マイグラトリー・トラベラー【第2話】
「あれは、武器庫の方か!敵の襲撃か!?」
「わかりません。現在何人かの兵が消火作業に向かっています!」
炎はオローラス城からも見えた。
武器庫の火災に気付いて大急ぎで鎧を着た親衛隊隊長のアリエ・トラッドは窓越しに街から上がる火の手を見て、警護にあたっている兵士に叫んだ。
「何が起きているのですか!」
そこにアルメニア王国の王女ラフィーナ・レポニアスが現れた。先ほどまで寝ていたようで服装は寝間着姿だ。
「姫様!」
「火、街で火事が起こっているのですか?」
「ラフィーナ様はお部屋にお戻りください。良からぬ企みを持った者が潜んでいるかもしれません」
アリエの言葉にラフィーナは心配の面持ちを保ったままではあったが、首を縦に振った。
「わかりました。兵と民の方たちの安全に注意しながら行動にあたってください」
「お気遣い頂きありがとうございます」
火災が起きた武器庫周辺では兵士たちが水の入った樽を手に消化作業を行っていた。
そこにランドン・スペイアが駆けつけた。
「消火作業急げ!」
「ランドン隊長!今日はお休みだったはずでは」
「こんな状況で呑気に休息など取っていられるものか。それに休みなら充分に満喫した……カナトはどうした?まだ来ていないのか?」
ランドンは周りの兵士たちに目を配り、その中に自分の部下であるカナトの姿がないことに気付く。
「は、はい。そのようです」
「街を離れているのか……?ならば致し方ない。事態の把握はどうなっている。単なる火の不始末ではなかろう」
「はっ、先ほど入った門番からの報告によると得体の知れない一団が街の中からロッテム平原の方に去っていったとのことです」
「よし、その者たちの確保に向かうぞ。馬の準備をしろ。何人か私について来い!」
エイティスとリリアーヌもまた武器庫から上がる炎を見上げていた。
「リリアーヌ、あの燃えてるところってどこだかわかる?」
「確か、えっと…あの位置だとたぶん、そうだ!武器庫だ!前にラフィーナに見せてもらったことがあるんだ。兵士たちの武器を保管してるとこ」
「武器庫、なんでそんなところで火が」
「すまない、道を開けてくれ!」
「急げ、この騒動を引き起こした者たちを絶対に逃してはならん!」
疑問を抱いていると武器庫の方角からランドンと数人の兵が二人の近くを通り過ぎていった。
エイティスがランドンの素性を気にしていたのが顔に表れていたのか、すぐにリリアーヌはすぐに語った。
「先頭にいたのはランドン、兵士を束ねる隊長の一人よ」
「あっちには何があるの?」
「ロッテム平原に繋がる門があるわ。火を付けた犯人を追いかけてるのかも。『者たち』って言ってたし」
「平原か」
「うわぁ!」
呟いた直後、風の魔法を使ってエイティスは上へ高く上昇する。
「と、飛んで、浮いてる?」
人間よりも優れた視力を持つリリアーヌは夜の暗い空でもエイティスの姿を鮮明に捉えていた。
そしてそのエイティスはというと
(さっきの兵士の人たちの進路の先に明かりがいくつか見える。あれが火を付けた犯人たちか?)
さっき兵士たちが向かっていった方角を見ると門の先、平原と思われる地点に複数の明かりが動いている。松明の明かりだろう。
エイティスは次に平原とは正反対の方に視線を体ごと向けて風景を確認すると、地面に降り立った。
「びっくりした。そんなことできたんだ」
「ごめん急に、こっちの方角には何かある?」
エイティスが指で指した方角に目を向けてリリアーヌは記憶を探る。
「あっちには特に何もなかったような…外に出れるような場所もないし。あ!でも、もしも時のために街の人を外に避難させるために作った地下水路があるって前にラフィーナから聞いたことがある!」
「その地下水路の入口ってわかる?」
「ちょっと待って、えっと、えっと…一際大きくて屋根に魚の彫像がある家の近くにあったはず。その建物を建てる時に遠くからでもわかりやすい目印になるようにしたって」
「魚の彫像」
エイティスはもう一度風の魔法を使って空に浮上する。
改めて平原とは真逆の方に目を凝らすと、リリアーヌに教わった魚の彫像が屋根にある建物を見つけた。周りにある他の建物よりも高く、その特徴もリリアーヌから聞いた情報と一致していた。
(あった!あれか!)
エイティスは両手の掌に風の力を集約させる。円盤状に変化させた風を一つ目的の家の地面に向かって投げ付け、もう一つの風も同じように真逆の軌道で投げ付ける。
二つの円盤状の風は魚の彫像のある家の付近の地面に命中し、地面に『Ⅹ』字の跡を刻む。
「よし、これで」
エイティスは風の魔法を中断してリリアーヌのいる地上に降りた。
「ごめん、リリアーヌはここにいて。ちょっと行ってくる」
「行く、ってどういうこと?ねえ!」
リリアーヌが意図を確かめるよりも先にエイティスは走ってしまった。
「一人じゃ危ないってば!私もー」
正確にエイティスの意図が掴めずとも、今起こっている騒動絡みで何かしようとしていると理解できたリリアーヌは後を追いかけようとする。
だがあることに気付いてピタリと足を止めた。
「…武器宿の部屋に置いてきちゃったじゃん!」
リリアーヌは踵を返して宿に急行した。武器も持たずに行ってしまったのなら尚更急いでエイティスと合流しなければ。
そう思いながら。
地下水路を歩くヴォルガと黒い装束を着たムササビ獣人のバト・ワーラム、そして数人の獣人たち。
ヴォルガは今も眠っているマーガレットを姫君のように優しく抱き抱えていた。
「あちらの方は上手くやってくれているようですね」
「皆無事で再会できるとよいのだが…」
ヴォルガの言葉にバトが同意しかけた時、彼の耳が遠くから発せられる音を拾った。
「何者かがこちらに向かってきます」
「追手か」
「いえ追手にしては妙です。足音の数が少なすぎる。おそらく一人、ですが確実に我々に近付きつつあります」
「なに?」
バトからの情報に首を傾げるヴォルガ。
そうしている間にも足音を発生させている存在との距離が縮まり、彼の耳にもその音を捉えることができた。
「確かに一人だな。一体何者だ」
ヴォルガはマーガレットを身近の獣人に預け、腰の太刀に手を添える。
そして音の発生源―エイティスの姿をヴォルガとバトは視認した。
「な、なんだあいつは」
「子ども?」
(兵士ではないようだが。どうやってここを嗅ぎ付けた?)
エイティスを見て獣人の一人とヴォルガは思わず口からそんな言葉が出た。バトもまたエイティスの服装を見て兵士ではないと判断した。
(暗くてよくわかりづらいけど何人かいるな。まさか本当に当たるとは……)
獣人ではないエイティスはこの薄暗い地下水路の中では相手の姿を鮮明に見れてはいないが気配はわかる。
こんな大騒ぎの中でこんなところを集団でいる以上騒動を引き起こした張本人か、それに近しい者たち。
相対して間もなくそう判断したエイティスは戦闘に備えて構えを取った。
「ここは私が」
戦闘体勢に入ったエイティスを前にしてバトはヴォルガに進言した。
「時間が限られています。貴方はご自分の役割を果たしてください」
「すまない。ここは任せた」
「お気を付けて。すぐに追いつきます」
ヴォルガは別の獣人に託していたマーガレットを再び抱き抱え、出口へと向かって他の獣人たちと共に走り出す。
足音を聞いてエイティスは追いかけようとするが、動き出す前にバトの言葉が彼の動きを止めた。
「不幸にも迷い込んだか、私たちを追ってきたのか。どちらにせよ、このまま生かして返すわけにはいかなくなった」
「さっきあの騒ぎ、あれはそっちの仕業?」
「それを知ったところで何の意味もない。これから息絶える貴様には」
「っ…」
やはり自分を始末するようだ。
エイティスはより警戒を強くする。
「貴様、名前は何と言う?」
装束の中から短刀を抜いてバトは訊ねた。
「それ知って、何か意味あるの?」
そう返しつつエイティスは魔法で周囲に相手に悟られない程度に微弱な風を吹かせる。
「っ…可愛げのない小僧だ」
バトは足を踏み出し、身軽かつ俊敏な動きでエイティスに接近。
彼の首を狙って短刀を横に振った。
エイティスは後方に飛び下がって回避。短刀は空を切るのみに終わる。
(避けられただと!?)
バトは驚愕に目を見開いた。
この一太刀のみで終わらせるつもりだった。だがそうはいかなかった。
その事実に動揺しつつもバトは気を持ち直して何度も切りかかるが、相手の髪を裂くことはあっても肉を裂くことはなかった。
(動きが速い。この間合いだとあっちの武器はナイフか?だったら!)
エイティスも避けてばかりではなかった。バトとの間に大きく間合いを取ると、掌に形成した円盤状の風の刃を投げつける。
「なにっ!?」
思わぬ攻撃だったのかバトは一瞬動きを止めた。しかし即座に反応した。
短刀で迫る緑の風の刃を受け止め、腕を横に払って無効化する。
そして跳び上がり、今度は空中から相手の頭を狙って短刀を突き付ける。
その動きを感知したエイティスは風の力を集約させた片手の掌をバトへと向かって突き出す。
強い力を宿した風は防壁となってエイティスに突き出されていた短刀を受け止める。
「くうっ!」
短刀の接近を防ぎながらエイティスは目を横に動かす。
防壁を展開している腕を水の方に振る。そしてその行動は結果としてバトを水の中に落とすこととなった。
盛大に水飛沫が上がる。
その数秒後、再び水飛沫が上がるとバトはすぐさま通路に復帰し、エイティスを睨むような目で見据える。
(こいつ、戦いに、それも対人戦に慣れている。この薄暗い中で私の攻撃を回避できているのも風魔法の応用。おそらく自らが発生させている風の動きを感じ取っているのだろう…やはり尚のこと生かして返すわけにはいかん。悪いがここで、消えてもらう!)
地を蹴って殺意を込めて短刀を振るうバト。
エイティスは生成した風の刃を投げずに、今度は武器として手に持ったまま応戦した。