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想定外だった50歳からの海外移住

娘の高校留学を機に2023年4月、メルボルンに移住しました。高校卒業までの期間限定の海外暮らし、残り475日のあれこれをnoteに綴ります。


“過去のこの日”を思い出す瞬間

メルボルンで暮らしてまもなく1年半になりますが、ふと思うんです、「私、海外で住んでるんだなぁ」って。トラムに乗っているときや近所のビーチを散歩しているとき、朝、カーテンを開けて空にぷかぷかと気球が飛んでいるのを目にすると、メルボルンで暮らしていることをひしひしと感じます。

日本にいるときはほぼ開かなかったfacebookですが、移住してからコミュニケーションツールのひとつとしてちょくちょく覗いています。すると、自分が過去に投稿した記事がさらっと出てくることがあります。“過去のこの日”っていう機能なんですが、私はこの投稿を見るのがホントに好きなんです。

40歳の自分に昨日たまたま出会う

昨日、facebookを開いたら11年前の“過去のこの日”が出てきました。2013年8月29日、ちょうど40歳の自分。おそらく仕事の取材だと思いますが、表参道にあるアヴェダのボタニカルヘッドスパを受けたときの感想を書いていました。その投稿を見たとき、当時の記憶が蘇り、娘は6歳なので保育園に通っていて、私はとにかく仕事に追われていた時期でした。朝7時に保育園に預けて18時ギリギリにお迎え、急いで自転車で自宅に戻り、夕食、お風呂、寝かしつけを行い、私はそこからメールチェックやら原稿を書いて就寝……。ホントに余裕がなさすぎて毎日バタバタしていましたが、今思えば、よく頑張っていたと思います。

10年後の自分なんて、想像できなかった40歳

40歳のとき、まさか自分が50歳で海外移住するとは夢にも思っていませんでした。当時は目の前にある仕事や子育てでいっぱいいっぱいでしたから、“10年後の自分”を想像する余裕もありませんでした。

海外移住の転機となったのは、間違いなく2020年のコロナの流行です。今まで対面だった取材や打ち合わせなどがオンラインになったことで、場所にとらわれることなく、仕事ができるようになったのが大きかったです。日本にいる頃より仕事量は減りましたが、現在も美容ライターとして記事を執筆できることは本当に嬉しいことですし、メルボルンに移住したことでオーストラリアの美容を日本に向けて発信できるようになったことで、キャリアとしてもプラスになっています。

海外移住が楽しくなるのは半年から

移住した当初は友だちもゼロ、英語力も自信がなく(今もそれほど伸びていませんが……)、不安しかありませんでした。夜中に突然、目が覚めることもありましたし、日本での仕事がたびたび恋しくなりました。

メルボルンでの暮らしが楽しくなってきたのは、移住して半年ぐらいのことです。友だちができて、英会話クラスに行ったり、ボランティア活動をしたり、オーストラリア美容をリサーチするためにあちこち出かけたり……。アパートにこもらず、とにかく外に出かけて積極的にコミュニケーションをとりました。移住する直前からはじめたこのnoteには、この1年半のリアルすぎる海外移住生活が綴られていて、自分で読み返しても笑えてくるほどいろんなことをしています。

やって後悔するより、やらないで後悔するほうがツラい

仕事を通じて友人となった同世代の女性が、9月から台湾の美術大学へ1年間留学します。知り合ったのは5年ほど前になりますが、まさか単身で留学するとは思いませんでした。子どもと旦那さんを日本に残して留学するというのは、なかなかの決断です。家族の理解やサポートはもちろんですが、50歳を過ぎて留学を決意した彼女と昨年の自分が何となくかぶっているところがあって、不安と期待が錯綜しているはずです。

海外移住後半は、トップギアで行くしかない!

メルボルンでの生活も折り返しとなった今、ここでしかできない種を蒔いているところです。1年後に芽が出るかもしれませんし、芽がでないことも十分あり得ます。それでも、私はコツコツと種を蒔いています。50歳から海外移住をした経験が1年後、3年後、5年後の自分の人生に花を咲かせることができるように、自分を信じて行動するしかありません。

十分大人になってから行動するのって、正直なところかなり腰が重いです。しかも、“やっても、ムダかなぁ”っていう、どうしようもない悪魔のささやきが頭のどこかで聞こえてくることもあります。それでも、それでもです、自分の人生は自分でデザインするしかありません。“やってみなきゃ、なにもはじまらない”、自分の背中を押してくれる天使の声だけを聞くことにします。

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