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一人だけれど一人じゃない

秋分の日の翌日、からりと晴れた休日の午後。
固定電話が鳴る。
どうせセールスの電話だろう、急いで出る必要もない。
私はゆっくり廊下を歩く。
先日、右足の小指を箪笥に勢いよくぶつけ、歩くとまだ痛いのだ。

受話器をとり、「はい」とだけ応える。
若い女の声で
「わたくし、○○株式会社の△△と申します。
そちらは奥様でいらっしゃいますか?」
相当の早口である。

私は○○と△△の部分がうまく聞き取れない。
「もう一度おっしゃっていただけますか?
よく聞こえなかったもので。」

「奥様でいらっしゃいますか?」
相手は最後の部分だけ答える。

私は再度尋ねる。
「○○株式会社とおっしゃいましたか?」

またもや最後の部分を繰り返す。
「奥様でいらっしゃいますよね。」

私もわざと少しばかり意地になる。
「あの、だから、○○株式会社の・・・」

「はい、それで合ってますから、こちらの話を聞いてください。」

どうして会社名をもう一度言ってくれないのかわからない。
なにやら怒り気味の声。しかも早口である。
それから彼女は、一気に要件を述べた。
着なくなった服や、使わない食器などの買い取りをしたいのだそうだ。

「ウチにはそういうものはありません。」
というと、ガチャッと音を立てて電話は切れた。

この手の電話は多い。
固定にかかってくるのはほとんどがこういったセールスの電話だ。
それでも、毎回人は違うし、
売りたいものや買いたいもの、契約させたいものが違う。
そういう違いはあるものの、たいてい似たような内容の電話である。

ただ、切り方が色々で面白いなあと思うこともある。
脈がないと分かった時点であっさり切るのは同じだが
それも突然のこともあれば、
丁寧に、失礼しましたと言ってから切る場合もある。
ま、それはマニュアル通りなんだろうが
中にはしつこく話し続け、本気で怒り出す人もいた。

おそらく、皆アルバイトで雇われているのだろう。
若そうな女性、同じく若そうな男性、
ちょっと年配っぽい女性と様々だが、
年配っぽい男性は今までいなかったなあと思い返す。

時給いくらなんだろうか?
いや、時給じゃなくて出来高だろうか?
どちらにせよ、儲かっている気はしない。

みんな、どこかつまらなそうな声だ。
少しつつけば怒りだしそうな気配さえある。
つつきもしないのに、勝手に怒り出した人もいたしなあ。

なんだか侘しい。

そろそろ洗濯物を取り入れようと
庭に出ようとしたその時、玄関チャイムが鳴った。
ドアを開けると
五十代後半~六十代前半くらいの小柄な男性が立っている。
ああ、乳製品のセールスだ。
この人なら、何度も試供品を持ってきたことがあるから覚えている。

パンフレットを広げながら
牛乳やらヨーグルトやらの説明を始めようとする。
しかめっ面で、苦しそうに見えるのは私の偏見だろうか。

私は、いえ、乳製品は飲まないのでけっこうです、と断る。
頭を下げて丁重に。

毎回断っているのに、覚えていないのだろうか?
それとも、この辺一帯を
くまなく回らねばならないノルマでもあるのだろうか。
ご苦労なことだと思う。
年配の男性は電話よりも
一軒一軒回る対面に多いのかもしれない。

やり甲斐のある仕事とか、働き甲斐のある職場とか
そういうところに従事できればいいのにね。
いや、やり甲斐を感じているかもしれないのに
決めつけはいけないな。

しかし、なんだか、またもや侘しい。

洗濯物を取り入れ、布団はもう少し干しておこうと
家に入った。

ふと脳裏に浮かぶものがあった。
電話一本で来てくれる電気屋の兄ちゃん、水道屋さん、
大工のおじいちゃんに左官屋さん、
畳屋さん、瓦屋のおじさん、移動スーパーのお兄ちゃん。

みんな笑顔がいい。声にも張りがある。
付き合いの長い人たちの顔が浮かぶ。

薬屋の夫婦、自転車屋、植木屋、自動車屋の夫婦。
脈絡もなく次々と、声つきで顔が浮かぶ。

私はこんなにも良い環境で暮らしていたのだと
今更ながら思う。

先ほど感じた侘しさはどこへやら
私は落ち着いて履物を履き、庭に出た。
やはり布団を入れよう。
ふかふかに膨らんだ布団をパンパンはたいて
よっこいせと両腕でがっしりつかみ、
押入れに入れ、そこに顔をうずめた。

太陽の匂いがする。
そうだ、昨日は秋分だった。
今日から、少しずつ日が短くなるのだ。

自分は何を望むのか、
これまで何を望み、何を受け取ってきたか。
築いてきた良き関係は、私が受け取った望みに違いない。

今夜は、一人で乾杯だ。
一人だけれど一人じゃないことに、乾杯。





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