「読書好きの子どもをどうやって育てるか」とは何の関係もない話
私が生まれた家には本が一冊もありませんでした。
絵本やマンガ、週刊誌の類もなし。
唯一読めるものといったら
テレビ欄のためにとっていた夕刊(地方紙)だけでした。
物心ついた頃、私はその夕刊を広げ、
「の」の文字を〇で囲って遊んでいました。
あの丸っこい文字がかわいくて、
「の」を見つけて〇をつけるのは楽しい遊びでした。
それを見た母が、「この子は字に興味があるんだ。字を習わせてあげなきゃ。」と、私を習字教室に連れて行きました。
上手に字が書けるようになるのが目的ではなく、文字習得のために母が取った行動です。(両親は字を書くことも読むことも大の苦手だったので)
父も、どこかしらで古本(子供向けの)を私のためにもらってきてくれました。
(その後も父は、欲しい本はどれだけでも惜しみなく買ってくれました。)
また、ある日、私が親戚のお下がりの玩具のピアノを鳴らして遊んでいると、母はすぐにヤ〇ハ音楽教室に通わせてくれました。
おかげで、小学校に入る頃には
私はすっかり読書と音楽好きの子どもになっていました。
で、この話はここで終わりません。
続きがあって、ここからは私と対照的な姉の話になります。
姉は文字文化(?)に喜びを感じることなく学童期を終え、
中学でも勉強などほとんどせずに中卒で就職しました。
社会に出て苦労するのかと思いきや、逆でした。
したくない勉強をしなくていいし、
したい仕事をしてお金をもらえたのですから。
彼女は興味の向くままに仕事を選んだため、数年で職を転々としましたが、
ゆく先々で新しいスキルを身に着け、資格や免状も取っていきました(歯科技工士、華道師範、エステティシャン等)。
今は音楽プロダクションに所属して歌を教えています(カラオケの先生)。
私は大学を出ましたが、文字優位社会では単なる雑魚キャラ。
それでも、読書(大量のマンガ含む)世界の喜びを知っています。
対して姉は、読書世界を知らずとも、
豊かな体験と身に沁みついたスキル(オマケに資格まで)を持っています。
人生を謳歌するという点では、どちらがどうとも言えないけれど、
結局、自分の興味に向かって歩むことを後押ししてくれた両親がいて(姉も私もそれぞれに)良かったなというオチです。
もしも親が、世間体を気にして
姉に勉強を強要して高校に行かせていたら・・・
数年で仕事を転々とする姉を叱っていたら・・・
もしも親が、自分たちには興味のないことに私が興味を持っていると
敏感に気づいてくれなかったら・・・
そんな「もしも」がなかったことは幸いでした。