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【自己紹介】 専業主婦7年→フリーランス秘書で起業〜アラフォーからの再出発〜

挑戦する人生を選んだ。


アラフォーにもなると、リスタートした経験が何回かある。

ゼロからになったとしてもやっていけると知っている。

むしろ、手放すことで新しい価値観や出会いを得ることができ、
新しい世界を体験できることがわかっている。

だから不安と向き合い、自分の可能性を信じ、挑戦する人生を選ぶことにした。


はじめまして(プロフィール)

個人事業主として2022年から起業家・経営者のブレイン秘書をしております
井上マドカと申します。

主な実績はこちらです。

  • コミュニティや研修・イベントの運営、プロモーション
    1000人イベント実行委員を始め、野外フェスやアーティストイベントなど、年間30以上のリアルイベントやオフ会、オンライン講座なども含めると70以上の運営に携わっています。
    イベントでは、協賛者や登壇者・顧客対応、プロモーション対応、運営統括、司会など幅広い業務に携わっています。
    コミュニティは、ゼロからの立ち上げにも関わっています。

  • SNS運用代行
    主に、インスタ運用代行をしております。
    4万フォロワーアカウントを始め、複数の万アカウントを担当。
    これまでに17アカウントの実績があります。
    投稿作成・代行から、インサイト分析や今後のアクションのご提案まで、一貫してお任せいただいています。

  • 講師業
    ・インスタ運用代行実践講座(現在6期まで開講)
    ・SNSセルフブランディング講座(満席→キャンセル待ち→増席)
    その他、各種勉強会(Canva、LINEプロモーション、提案書作成方法など)講師

チームで担当しているお仕事は、チームディレクターをしています。

前職は、金融機関と半導体メーカーで研修の企画や運営などをしておりました。

主に在宅で働いておりますが、リアルイベント対応も可能です。

  • 人の可能性を信じ開いていくこと 

をミッションに活動しています。

また、今後は

  • 日本の才能や価値を海外に届けること

もしていきたいと思っております。


私のストレングスファインダーの上位10項目はこちらです。


このnoteを通して、

自分の可能性を信じてチャレンジする方へのエールや、
私のようにキャリアを一旦諦めた方へ、
このような働き方や生き方があることを知るきっかけ

となれば幸いです。

キャリアの始まりと突然の退職

大学時代、学業の成績は良かったが、就職活動は難航した。
就職氷河期で、エントリーシートすら通らない企業も数知れず。
「何にでもなれる!」と思い込んでいた楽観的な自分から、一気に現実の厳しさに直面。
自己肯定感も爆下がりした。

最終的には財閥系の大手企業に就職が決まりホッとした。

就職活動は、会社と合うか合わないか。
ご縁がなかった会社は、自分とはそもそも合わなかったのだ、と捉えることができるようになり、自己肯定感も戻っていった。

入社後、初めに配属された部署はかなり忙しく、朝から晩まで20代はよく働いた。でも思い返せば、この時の頑張りがあったからこそ、ハードワークも最後までやり切る力が身についたと思う。

28歳で結婚し、希望の部署にも異動が決まり、1年くらいは新しい環境にドタバタしていた。思うようにできないこともあり、悔しさも募った。

しばらくして新しい仕事にも家庭にも慣れてきて、やりたかった人財育成の仕事にやりがいも感じられるようになり、賞を頂いたり、昇格も決まったりした。

だか、その直後に、夫のアメリカ転勤の知らせがあった。
やりがいのある仕事ができている中、キャリアを諦めることには複雑な思いがあった。
しかし、学生時代にドイツで短期留学とインターンシップをしていたこともあり、海外に長期滞在してみたいという気持ちもあったので、帯同しないという選択肢はなかった。

アメリカでゼロからの出発

日本の慣れた生活とキャリアを手放し、アメリカへ。
でも気持ちは新しい環境にワクワクしていた。

アメリカで2人の子どもにも恵まれ、育児に追われながらも、旅行やボランティア、習い事と充実した日々を送っていた。

多様な価値観や文化に触れ、私の価値観や考え方も、日本の常識に捉われすぎないようになったと思う。

海外での想定外のトラブルの数々を乗り越え、自分も、家族の絆も強くなった。

一生の思い出もできた。

あの時会社を辞めていなかったら、どんなキャリアになっていただろうと思う時もあるが、こんなプライスレスな経験ができたのだから、会社を辞めたことは後悔はしていない。

夫にも感謝している。

帰国後、逆カルチャーショックと絶望

約5年半のアメリカ生活を経て、日本に本帰国した。

慣れているはずの日本での生活だが、日本での子育ては初めてということもあり、戸惑いも多かった。

急な坂の上に社宅があったので、車移動メインの生活から、公共機関と電動付き自転車、徒歩での移動がメインの生活になったところも大変だった。

また、アメリカでかなり断捨離してきたつもりだったが、社宅では入りきらない状況になってしまった。どんどん運ばれてくる荷物に、途方に暮れた。

長女は幼稚園になかなか慣れず、約3ヶ月間、ほぼ毎朝登園を渋った。

さらにしばらくして、コロナパンデミックが訪れた。
小さい子どもたちを育てている中で、初めの頃は不安の連続だった。
長女の幼稚園も休園になり、夫は在宅勤務になった。

さらにその後、夫は会社を退職して、自分の地元で未経験の業種で起業することを決意した。
私は反対ではなかったが、両親や周り人たちからの反対の声は大きかった。
心配してのこととはわかっていながらも、心が疲れてしまった。(夫はもっとだったと思うが)

東京での家探しや学校探しをしていたので、将来の計画もゼロからやり直し。
社宅も退職後すぐに出ていかなければならない。

絶望の中、いよいよ自分自身の仕事をどうするか、真剣に考える時が来た。

自分がやりたいことは何か

気づけば、専業主婦も7年目となっていた。
当時、子どもは4歳と2歳。
友人も、子育て真っ只中の人が多かった。

正社員の友達は、子育てと仕事の両立に疲弊している人が多く、
専業主婦で、これから働きたいと思っている友達は、
「週5日働かないと好きな事務の仕事ができない。」
「小さい子どもがいると言うとなかなか面接に通らない。」
などと、嘆いていた。

そこで自分はどうしていきたいのかを改めて考えたところ、

  • 小さい子どもがいるので、家から近いところor在宅で働きたい

  • 自分の好きな研修関係の仕事がしたい

いう答えに辿り着き、この2軸で探すことにした。

引越し後、就職活動中の理由で子どもたちは保育園に通えていたので、リミットは2ヶ月だった。

幸運にも、この2ヶ月の間に、この条件にマッチする会社に派遣社員として就職することができ、職場環境も良く、仕事内容も合っており、楽しく働くことができた。

自分の可能性を試したい

就職して1年が過ぎ仕事にも慣れてきた頃、キャリアの先が見えるようになってしまった。
「もっと自分の可能性を試してみたい」と思うようになり、SNSで見かける起業家の仕事に興味を持つようになった。

けれど、器用貧乏な私は、何を専門にしていいのかがわからず、諦めかけていた。

そんな時、起業家の右腕的な存在になれる「ブレイン秘書」という仕事があることを中山ゆう子さんのVoicyという音声プラットフォームで知り、「これだ!」「やってみたい!」とピンと来て、ブレイン秘書を目指すことにした。

オンライン秘書という職業があることは知っていたが、事務代行のみというイメージで、あまり興味を持てなかった。
しかし、ブレイン秘書は、今までの研修運営の仕事や事務の仕事も活かすことができ、ステップアップすれば起業家の右腕にもなっていける。
そこにすごく魅力を感じた。

「ブレイン秘書養成講座」を受講し、複業をはじめ、軌道に乗ってきたところで秘書として独立した。

複業から起業一本にするタイミングは気持ちが悪くなるほど悩んだ。
けれど、お金の安定よりも、自分の本当にやりたいことに時間が使えていないことこそ手放すべきだということに気づき、決断できた。

40歳直前に起業。自分の名前で仕事ができる喜び

40歳直前で、個人事業主として起業した。

最初は所属しているコミュニティに貢献して、そこからお仕事を得ることが多かった。

徐々にX(当時はtwitter)やインスタからもお問い合わせが増えていき、3ヶ月後には、1週間に1度は仕事依頼のお問合せをいただくまでに。

しかも、私の発信に興味を持ってくださる方々なので、価値観も合う方が多く、素敵なお客様に恵まれた。

パソコンとネット環境があれば、どこでも仕事できるという自信にもつながった。

自分の名前で仕事を獲得できるようになった喜びも大きく、どんどんクライアントさんを増やしていったが、クライアント数が10まで来たところで、頭打ちが来てしまった。
1人でやれる限界がこんなに早く来てしまうとは、思ってもみなかった。

クライアントがすぐに増えていった理由は、

  • 秘書養成講座に入ってから、毎日欠かさずtwitter(現在はX)で、自分の挑戦や、想い、学んだこと、お仕事のことなどを発信していた

  • 裏方の仕事の需要が高まっていた

  • ブレイン秘書養成講座は、秘書ではなく起業家が講師なので、起業家のやってほしいことがわかり、起業マインドも持っている秘書になれた

からかなと分析している。

頭打ちが来た後にチャレンジしたこと

1.チーム化

自分でなくても大丈夫な業務はチームメンバーにお願いして、自分はディレクションを担当する案件を増やした。
そうすることで、分析や今後の業務改善・新規企画などについて考えられる時間が増えた。

2.プロモーションができる右腕

クライアントさんの右腕的存在になるには、売上に貢献できるようになる必要があると思い、プロモーションを学んだ。

と同時に、ミッションやビジョンに共感できるクライアントさんと仕事をすると決めた。
利害関係だけのつながりより、ミッションやビジョンが同じクライアントさんの方が、自己犠牲にならず大変なことも一緒に乗り越えていけるし、自分の時間(=命)も大切にできると感じたためである。

3.講師、秘書育成

私の基盤にあるのは、「人財育成」

自分のようにキャリアを一旦諦めざるを得なかった女性や、仕事と家庭のバランスを取るために在宅で働きたい女性にも向いている新しい働き方なので、フリーランス秘書を目指す方の育成をしていきたいという想いがあった。

昨年からは、複数のコミュニティで講師をする機会をいただけることに!

私が「講師にもチャレンジしたい」と以前に言っていたことをクライアントさんが覚えていてくださり、チャンスをくださったことがとても嬉しかった。

裏方のクライアントワークももちろん好きですが、それだけでなく、表に出て教える仕事もすることで、仕事のポートフォリオのバランスも取れたように感じている。

このように色々チャレンジしてきたが、まだまだ課題もある。

これから挑戦したいこと

1.組織化・経営

組織化を進めるために、経営の勉強を実践形式していく予定。
私と一緒に、同じビジョンに向かって切磋琢磨してくれる仲間も増やしたい。
自分のブランディングも再定義して、よりクライアントさんも貢献できるよう、ステージシフトしていきたい。

2.秘書の育成

引き続き、秘書の育成にも力を入れていきたい。
昔の私のように、一旦キャリアを諦めたけど、再チャレンジしたい!と思っている方のお役に立ちたい。
そのためにSNS発信も続けていく。

3.日本の才能や価値を海外に届ける

海外に住んでみて、日本の改善した方がいいところも見えたが、日本の素晴らしいところにも改めて気づくことができた。
日本人の才能や、日本の価値を海外に届けたい!という方のサポートもしていきたいと思っている。

おわりに(noteで伝えていきたいこと)

ここまで長文を読んでいただき、ありがとうございました!

今後も自分の経験でお役に立てそうなことを記事にしていきたいと思います。

具体的には、下記のようなテーマを考えています。

  • 私の挑戦の過程

  • 働き方、生き方について

  • 私の仕事について

  • マインドについて

  • SNSセルフブランディングや発信について

ご興味があれば、フォローしていただけると嬉しいです!

どうぞよろしくお願いいたします。








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