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改めて自己紹介

こんばんは。
半澤円です。

最近は闘病のことを多く書いていますが、久しぶりに自己紹介をしておこうと思います。

私は現在小学生と中学生の子どもたちを育てながら、会社を2社経営しています。

飲食店
セレクトショップ運営
不動産
キャリア支援
イベント企画運営

など分野は様々です。

これだけを聞くと、元々独立願望があったから会社の経営をしているのでしょう、と思われるかもしれません。
そこで、今日は私の生い立ちから現在までのことをお話しします。

略歴
茨城出身
大学まで茨城で過ごし、就職で都内に上京
中小企業で総合職の事務職 OL時代
24歳になる歳に起業への道に挑戦を開始
1年半で脱サラできる状態になるも妊娠するまでは働くと決め、OLを続ける
25歳 結婚
26歳 妊娠し、脱サラ
27歳 第一子出産
29歳 第ニ子出産
2人の子どもを育てながら会社を経営
不動産では提携している会社の営業エースになる!
イベントは100人を超えるイベントを年に何度も開催する!
36歳 日本橋小伝馬町に飲食店オープン
37歳 がんが発覚、治療をしながらも変わらず会社の経営
39歳 現在 元気に楽しく会社を経営中

略歴を書きましたが、ここからはポイントを絞ってお話しします。


生い立ち~生まれから就職まで~

公務員の父、専業主婦の母の元、茨城県の筑西市(旧下館市)で誕生しました。2歳差の弟が1人います。
小学5年生まで筑西市(旧下館市)で過ごし、小学6年で日立市へ引っ越します。
学校では学年をまとめるような姉御の存在で、みんなと仲良くするタイプでした。

学業は常に上位でしたが、いくらかの挫折があって思い通りにいかず自信が砕かれてしまいます。
しかしその経験が、私に新たな発見をもたらしました。

教員になりたかった私は、家庭教師や塾講師として生徒に携わりました。
教え子たちが努力して成績を向上させ、夢を叶えていく姿に感銘を受け、それが私の誇りになるのです。
今思えば、それが人を応援する私の原点だったのかもしれません。

教員を目指して努力する中、世間を知らない自分に気付き、悩み始めます。
世間を知らない私が、未来ある子供たちを指導していいのか、自信が持てませんでした。
高校の恩師にも相談し、教員ではなく教育関係の企業に就職することを決めました。

無事就職戦線を潜り抜けて第一志望に就職できた私、新宿でのOL時代の始まりです。
毎日22時ごろまで必死に働く日々でした。
忙しい会社でしたが、1年目の私にやりがいのある仕事をたくさん与えてくださり、感謝しかありません。
仕事は天職で、どんなに忙しくても毎日が楽しいものでした。

ところがだんだん1年目の終わりにさしかかると、この先の自分の未来にふと疑問を持ち始めました。
このままこの会社で仕事をしていって、キャリアもプライベートも両方大事にできるのか!?
身近な先輩を見ていると、どうしてもそうは思えませんでした。

「私の人生の理想は、ここにはないかもしれない……」と思いつつ、まだ若いし大丈夫でしょ、と高を括ったようにみせかけた現実逃避をしていました。
そんなある日、人生を変える出会いが訪れるのです。

人生の転換点~出会い~

今の仕事は楽しいし、給料もいいしと都合の悪い事は見ないようにしてやり過ごす日々でした。

そんな時、現旦那さんに出会うのです。
きっかけは親友にどうしてもと頼まれて行った飲み会です。
ごめん、今日は日本人じゃない人呼んじゃったと言われ、本気で信じた私です。
身長が180あり、地黒の大男でした。
「どこの国の人!?」という第一印象でした。
流暢な日本語を話すのでびっくりし、話を聞くと東北出身で「日本人やんけ!」とさらにびっくり(笑)
出会いからインパクトが大きな、旦那さんなのでした。

彼と出会った事で私の人生は公私共に大きく変わることになりました。
飲み会が終わり、連絡先の交換をし、後日改めて会うことに。
その日こそ私の人生の転換点。
私は自分の人生を本気で考えるようになるのです。

旦那さんは、私が目を逸らし誤魔化していたところにメスを入れてくれました。

まどかちゃんは将来どうなっていきたいの? 結婚しても働くの? 専業主婦になりたいの? etc...

私はキャリアもプライベート大切、でも両方なんて無理と勝手に決めつけていたのです。

しかし彼は、両方大事にしてる人もいるし、自分次第で現状をいくらでも変えていけると目をキラキラさせながら話してくれました。
彼は誰もが羨むような大手に働いているにも関わらず、そこにとどまる気がないこと、一度しかない人生挑戦すると決めてることなどたくさん話をしてくれました。
率直に「同世代のひととはちょっと違うな」と感じたことを今でもよく覚えています。
そして本を読むこと、人と会うことをお勧めしてもらいました。

これは私の人生に大きく影響を与えてくれました。
本を読んだり人と会うことで視野を広げ、努力で人生を変えられることを知りました。

・人生のゴールを決めること。
・まず自分はどうなりたいのか。

明確に起業がしたいということはありませんでしたが、時間とお金を自分でコントロールできる人生は、率直にいいな、と強く思ったのです。
思ったのはいいものの、それを実現するにはどうしたら……

起業への道

旦那さんに紹介していただいた経営者さんの中には、私と同い年でありながら、私が欲しいものを全て手にした方がいらっしゃいました。
こうありたい、と素直に思いました。
その方に話を聞くと、まずチームビルディングをし、その先に起業して今があると仰っていました。
チームビルディング?
と頭の中は???でしたが、私も努力で人生変えられるならと思い、全て教えてもらうことにしました。

こうしてOLをしながら、起業への道へ進むことになるのです。
起業するにあたって、当然ながら前準備の段階でも数々の障害が立ち塞がり、ひとつひとつこねくり回して走り回ってクリアしてきました。
簡潔に記しましたが、当時の私には筆舌に尽くしがたい懊悩と挑戦で、未熟ながらがんばったな、と今でも思います笑

本当に! あの時の選択は大正解だったと胸を張ることができます!

起業するにあたって提示いただいたチームビルディングですが、自分がチームを作って集客力をつけるのが大事だよ、とかみ砕いていただきました。
単なる人集めではなく、本気で自分の人生をよくしたい人同士がチーム組んで経済的基盤をつくり、事業をのせるというものです。

これがやってみると泥臭くて大変で、でもやればやるほど面白いのです。
私のチームは同世代で血の繋がってない家族です。
この若いパワーと絆がとてつもない武器になっています。

これから

人生は一度しかありません。私と関わった人には、キラキラした最高の人生にして欲しい、と思っています。

原点は、教員を目指したあのころです。
志望校合格を、目を輝かせて喜んでいた生徒たちの姿から来ています。

人を心から応援し、夢を叶えるお手伝いをするのは、私にとって生き甲斐なのです。

事業を通じて、関わった方々にどれだけの価値を提供できるか、どれだけ人生をよりよいものにできるか、それが私の人生における至上命題です。
私の事業は、社会貢献でもあると自負しています。

これからの時代は誰からサービスを受けたいのか、人の魅力で仕事をする時代になると私は信じています。

技術があれば大丈夫……だったのは今までの話です。
時代の変化の時は、すぐそこまで来ています。
IT分野でいえば、私の娘の世代は、学生を終えて社会に出る瞬間には、java、パイソンなどのプログラミングができる状態なのです。
フリーのSEの方々も人間力を付けないと、これからの時代は生き残っていけないと感じております。

まとめ

私は20代から努力をし、20代後半からは子育てをしながら自分の会社経営もしてきました。
先に成功されている方から素直に学び、そして自分の努力でほしい人生を手に入れたのです。

30代後半ではがんという病気にもなりました。
治療に時間やお金がかかりました。
しかし私には経済力がありました。仲間がいました。
会社経営に問題がなかったことで、なんの不安もなく、治療に専念することができました。
努力して人生を変えてきて本当に良かったと実感しました。

いつ何があってもうろたえずに済む自分になるのは、本当に大切です。
泣いても笑っても人生は有限です。
死ぬ時に最高の人生だったと思える人生にするため、私の努力はこれからも続いていくのです。

私はチームビルディング(自分のファン)を増やしながら、事業展開し続けます。

今まで出会った方々に感謝。
日々に感謝。
未来はワクワクしかない。

長くなりましたが、お読みいただきありがとうございました。

半澤円

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