れて、会社の先輩や同期、中高時代の友人と語り合ったり、多くの小説、本、SNSなどから知識を吸収し、昔とは全く違ったわたしなりの「女性のあるべき姿」「自分のあるべき姿」が確立されてきた。(このテーマについては、また後日、別の記事で語ろうと思う)
この「覚醒するシスターフッド」はわたしが出会った何冊目かのフェミニズム関連の本だが、この本はあらゆる国の作家さんによる短編集だった。まだあと二編読めていないのだが、わたしの心の琴線に触れたのは、文珍さんの「星空と海を隔てて」、そしてこだまさんの「桃子さんのいる夏」である。
どちらも、もやもやを抱えた女性が、あるとき偶然出会った女性と話すことにより、もやもやが解消され、心が軽くなるという話である。女性同士の連携によって、その立場にいる女性にしか分からない悩みを理解し合い、それによって自分の人生の靄が晴れる―シスターフッドはそんな役割をする。一人では声を上げられないが、違和感を持っているのは自分だけじゃないと理解できることで、自分に自信が得られる。気のおけない友達、先輩との女子会が、こんなにも楽しくて平穏が得られるのは、相互理解が強められるからだなと深く感じる。この二つの小説は、気のおけない友人同士の話ではなく、偶然知り合った女性同士の心のつながりが描かれているが、それもまた女性ならではー境遇や気持ちを理解し合えると、すぐにでも心が通じるのだ。そして社会に対しても発言しやすくなる。
少しずつでもいい。女性同士で自分たちの気持ちを言語化し共有することにより、社会を変える一歩になっていく。
はからずしも、わたしは物心ついたころから結婚願望を強く持っていた。いわゆる昔からの「女性像」を理想としていたのだが、それは社会から見ての「あるべき姿」だからではない。わたしはこう生きたいという理想があった。結婚して、子どもはもちろん欲しかったが、永遠の円満夫婦というのが昔から持っていた夢だった。それは今も変わらない。ただ、初めて結婚した人とはその夢が叶わないと分かり、3年も経たず別れることにした。社会の目は気にしなかった。もう一度理想の自分を得るため。そして見つけた今の家族。けれど、今は家庭に入って家事・育児だけをしようとは思わない。自分も家族も輝ける理想の人生を描くため、大切な家族と歩みたい。そして理想の自分を欲している女性たちの声をもっと聴いて、シスターフッドを築いていきたいと感じる。
今、考えていること
女性と妊娠、出産、子育て・・・。子育ては本当に尊いものです。男性、女性に関わらず、人生の中で最も尊いものの一つであると思う。しかし、だから、女性にとって最もセンシティブで、男性には決して分かることができない悩み・問題があふれている。このテーマでも自分なりに考え、できることを今後発信していきたいと思っています。。・