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泥泥泥日記 0日目

能登の大雨被害による10日間のボランティア格闘記

珠洲市長橋 隆起した海

9月18日 

1月1日の震災後6度目の能登から帰宅する。今回は、地震で土壁が落ちた蔵の補修などをしていた。さらに東京で能登写真展を企画しているので、写真の光安くんと映像の佳織さんと一緒に撮影しながらまわっていた。


9月21日

東京の自宅にて、珠洲市のあみだ湯から持ち帰った廃材から、
廃材ベンチを作り始める。あみだ湯は震災後からすぐに営業を再開し、薪ボイラーで沸かし続けてる銭湯だ。通常災害ゴミとなる廃材の持ち込みを歓迎していて、それが湯を沸かす燃料となるのだが、燃やすのが勿体無いくらいの一枚板があったので貰ってきたのだ。

作業の手を止めて、携帯を開く。能登半島が大雨でやばそうだ、と幾人かのSNS投稿を目にする。数日前まで滞在していた知ってる街が、土砂に流されていく。8ヶ月過ぎ、遅いながらも復興の兆しが見えてきたタイミングでこれだ。もうダメかもしれない、その文面に緊迫と絶望が映っている。

そんな時にハタメキのみずきさんから連絡あり、ハタメキで能登写真展をさせてもらえることになる。遅くまで情報を追って寝る。


9月22日

朝、ハタメキへ。能登写真展を企画している2人とみずきさんと顔合わせ。
早速スケジュールを決め、10日後に展示をさせてもらうことになる。

昼過ぎに京島へ向かう。キラキラ橘商店街で京島の面々と再開。震災後に能登と関わりを持っている人が多く、能登やばそうだね、と二言三言。
次に、年明けに能登展示をさせてもらえることになった電気湯へ。
21日朝の飛行機でなんとか帰って来れた大久保さん(電気湯オーナー)に再開。帰ってこなければよかった、と大久保さん。展示の話どころではなくなってしまった現状に、はたとなる。なんともない東京と大変なことになってる能登、二つの世界がこの小さな体の中に同居している。

今晩も雨が強まるそうだ。展示のタイトル『さいはてのまんなか』とDMを
スカイツリーの麓で作って光安と解散。不安が募るばかり。


9月23日

別件の打ち合わせで、朝さんさき坂カフェへ。
昼過ぎ川崎の岡本太郎美術館へ、淺井さんの制作の手伝いへと向かう。
会期前の美術館で嵐のまえの静けさのようだ。
鹿の皮がある。屋久島で、友人と屋久鹿をもらいに行った日から1年経ったことに気づく。あの時も変わらず大変だったなと、山奥の宿の屋根を叩く雨音と共に記憶が呼び戻された。1年の時を経て、あの日まで野を駆けずり回ってたあいつの皮に、いま泥と青く生成した鹿の血で絵を描いている。ちょっと寒そうだなと思った。明日の夜、能登へ向けて出ることを決めて、呼びかけをする。


9月24日

日中、必要物品を買いに走る。寝ておかなきゃと思い、昼寝する。寝て起きたら、はじめましての方から連絡あり。一緒に向かうことになる。実家である保育所の職員から寄付を託される。普通にいつもの食卓があって、いつものように夕飯を食べる。部屋に戻って休みたいところをこじ開けるようにして、22時過ぎに家を出発。能登を目指す。日常とは何か、予期せぬ災害によってそれまで当たり前にあったことが、いとも簡単に崩れ去る/東京での生活もこの大雨を機に一度/となる。

珠洲市のいつもお世話になっている坂本信子さんから連絡あり、明日9時から見附島の近くの宮崎さんの田んぼで泥をかいてほしいとのこと。夜中静かな深夜高速を走る。



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写真 光安 匠


映像 大久保 佳織


ハタメキ


あみだ湯



電気湯


坂本信子さん


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