短編小説?『ブリーフ』
注意
これはジョーク的なものであって、現実のブリーフをバカにしているわけではありません。
1
「あの、僕は多少、手書きのデッサンとか出来ます」
就活の際、僕が何度も使ったこのよく分からない自己アピール。
このアピールが功を奏したのか、そうでも無いのか、僕はなぜか下着メーカーに就職することができた。
2
その日、僕はブリーフを履いていた。
別に意味があったわけではない。
ただ、小学5年生の僕には、家にあるブリーフを着る他に好きな下着を着る選択肢がなかったのだ。
振り返れば、これはただ、たまたまの事だったのかもしれない。
体育があった。
着替えの時間、僕はすっとズボンを下ろした。
それが、ひょうきん者である田中の前であったのがよくなかったのかもしれない。
僕の水玉ブリーフが、彼の目に止まってしまったのだ。
「お、浜口、お前、まだブリーフなのかよ!」
クラスに響き渡ったその声は、周りの注目を集めた。
「本当だ、しかも水玉かよ」
羞恥が、僕の顔を茹で上げるよりも早く、僕はズボンを上げた。
それでも、僕が水玉ブリーフを履いていることは、すっかりみんなに知れ渡ってしまった。
「もう5年生だぜ、トランクスだろ?」
得意げな顔でズボンを下ろす田中は、トランクスを履いている。
大人だ。
そんな感想が頭に浮かんだ。
「俺も、もうトランクスだよ」
坂井もズボンを下ろす。
みんなトランクスだ。
僕は取り残されている。
「ブリーフにしたって、水玉はねーよ」
水玉は、ダメなのか?
別段、水玉に思い入れがあった訳でも無いのに、僕の心は衝撃を受けていた。
「そんなダサいブリーフ履くなよ」
田中と坂井が笑っている。
僕は、恥ずかしさと、悔しさと焦りで拳を強く握った。
爪が食い込んで少しだけ指が痛かった。
「お前も、トランクス買ってもらいな」
田中が、僕の肩に手を置いて笑った。
屈辱だ。
どうして、僕はこんなにブリーフのデザインで侮辱されなければならない。
羞恥を受けなければならない。
もっと、かっこいいブリーフを履いていれば。
かっこいいブリーフを、誰にもバカにされないブリーフがあれば。
僕は、ただ、その場に立ち尽くしていた。
着替えることも、忘れ、ぼーっとしていると、友達の山田が、声をかけてきた。
「早く着替えないと遅れちゃうよ、僕遅れたく無いから、もう行くよ?」
心配の言葉も、耳の上を滑っていくだけで、僕の心は、水玉ブリーフの羞恥で一杯だった。
「教室の鍵閉めるから、浜口君、早く着替えて」
教室の外から、委員長の声が聞こえる。
委員長の声は、不思議と僕の中にスッと入ってきて、そこでハッと授業に間に合わなくなりそうな現実に気がついた。
「ごめん、委員長」
言い終わるより早く、ズボンをおろして、体操服を着た。
3
中学に上がっても、相変わらず委員長は委員長だった。
「浜口君、進路希望調査、出した?」
「いや、まだ」
中学からの進学なんて、そんなに悩むことないのかもしれない。
けれど、僕には、それはとても重大なことに見えた。
将来を見据えているから、なんて大それた事を言うつもりはない。
中学の僕に、そんなことを考えられる脳はないからだ。
ただ、ただ。
机にしまっている、少し分厚くなったファイルを触った。
ここに、僕の中学生活が詰まっている。
いや、これだけに捧げてきた訳じゃないが。
「そう」
委員長は、ため息交じりにそう言って、僕の隣の席に座った。
もうすっかり下校の時間で、この教室には僕ら以外人はいない。
「実は、私も決まってないの」
委員長はつまらなそうに窓の外を見た。
僕もつられて外を見ると、秋晴れの下部活動に勤しむ少年少女が見えた。
「浜口君、何か部活入っていたっけ」
「一応、美術部に」
「ふーん」
「委員長は?」
「何にも」
「そうなんだ」
こうして、委員長と会話するのはいつぶりだろうか。
そんなことを考えながら、つい、彼女を見つめてしまった。
「どうしたの?」
「いや、別になんでもないよ」
「そう」
視線をそらして、机の上を見た。
真っ白な進路希望用紙が、そこにはあった。
「私、委員長だから、進路用紙集めて出さないといけないのにね」
「でも、将来のことだから」
「ただ、何も考えてないだけよ」
「意外だな、委員長って、もっとしっかりしてるって言うか」
「あら、そう」
彼女は、僕の目を見つめた。
「そうでもないわよ。抜けているとこばかりの面倒くさがりなの」
「そうなんだ」
「そう」
「ふーん」
しばらく二人無言で見つめあった。
意味があった訳でも、見たかった訳でもない。
ただ、ぼーっとしていただけだと思う。
「ねぇ」
「何?」
「絵、持ってない?あなたが描いた」
「あぁ、持っているよ」
「見してよ」
急な提案に、ドギマギして、心臓が強くはねた。
「え、あ、その」
「ダメ?」
「い、いや、そうじゃないんだけどさ」
「じゃあ、いいじゃない」
机の奥にしまってあるファイルをぎゅっと握った。
「あんまり、上手くないけどいいかな」
「そんなの気にしないわよ」
恐る恐るファイルを出して、風景画のデッサンを一枚だした。
「へぇ、なかなかいいじゃない」
まさか、褒められるだなんて思っていなかったから只でさえ早くなっていた鼓動が、もう少し早くなるのを感じた。
「そんな、僕は下手くそで」
「素人目には、上手いも下手も分からないわ。けれど、私は好きよ」
僕は、その言葉に震えた。
「いい絵じゃない」
嬉しくなった僕は、席を立って、もう一枚見せようと、ファイルを持った。
しかし、気持ちに体が追いついていなかったのか、僕はそのファイルを落とした。
パラパラと、ファイルがめくれて、あるページで、それが止まった。
「これは」
僕の描いた、ブリーフのデザイン案だ。
しかし、そんな恥ずかしいこと口に出して言えない。
「あの、これは、違って、その」
口の中がすっかり乾いて、何を話そうにも、上手く口が動かなくて、モゴモゴしてしまう。
「ずいぶん、ユニークなもの描くのね」
委員長の反応は、想像とはすっかり違って、僕は驚いてしまう。
「気持ち悪がらないの?」
「別に、ただ、ブリーフの絵を描いただけでしょう?」
「そうだけど」
「ならいいじゃない。私は、ユーモアがあっていいと思うわ、この水玉ブリーフ」
随分と楽しそうに笑いながら、委員長が言った。
「絵、描きたいの?」
「え?」
委員長の質問の意図が掴めなくて、聞き直すと、彼女は機嫌が良さそうに答えてくれた。
「進路のことよ」
「あぁ」
「絵を描き続けたいんじゃないの?」
「でも、今更絵を描くために美術部が強い高校って選択肢も突拍子がなく見えないかな」
「やりたいなら、いいんじゃない?」
「僕、自分が本当にやりたいのか分からないんだ」
「ウジウジしてるのね」
「まあね」
「笑われたんだ。絵が下手くそで」
「ふーん」
「部活で、好きなモチーフを、って言われたから、ブリーフを描いたんだ」
「それ、絶対下手だから笑われた訳じゃないわよ」
「いや、確かにみんな僕の絵を指差して」
「ユニークな絵だからよ」
そんなことない。
僕の絵が、僕のブリーフの絵が下手くそだったから。
「違う、僕は下手くそで」
「そう、なんだか、どうでもいい気分になっちゃった。帰るね」
委員長の冷めた目が、他の何よりも鋭く僕の心臓を刺してしまったような感じがした。
ゆっくりと、胸が冷たくなって、汗がじんわりとシャツに染みた。
「待って、委員長」
「何?」
「進路希望、今、書くから」
「そう、なら早くしてよ」
用紙を取り出して、ペンを握る。
今の学力じゃ、少し難しい挑戦になる。
だけど、ここの美術部は強いと聞いた。
自分が元々書こうと思っていた安パイの高校をやめて、そちらを書いて委員長に渡した。
「ここ、ちょっと難しいとこだけど、浜口君頭良かったっけ?」
「いや、でもここ美術部が強くて、すごくいい環境で絵が描けるんだ」
「そう、いいじゃん。頑張って」
「うん」
「なんだか、先に行かれちゃった気分だわ。それじゃ」
用紙を受け取ると、彼女は僕に手を振って教室を出て行った。
4
高校受験には合格して、高校の美術部ではそれなりに上手くやっていた。
そのまま綺麗に美大に行って、ブリーフのデザインが出来ていたら、なんて思うのだけれど。
現実はそうは上手く行かなかった。
才能の壁、そう呼ばないと納得できない壁がそこにはあった。
3年浪人して、親には迷惑ばかりかけた。
それでも、僕に芸術の神様は微笑まなかったんだ。
不思議なもので、やるだけやったという諦めは、心地のいいものだった。
それから、ちょっとデザインが関わっている情報科のある大学に受験し、なんとか合格を掴んだ後、ささやかな大学生活を送った。
5
初めての出勤で、僕は、面食らうことになる。
「あれ、浜口君じゃん」
僕の配属された部署には、委員長がいたのだ。
「今日から、ここに配属されました」
「あら、じゃあ今日から同僚ね。よろしく」
「はい」
「早速なんだけど、浜口君にぴったりの仕事があるの」
「なんですか?」
「新しいブリーフのデザイン。好きでしょ?」
委員長はいたずらっぽく笑って僕を見た。
「えぇ、好きですよ」
あとがき
暗くない話書くのは、自分的に珍しいですが、書きました。
なんというか、小学生の頃や青春時代の恥ずかしい記憶を思い出して微笑ましいような、やっぱり恥ずかしいような、そんな気持ちを思い出していただけたら幸いです。