マイグラトリー・トラベラー【第3話】
ロッテム平原。
武器庫に火を放ったヘルアたちとランドン率いる追撃部隊がそれぞれ馬を駆って疾走していた。
「追手の数は十人程か。この数ならば問題ない。やってくれ」
「了解」
追われている側であるヘルアは背後から迫ろうとしているランドンらを一瞥し、並走する部下に指示を出す。
そして自らは幻惑魔法の準備を始めた。
「隊長、このままだと奴らはやがてソゴムの領内に到達します!そうなれば追跡はできなくなります!」
「わかっている!奴らの逃走先がどこであろうとも素性が何であろうとも、この国で悪事を働いた罪は償わせる!」
集団の逃亡先にある獣人の国ソゴムとアルメニアは双方の国家の許可なしに、国家に属する者が領内に入ることを禁じている。
このまま逃してなるのものか、とランドンと彼に追随する兵士たちは一層気合を入れて、自国に無礼を働いた者たちを捕らえようとしていた。
馬を走らせながらランドン配下の弓兵が矢を放って、足を止めようとする。
だがそんな矢先、追いかけていた集団の何人かが投げた煙玉がランドンたちの前で炸裂し彼らの視界を煙で覆った。
「煙玉か!?けほっ!おのれ、小賢しいことを!」
煙の中を真っ直ぐ突き進むランドンたち。
視界を潰されたのは時間にして数秒だったためか、幸いにも集団の姿を見失わずに済んだ。
しかしランドンたちは気付けなかった。煙が充満していた間にヘルアが発動していた幻惑魔法によって彼らが追いかけているのが幻影であり、本物のヘルアたちは別の方向に逃走していることに。
エイティスとバトの戦いは続いていた。
手刀のような構えで振るわれた風の刃をバトは跳躍して回避。エイティスの頭上を越えながら短刀を構え、着地すると同時に背後から一突き入れようと画策していた。
だがエイティスはバトが頭上を越えた際に落ちて来た水滴から、彼の位置を察知。背後を取られたのに気付いた。
攻撃を避けるために片足で地面を蹴って、前へ倒れ込みつつ体の向きを反転。風の刃をそのままバトへと投げ付けた。
驚いたバトは再度短刀で受け止めるが空中では踏ん張ることができず、大きく飛ばされて体を床に強打してしまった。
「うおっ!くっ」
すぐさま立ち上がり、バトは短刀を構え直す。
短刀をいくら振っても彼の攻撃はせいぜい髪や皮膚を切り裂くか、風の刃に弾かれてしまい有効打を入れられずにいる。
その上相手の方が優位な状況が続いているとあっては、バトの中で焦りと苛立ちは大きくならざるを得なかった。
(本当に何者だと言うんだこの者は。この環境の中で私が未だに仕留めきれずにいるとは)
体勢を整え直し、一定の間隔を維持したまま睨み合うバトとエイティス。
お互いに相手の出方を伺っていた。
(いや最早この者が誰かなどはどうでもいい。なんとしてでもここで仕留め、ヴォルガ殿と合流しなければ)
そう心を決めたバトはエイティスに突っ込む。
バトの突撃に対してエイティスは片手で展開した風の防壁で対応する。
「ぐ、うおおおお!」
風の防壁を突き破ろうとバトは全ての神経と力を短刀に注ぎ込む。
だが短刀が防壁を突破するよりも先にエイティスが別の手で生成した風の刃が、下からバトの短刀を弾き飛ばした。
「なに!?」
「はああああ!」
自分の手から武器が離れたことに驚き、上に飛んだ短刀を見上げるバト。
彼の意識と視線が隙にエイティスは風の力を収束させた右脚で腹部を蹴り付けた。
「うおおおお!?」
激しく吹き飛び、地面を転がるバト。
使用者の手を離れた短刀をエイティスはバトとは真逆の方向へ床に滑らせるように投げ捨てると、一歩一歩警戒しながら距離を詰める。
(……このままでは捕縛される。そうなるくらいならば……ヴォルガ殿、すまない……!)
痛みの消えない体に鞭を撃ってバトは立ち上がった。
「まだ!」
まだ戦う気なのかと、エイティスは身構えバトの次の挙動に備えた。
しかしところがバトはエイティスに向かうような行動には出ず、両手を組んで何かの力を自身の体に溜め始めた。
(一体何をしようと?)
「少年よ、君の力量を素直に賞賛しよう。だが生かして返すわけにはいかん……私の名はバト、バト・ワーラム。今日ここで、貴様と共に死ぬ者の名だ!!」
「っ!」
バトの放つ輝きが一層大きくなり、次の瞬間地下水路内で激しい爆発が起こった。
「なんだ爆発!?」
「今度は地下水路の方からだと!?一体どうなっている!」
「狼狽えるな!」
武器庫に向かっていたアリエと彼女に同行していた数名の兵士は、別の方向から生じた爆発と轟音に足を止めた。
「私が確認に向かう。お前たちは引き続き己の任を遂行するんだ。他の兵たちと連携し、絶対に姫様と民を守り抜け!」
アリエは動揺する兵士たちを一喝し、すぐさま指示を飛ばす。
「何今の音!?」
宿から自分の弓とエイティスの剣を鞘ごと背負って街中を走っていたリリアーヌもまた、その音に足を止めた。
彼女の視線の先には薄暗い空に向かって昇る煙が立ち込めている。
「あそこって、さっき私が教えたラフィーナの……まさかっ!」
煙の近くの建物の屋根にある魚の彫像を見てリリアーヌの頭をある考えがよぎった。
もしかしてエイティスに何かあったのではと。
急がなければ、そう思いリリアーヌは再び足を動かした。
牢屋の中でエイティスは目を覚ました。
「これは……」
どうやらまだ生きているようだ。
まずはその事実に安堵してエイティスは身体を起こす。
その際に身体を走る痛みに顔を歪めつつも視線を動かし、視界から得た情報を元に動き出した頭を使って状況を整理する。
自分が腰掛けているベッドとその上にある毛布。服装は身に着けていた物と同じでバトとの戦闘によって、ところどころ汚れが目立っていたり破けていた。体には包帯や湿布など何者かの手当を受けたと思われる痕跡があった。
自分の状態を確認したエイティスは続いて、自分のいる場所についての情報を得ることにした。
外の景色が見えず代わりに壁しか見えない無機質な空間。そして自由な出入りを防ぐために設けられたであろう鍵付きの鉄格子。
「へ?」
鉄格子を見てエイティスは薄々ここがどこなのかを理解し始めた。
嫌な予感がしたと同時に腕を動かすとその時ジャリ、という金属音がした。
「あれ?」
両手に視線を落とすと想像していた通り、と言うべきか。手錠が嵌められていた。
「牢屋…?またどうして…」
自分が牢屋、それも檻の中に幽閉されていると把握したエイティスは外に出ようと鉄格子を両手で掴む。
だが
「当然鍵はかかってるか…これ切れたりしないかな。いやここがどこだかわからないなら迂闊に変なことするのも危険か。でもこのままただこの中でじっとしてるのもそれはそれで危険な気もするしな」
手でこじ開けても、鍵をどうにかしても効き目がないと悟るとエイティスは片手に円盤状の風を形成して、鉄格子を切断しようと試みる。
「警備ご苦労。中の者の様子を確認したい。通してくれ」
「かしこまりました」
(誰か来る)
外から聞こえてくる声に耳を澄ませていると、重厚そうな扉が開く音とカツカツと靴の音が牢屋の中に響いた。
エイティスは物陰に隠れて相手の姿と出方を確認するか迷ったが、判断した結果を行動に移すよりも先に相手が視界に現れるのが早かった。
「ちょうどよかった。目を覚ましたようだな」
「貴方は?誰です?」
「アルメニア王国親衛隊隊長アリエ・トラッド。君に聞きたいことがある…だが本題に入る前に別に一つだけ確認しておきたいことがある。悪いが、少し耳を貸してもらえないだろうか」
「…はい」
アリエは指でエイティスに近付くように促す。
疑問に思いながらもエイティスは鉄格子越しにアリエの言葉を聞き取りやすい距離まで移動した。
するとアリエは片手でエイティスの腕を掴むと別の手で腰に帯刀していた剣を鞘から引き抜き、鉄格子の合間からエイティスの首元に添えた。
「っ!」
「ここから出す代わりに一切抵抗せずにこちらの要求を大人しく素直に聞くという条件を、聞き入れてもらえるかな?」
脅迫めいた文言を言いながらもアリエは笑顔だった。
エイティスは彼女の笑顔から首元に突き付けられた剣へ、そしてまた彼女の笑顔へと視線を動かしてから問いかけた。
「拒否権、ないですよね…」
「この状況であると思うか?」
「だったら聞く意味あります?」
「礼儀としてだ。これでも礼儀作法には気を配っている方でね」
「…なるほど」
「で、どうする?」
「言うこと聞きます」
「賢明な判断だ」