父の命日
先日の3/19で父が亡くなって、16年がたった。
企業の研究者だった父は、リフレッシュのため一人でよく山に登りに行っていた。
その日もまだ雪の残る八ヶ岳の赤岳へと出かけていったそうだ。
その登山中に事故にあい、父は帰ってこなかった。
お酒と美味しいもの、音楽をこよなく愛し、時折研究についても話してくれた。特にベートーヴェンが大好きで、たまに書斎で第九の合唱部分をドイツ語で歌っていた。娘のお誕生日には仕事を休み、1日かけてご馳走とケーキを作ってくれた。
そして何より素晴らしいことに、父と母は本当に仲が良かった。
性格は全然違っていたけれど、お互い尊敬し合っているのが子供にも伝わってきた。
父が亡くなったとき、私は13歳、妹は11歳だった。
母は家で少しだけやっていた英語教師を、本格的に始めた。
二人の娘を抱え、どう考えても一番大変だったのは母だったと思う。
私はといえば、母の計らいで当時通っていた私立中学にそのまま行かせてもらい、もちろん時折とても悲しくなることはあっても、表面上は特に変わらない生活をしていた。
でも父が亡くなったことで、変わったこともあった。
それまでとても子供だった、そして恵まれた環境にいた私は、
クラスの中にいた荒れている同級生の気持ちが理解できなかった。
父の死を経験したことで、はたと気づいた。
”なんだかわからないけど、この子も何か辛いことがあって痛みを抱えているんだ”
他人の痛みそのものを感じることはできない、
でもその人の感じている痛みに思いを馳せることは出来る。
何も考えていなかった13歳が、想像力の大切さを思い知った瞬間だった。
自分が感じた悲しみや怒りは、他の人への思いやりや優しさを生み出す原動力にもなるのだ。
今でも私にとってこの考え方は、とても大切なものだ。
時はたち、1年半前の11月私は結婚した。
夫は、心優しい人だ。
私の母にもとてもよくしてくれている。
彼はギターを弾くので、この間はZoomで母にギターを教えていた。
先日一緒に実家に帰った際に、自分たちの家に戻ってひとこと夫が、
”〇〇さん(母の名前)、2人の娘を育てて本当にえらいねぇ”
と呟いた。
あぁ、本当にこの人に出会えてよかった。
ふと出たあたたかい言葉に、そんな気持ちになった。
お父ちゃま、娘はとても優しい人と一緒に平和に暮らしているよ。
日々世の中で色々なことが起きているけれど、
なんとか力を合わせて頑張っていくよ。
もし父に会えたらそんなことを伝えたい。
2020.3.21.