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8年ぶりの長崎と、はじめましての佐世保

龍馬さんお久しぶりです。まどかです。
書簡をしたためようと思っているうちに1か月も経ってしまいましたが、先日はお誕生日おめでとうございました!188歳ですか、大層です。

例年は高知か京都にあなたを偲びに参りますが、今年は8年ぶりに長崎に行きました。

久しぶりの長崎は、相変わらずおしゃれでハイカラ。異国情緒があり、海がきれいで、個人商店がたくさんにぎわっています。

昼休みにちゃんぽんを食べて、その帰りに寄った魚屋さんで鰹の刺身を買ったら、店主さんが鯛の刺身もおまけでつけてくれました。八百屋さんで買ったケールと白菜、トマトを添えていただきました。

新鮮でおいしいものが食べられる。
地産地消ができることも、この街の魅力ですね。

あ、もちろん亀山社中も行きましたよ龍馬さん。

8年前と同じように、あなたがもたれていた柱に身を任せてみました。
月琴ももたせてもらって、もう楽しくて仕方ありませんでした。

前回来たときは本当にこの場所が現存していることに感動して足がすくんでいましたけれど、今回は別の理由であなたのパワーを感じていました。

龍馬さんあのね、あなたや海舟先生がつくられた亀山社中のような株式会社は、現在の日本には200万以上あるのです。

前に来たときは就活が本格的に始まる直前で、大学生だった私はいろんな企業情報を見ていた時期でした。その時は単純に「株式会社」というものは「かっこいいビジネスをしている組織」という憧れの塊だったんですね。

でも今は、スケールはだいぶ異なりますけれど、当時のあなたの年齢と、守ろうとしていたモノや人、コトが今の私と少し重なったように思えて。

亀山社中(=海援隊)のみなさんが会合していたお部屋では、人がいなかったのもありしばらくぼーっとしていました。海運会社経営の資金調達に奔走していたあなたの姿をしばらく想像していていたんです。

ポーズを真似てみたり、社中の木盤に自分の名前を書いてみたり、楽しかったです

私はこの1~2年、劇的な環境の変化は特になかったけど、毎日がドラマみたいで忙しなく過ぎていったように思います。

仕事が好きで、知的好奇心も高いほうだけど、このままの働き方や生き方を続けていて良いのかと思うことが増えたこと。地元に帰ると感じる「こうあるべき」の慣習にまだ苦しさを感じること(昔よりは少なくなったけど)。

そして、現代には報道機関と呼ばれる、テレビや新聞、WEBメディアというものがあって、これらとのやりとりに鍛えられ、体力を使ったこと。特にテレビの対応には何度も心が折れそうになったこと。でも同時に大きなやりがいや達成感も得られること。

趣味や仕事を通じて、知らない世界を見させてもらいました。

アメリカの西海岸には、ジョン万次郎や海舟先生が咸臨丸で訪れた「サンフランシスコ」という都市があります。長崎と同じように港や造船所、海軍基地があり、伴って魚介類もおいしく、坂の多い街なのですが、今は日本からだと「飛行機」という空を飛ぶ鉄の乗り物で向かうのが主流です。

私も、何度かその飛行機で日本とサンフランシスコを往復しているのですが、ある冬の出張の帰り、一緒に行った先輩に「この1週間、まどかさんが水を得た魚みたいに生き生きしてた」と言われました。

自分では特に感じていなかったけれど、思えば、同調圧力が少し取っ払われた場所だと、私の場合は生きやすくなるのかもしれません。

サンフランシスコでは、同調圧力はいくらかないように思います。多様性が認められていることを感じます。その分、貧富の差が大きいことは社会問題なのですが。

日本は地域にもよりますが、文化や慣習を大変重んじる国です。

前例に倣って規律に忠実なところは素晴らしいと思う反面、これに苦しめられてしまうことも多いです。そういうところは龍馬さんもきっと同じでしょう。

あなたなら、前例や美徳なんて言葉を聞いた暁には呆れそうです。

でも、意見を言葉にしてきちんと発言する人は、この国だとまだ「気の強い人」と言われ、場合によっては袋叩きにあうし、敬遠されることも多いです。どうしてこんなにも「こうあるべき」の呪縛にとらわれているのでしょう。

そんなことを思いながら、管理人さんに挨拶をして街に戻りました。

あなたにとってゆかりの深い場所である長崎、久しぶりに来られて良かったです。亀山社中に訪れて「ああ私はもっと羽ばたけるし、羽ばたいていいんだ」と思いました。

気づかせてくれて、ありがとうございました。

さて、長崎に数日滞在したあとは佐世保に行きまして、ここではひたすら物思いにふけっていました。ちなみに、この佐世保の街の雰囲気は少し横須賀に似ていました。

ずっと来たかった佐世保。初日は雨風が強くてホテルにこもっていましたが、そのあとの3日間は佐世保の景色を目に焼き付けたくて、いろんな場所を歩きました。

海に浮かぶ軍艦は威厳がありました。海自が保有している支援艦のあまくさとイージス艦のあしがら、あとはオーストラリアやアメリカの軍艦も見えました。

連日、佐世保港のボラードやベンチに小一時間座っていました。考え事をしたり、本を読んだり、音楽を聴いたり。

海に浮かぶ艦船はなんだか永遠に見ていられました。
あなたが日本に必要だと夢見ていた造船技術は、その後150年間、大変な歴史をたどってきました。

今も日本の国内のいろんな場所で、プライドと責任感をもった人たちが、艦船を造っているんだと思います。ものづくり大国を支えてきた日本の重工業のロマン、龍馬さんもきっとお好きですね。

佐世保まだまだ魅力があるんだろうな。
次は半年後に来ようと思います。

龍馬さん、改めてお誕生日おめでとうございます。

そういえば私、あなたのことを思いすぎて記事になったのよ。
良かったら読んでくださいね。

それではまた。

まどかより

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