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NZおひとり旅行記③

いよいよ旅終盤でございます。
書きかけのこの旅日誌も帰国早々、溜まった日常ワークに時間が取られすっかり放置される始末。
さあ気を取り戻して、時を戻そう。

滞在5日目の夜にして、ようやく音楽Bar”Eddies Bar”に辿り着き、ご機嫌な夜を過ごした。Eve Duoという2人組がカバー曲オンリーで、アレサフランクリン、エイミーワインハウスに始まり、ABBAなどなどヒットソング、モータウン、昔の歌謡曲やらを、ギターと歌だけでやるの。

つまるところ、歌はもちろんなんだけども、ギターの腕がめちゃめちゃいいのね。リズムギターとベースラインとメロディ、ソロを全部一本でやっちゃう感じ。

演奏の写真はない、なぜならご機嫌すぎたから。


Fly me to the moonを練習している私としては今1番やってみたい演奏スタイルで大変勉強になった。

演奏序盤は、パブで聴いてるみたいに、熱心な音楽ファン数名を除いて、みんな友達と喋りながら座って呑んでる感じ。たださすがは愉快な国民性ね、終盤酒も進み酔いも回り、音楽もポップになっていくとフロアはダンスフロアになっていた。

まあまあそんな雰囲気にも気持ちよくなって、もう一杯だけ、もう一杯だけ、とバーに並んでたら、みんな気前よく奢ってくれる。

そこでまあまあご機嫌に1人で呑んでいたら、インド人たちと仲良くなって一緒に飲むことに。まあまあぶっちゃけると、ほんとは1人でスッと入ってきたショッキングピンクの髪をした、誰と喋るでもなく1人で気持ちよさそうにライヴを聞いていた女の子と仲良くなりたかった。が、なかなか喋りかけられない。くそう、こう言うところだよ、と歯痒く思いながら。

ライヴは最後までいい感じで、入れ替わり立ち替わりみんな踊り倒して終了し、わたしも帰宅した。

翌日、その時仲良くなったインド人がChristchurchで山登ってないのは勿体ねえ!と言って車を出してくれたので、Adventure parkというところで登山へ。飛行機が15時だったので、帰れるのか、大丈夫なのかしつこい程に聞くが、サクッと登れるからと言われ、登ってみることに。

さて、登ってみると、しんどいにはしんどいんだけど、adidasのスニーカーしか持たないめっちゃめちゃ軽装備でも問題なく登れた。所要時間2時間ほどで、絶妙にいい運動。残念ながら、雲が多く、絶景は見れなかったがまあまあ気持ちいい風を堪能し、下山することに。

ここがまた面白いことに、リフトも完備されているのだが、登りの線はお金がかかるが、下山の際は無料なんだって。とってもいいご褒美。
めちゃめちゃ急降下なリフトなので、若干こええええ、と内心ぼやきながらホームイン。うんうん、ありがとう、ジョシュア、いい旅になった。彼とはその後街でお別れし、わたしは登山の疲労を抱えながら、空港へ。

お気づきの皆様もいるかと思うが、この頃くらいから英語力はさておき、友達作りの方のペースは取り戻し、空港でも待ってる間におばちゃんと喋ったりと、一期一会を楽しむマインドになってきたのである。

さていよいよ、12年前に滞在していた街、New Plymouthへ大移動だ。
空港には、ホストマザーが迎えにきてくれて、会うなり毛頭、『青い頭探してたのに、普通の頭やん〜!』(FB見てわたしの髪の毛は青だと思っていたらしい)と笑いながら抱きしめてくれた。

その瞬間に、安心と懐かしさと変わらない愛なのか、何なのかわからない涙がどっと溢れる。
最近の話や、家族も12年の間に、孫がさらに増えて、飼い犬が死んでまた別の動物が増えただとか、遠くの親戚に会ったような、いやでもぶっちゃけ遠くの親戚よりも私には濃い関係値である。

いろんなホストとの関係があるけど、彼らはすごくファミリーを大事にする人たちで、留学生を預かる経験もすごく長いのだが、みんなそれぞれDad、Momと呼ばせてNZのファミリーだからね、とほんとの家族のように時に雑に、時に愛をもって面倒見てくれた。その愛が12年会ってなかろうと一歳変わってないことに驚く。

お家に帰ると、まず感じたのが匂いが一緒なんだな。二階建ての家で、半地下っぽい感じになってる部屋がいくつかあって、当時は私とドイツからの留学中がそこで生活してた。リビングに入ると、ホスト両親の実娘もいて、ビッグハグをくれる。晩御飯はお決まりのPizzaで、あの頃とは打って変わって仕事はどうだ?とか彼氏はいるんか?とか結婚するんか?とか突っ込んだ質問をするDadに、実娘が突っ込む。笑

とはいえ、そのDad、Momも立派なおじいちゃんおばあちゃんで孫もいる。私が滞在してた時の2人はめちゃめちゃハードワーカーだったのだが、2人とも仕事もリタイアしていて、ママはあまりフレンドリーなタイプじゃなかったはずだが、私は歴代ステイしてた中でも極めて好かれていたとあとで言われたが、(これはちょっと自慢!笑)だから優しいのか、歳を取って丸くなったのか、すごく親身に色々話を聞いてくれた。

遠く離れた地で暮らす、でも自分のことをすごくケアしてくれている人だからか、私も心のうちをすごく素直に話せた。バンドが終わったこと、終わった後ガムシャラに働き、日々を過ごしたけど、どうにも何をやればいいのか何も思いつかない。27歳プチdesperate気味だった。

NZ滞在中まあまあ暇な時間があった。
一人旅なのもあって、ゆっくり物事を調べたりする時間も考える時間ができた。おかげでそんなのに日本でやれよ、といった物事を5〜6個手をつけた。

家族と過ごし、最終日やはりわたしは日本人だ、そろそろ働きたいし、ギターも弾きたいぞ、と思っていたら飛行機キャンセルになりました、のメールが。そんなああああ。

帰国後すぐにスケジュールを埋めていたことを心から呪った。まずい………とあたふたするも、予約サイトの問い合わせが全然上手く返信が来ないのにイライラしていた。ホストマザーが即座に近くの空港に送って行ってくれ、即座に乗り継ぎに間に合う便を問い合わせてくれ、結果なかったという結論がでた。そこを無理やり、違う街に明朝ドライブで送り届けてくれ、無事日本へ飛び立つことができた。距離にすると名古屋大阪くらいはある。

申し訳ないとオファーを丁重に断るも、これが家族として当然のことだ、とドライブを決行してくれた。その心遣いに涙が出た。当然というような顔をして笑ってる2人の愛のデカさたるや。

そして、偶然やラブリーな奇跡とは重なるもので、帰りの飛行機が、母校の留学帰りの高校生たちと同じだった。(わたし自身12年前大阪の薫英高校の留学プログラムでNZに来ており、1年間ステイのその帰りである!)高校生の時の英語の担当の先生にもNZの空港で会え、時は流れるものだけど、点と点が結ばれていくのを感じた。

そして大変にエモーショナルいっぱいに、私は成田空港に運ばれ旅は幕を閉じた。

1週間という一人旅は長いようにも短いようにも感じたが、ちゃんとした1日1日が刻まれていくような1週間という感覚が1番正しい。帰国するなりもう2週間もすぎたのだが、これはほんの3日くらいの感覚になる。毎日思い出せないような忙しなさ。これはこれできっといいのだが。笑

一人旅の気楽さも寂しさも同時に味わい、口座残高も底をつきた今は慌ただしく、必死でその中にある煌めきもそれなりの東京ライフを歩んでいきたい所存です。




これにて我が旅行記もひとまず終結。
みんな山に登ったり、綺麗な景色を見て豊かに時間が過ぎるのを楽しみたい方、是非ともNZ行ってみてはいかが?

星空観察@Lake Tekapo




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