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久しぶりな『私』


先日、お友だちからお誘いいただいた、とある歌手の方のライブへ行ってきた。


その日は平日だったので息子も一緒。

息子はそのライブ会場でもある古民家カフェのご飯が好き。

なので、一緒に行っても平気だろうと。

そう考えて家をでた。



到着すると、やはり私の好きな空気感で、私のワクワクどきどきは高まる。

そんな私を見て息子も高まる。

だいすきな友人にも会えて嬉しいわたし。



そして、ライブが始まる。

歌手の方の声を聞いた瞬間。

わたしの欲はより高まり。聴きたい!となる。


だがしかし、息子はとくに興味なく本棚で遊びはじめる。いつもなら、わたしは穏やかに「はいはい」としていられるのだが。

今日は違った。



わたしは歌が聴きたくなった。

息子が夢中で遊ぶように、わたしも夢中で歌が聴きたくなった。


聴きたいと思っている矢先に、お店の人からやわらかいおもちゃを渡されて「音がならないもので遊ぼうね」と言われる。


さしたら、我慢してた涙がポロポロでてきた。そして息子と玄関に出た。


心がキュウっと痛くなったのは。たぶん。



曲がはじまりわたしは一瞬『私』に戻ったのだ。

でも、おもちゃを渡されたときに『母親』に引き戻された。

「あー、これが現実か」


仕方ないのだ。わたしがわたしのやりたいことに、無理やり息子を連れてきたのだから。この場の正解はきっと。

「母親でありながらライブをたのしむこと」だったのかもしれないが。


久々に出会えた『私』をおさえこむことはできなかった。


涙ポロポロ流していたら、友人がたすけてくれた。とっても優しくてあったかくて、もっと涙がでた。

『私』を昔から知っている友人は『私』を助けてくれた。とっても救われた。


そのあとは、お言葉に甘えて、ライブを楽しませてもらった。どうやらお店の方も見ていてくれて、ほんとに感謝感謝だった。


友人だって、ライブ楽しみたかったはずなのに、わたしと息子のために1人の大事な時間を使わせてしまい、心苦しかった部分もあるが。この恩はいずれ、何かの形でかえせたらいいな。


ライブが終わったあとは、公園で息子と2人でお弁当を食べた。

食べたら息子は寝た。

わたしは久々に静かな帰り道を過ごした。


久々に『私』に出会って、わたしだったんだと改めて感じた。わたしは『母親』になってから『私』を出しづらくなっていた。


だから、これからは『私』をちょいちょい出していこうとおもう。

それが、私にとって必要な気がするから。



なんだかんだと、その日は最高の一日だった。