#いじめ #いじめという問題の捉え方
こんにちは madoka 8938 です。
「いじめシリーズ」 が、ようやく全て更新が済みました🙌
いつの時代も必ずどこにでも起こる 「いじめ」 や 「いじめ自殺」……。
わたしはかつて小学生の時に、3年という月日の中で受け続けた 「耐え難い日々暴力のいじめ」 を元に見つけ出した 「いじめを受けないための基本的な対策法」 を、今いじめを受けていたり受けそうになっている人たちに伝える事で、早く誰もがたった1つしかない自分の貴重な人生を満足に歩んで欲しいという思いから 「いじめシリーズ」 を配信しました。
これはシリーズ全ての号が有料になっていますが、どれもはるかに価格以上の価値がある内容に仕上げました。
ただ途中まで無料で読める記事ですので、それだけでは全体像を把握しにくいかも知れないと思って、今後は無料の各号の解説記事も含めて 「いじめ」 についての記事を増量して行こうと思います。
いつの時代にも欠かさず起こるいじめ……。
どうせ生涯1度きりなら、常に 「自分に満足しながら生きて行きたい!」 と思いませんか?
「いじめ」 って実際に自分が 「今自分はいじめを受けているんだ!」 と自覚しないとなかなか考える事は無いものです。
一言で 「いじめ」 と言ってもその態様はまさに様々です。
例えば、会社の上司が数居る部下の中でも明らかに自分だけに態度や口調が冷たくて厳しいと感じたとします。
自分としてはそれを 「自分を標的にしたいじめ」 と受け止めて、その上司に対して文句は言えないけど、さりげなく態度で思い切り反抗します。
でも実はその上司は特に自分をいじめている意識は無かった……。
上司も人間なので 「合う人、合わない人」 を感じるわけです。
それがたまたま自分は何も意識していなくても、上司にとって自分は何となく 「合わない人」 と感じただけの話なんて事もあります。
だから無意識に態度が冷ややかになっていたと。
また、上流家庭の地主さんの家に若くてイケメンの息子が居たとします。
その地域では、誰もがその地主さんの家庭に憧れていました。
特にその息子と同じ世代の娘が居る家庭では、親は当然自分の娘を地主さんの息子のお嫁さんにしたいと願っていた……。
そして娘もまた、年頃になった頃からそのイケメンな息子と結婚したいと思い続けて来た…。
そんな家庭が複数あったとします。
でもある日突然その息子に、他県から嫁として嫁いで来た女性が!
これを不満とした地域の住民は、タッグを組んで何とかその嫁を息子と別れさせてその地域から追い出そうとしました。
そしてわざわざ町内会の行事にその都度誘っては、ジワジワと1人で来た女性をいじめ抜いて行く。
嫁は何とか息子やその地域で権力のある地主である義父や義母に相談したかったけど、町内の人たちの圧に潰されて相談も出来ず、結局日々1人いじめに苦しんだあげく、高いビルから飛び降りて帰らぬ人となってしまった……なんて事もあるわけです。
他にもたくさんパターンはありますが、キリがないので割愛します。
このように 「いじめ」 とは、本当にキリがないほどのパターンがあります。
それを 「いじめ」 という意識でやるかやらないかは人それぞれ。
「いじめを受けている」 と感じるか感じないかも人それぞれ。
なので、相手はいじめているつもりは無い事を自分は 「いじめられている!」 と受け止める事もあれば、逆に相手は 「いじめてやろう!」 と思ってやっているのに、自分は全くそうは感じないなんて事も多々あるわけです。
結局 「いじめ」 とは 「受けている!」 と自分が感じれば、それは全てその本人にとっては辛くて苦しい 「いじめ」 だと思うのです。
「じゃあそのいじめを誰かに相談して解決してもらえばいい」。
一般的に学校でも社会でもよくそう言われます。
でもそれは間違いです。
なぜなら、いじめは本人にしか解決出来ないからです!
親や先生や、例え警察官などに頼ったって、こればかりは解決するものではないのです。
むしろ余計にいじめっ子をあおってしまい、事を複雑にするのがオチです。
では、何故いじめは起こるのか?
これも数限り無いパターンがあると思います。
例えば集団の中には必ず 「ボス的な存在」 の人がいますが、自分では何の悪気もなく言った事がたまたまそのボスが何より癇に触るような内容だったため、以降自分を標的にいじめらしき態度をするようになった。
すると周りも、下手にボスにやめるように注意したりすれば、自分までいじめの標的にされる可能性があると考える。
だから下手な事は言わずにボスが満足するように一緒になって 「いじめる側」 に身を置く。
そのため次第に 「いじめの標的」 が確定していじめられる事が日常化して行く。
これはわたしが受けたいじめと非常に似たパターンです。
わたしの時も、それまで何の問題もなく普通に学校に通って毎日クラスメイトと仲良く楽しく会話したり遊んだりしていました。
それがある1つの行動を仲良し女子の2人としたために、ある日突然学校に登校した時からわたし1人だけがいじめの標的となって、それから3年間登校した日は欠かす事無く暴力の嵐を1日中受け続けるというひどい目に遭いました。
その時の詳細は 「いじめシリーズ」 に書いています。
この時も、特にクラスメイトに迷惑をかけたり悪い事をしたりしたわけではなかったのですが、結局クラスのボスだった男子が先頭になって暴力を振るったため、周りも自然と自分の身の安全のために右へ倣えとなったわけです。
他にはある女性が物凄く美人でスタイルも頭も良くて学校とか職場などで非常によくモテていたとします。
それを周りの女性軍は悔しくて腹が立って仕方なく、とにかくそれが気に入らなくてどうしようもありません。
そう、いわゆる 「女の嫉妬」 というものです。
その嫉妬する女性軍の中にも、必ず 「ボス」 はいます。
その 「女ボス」 が嫉妬のあまり、ある日突然美人の女性をジワジワといじめ始めます。
すると他の嫉妬している女性たちも、ここぞとばかりボスに付いていじめに加担します。
「女の嫉妬は恐ろしい」 とよく言われますがまさにその通りで、陰険ないじめが日々増して行きます。
するとその美人な女性は耐えきれず、学校だったら登校拒否や中退、会社だったら辞職、下手をすれば 「自殺」 なんて事もあります。
他にもこの 「いじめの原因」 についても無限にパターンはあるわけです。
このように考えるとわたしたちの周りには 「いじめを受ける原因」 は、日々ありとあらゆる所にあるのだと思います。
今まで 「自分はいじめなんて1度も受けた事はない」 と思っている人も、実は気が付かない内にその人をいじめる意図を持って、そのつもりで実行していた人が周りにたくさん居たかも知れません。
今回のこの記事で、わたしが何を1番言いたいのか?と言えば、それはまさにそこなのです!
そう 「いじめとは、その人の物事の受け止め方や考え方によって確定するもの」 という事だとわたしは思っています。
それはわたしが実際に3年間という長い月日の中で日々暴力のいじめを受けていた時に、その周りの人を見て来たり、社会に出てからも 「いじめを受ける人」 のある共通点を発見して来たためです。
わたしが見て来た限りでは 「いじめのきっかけ」 になるような事は、いつの時代にもどこにでもたくさんありました。
でもそれは、その 「きっかけ」 を目の前にした時に、個々の受け止め方や考え方によって標的になるかならないかがほぼ確定します。
例えばわたしがいじめを受けていた小学生の頃だったら、4年生の時に転校して来たある女子がいました。
彼女は非常に可愛い顔をしていたので、男子たちは自分に気を引こうと優しく接してチヤホヤしていたのですが、それに嫉妬した女子たちは 「転校生」 という事もあって、初めは相当きつく接していました。
早く言えば、女子たちはその転校生の女子を 「いじめの標的」 にするつもりだったわけです。
ところがその転校生の女子は、どんなに周りの女子たちがきつく辛く接しても、何一つ反抗もしないし常に堂々と今自分がやるべき学校の活動を平然とこなして行くというような人でした。
その内周りの女子たちは 「Rちゃん Rちゃん」 とおだてるようになり、いつの間にかその転校生女子はそのクラスの人気No.1の座を獲得していました。
他にもわたしは学校を卒業してから長年夜の仕事 (いわゆる水商売) をしていたのですが、従業員は女ばかりの世界なのでこれがなかなか陰険なところが多分にあって、新人が入って来るとあたりまえのように意地悪が始まるのです。
その中で、何をされても言われても全く動じる気配もなく、堂々と自分なりの商売のやり方を貫く人もいれば、初日だけは働いて次の日からは来なくなってしまった人もいたし、初めは耐えていたけどしばらくしてからいきなり爆発して先輩たちと大喧嘩になって最後は勝利してその店のリーダー格になったなんて人などたくさん見て来ました。
逆にわたしのように、特にクラスメイトに何かをしたという事も無く、普通に学校に登校したらある日突然いじめを受ける雰囲気になった時に、何も反抗出来ずにただ周りの雰囲気に流されて怯えているような人は、「いじめの標的」 にしやすいのです。
いじめというものは、やっている方はある意味おもしろがってワクワクするような感覚があると思います。
人はそう思った時に何も障害が無くやりやすいと感じると、そこに集中してのめり込みたいと思うものです。
なのでわたしのように何も反抗しないでビクビクしていれば、おもしろい気分がどんどん増して勢いもどんどん増して行くわけです。
誰だって当然いじめなんて受けたくないはずです。
それは人としての共通点だと思います。
じゃあ何故世の中日々常にいじめらしき雰囲気がどこにでも起こる中 「いじめを受ける人」 「いじめを受けない人」 が居るのか?
その答えは1つ!
それは 「その人の人格」 によるものだとわたしは考えています。
常にどんな時でも 「自分の意思に正直に生きている人」 は、例えいじめらしき雰囲気を目の前にしても自分の反論する気持ちを正直にそのまま出して堂々としている。
そして納得が出来なければとことん反抗出来る。
すると相手の中から自然と 「いじめの標的」 という思いが削除される。
逆に相手が仕掛けて来た時に、本当は反論したい思いが多々あるけれど、それをどうしても言えなくて相手の雰囲気に従って小さくなってしまう。
そこに相手の 「これはいじめの標的にしやすい!」 という感情が自然と確定するのです。
わたしは自分のいじめ経験上 「いじめを受けないためのたった1つの対策法」 を見つけ出し、これを今いじめに苦しんでいる人に伝えながら、一刻も早く 「いじめ自殺」 というものを無くしたいという思いから、それを自信を持って伝えて行きたいと思いました。
少し関連する事例を上げると、わたしの今は亡き父親は元々物凄く堅物な人で、幼い頃から殆ど笑顔を見た事が無いというような人でした。
仕事が休みの日に家に居ても、朝から晩までテレビのスポーツ番組を好んで見ていたのですが、1日中ずっと無言でまるで鬼瓦のような顔を変えずにテレビとにらめっこしているような人だったのです。
そんな父親を見て育つ中、わたしは父親に怒られるのが怖くていつも父親の機嫌を良くするように気遣っていました。
自分が思う事も 「もしかしたら怒られるかも知れない」 と警戒して素直には言えなくて、ただ父親の顔色を見ながら満足するような言葉を選んで話していたような感じでした。
そう、今思えばそれがそもそもわたしのいじめを受けやすい人格を作ってしまったのかなと。
どこに行っても誰と接するにも、相手が不機嫌にならないようにという事ばかり考えて、常に自分の思いを殺して相手に合わせようとする。
そんなスッキリしない自分にストレスを感じながらも、とりあえず周りに合わせておかなければ!という悪循環がいつも心のどこかに存在して、自分に腹が立って仕方がない状態の繰り返しで……。
でも、これを父親のせいにしようとは思いません。
ただ単にわたしが元々そういう気の小さい性格だったのだと思います。
このように、いじめを受ける人にはそれぞれいじめを受ける要素のようなものがあると思います。
でも、もし自分が 「いじめを受けそうな場面」 に出合った時のために、今からすぐに 「いじめを受けない人格」 を備えて欲しいと思います!
「いじめシリーズ」 では、わたしの実際に受けたいじめ体験を公開すると共に、「いじめを受けないためのたった1つの対策法」 を各号で詳細に書きました。
この対策法は、いじめに限らず人が生きて行く中でいつの場面にも必須であり、満足に生きて行くための基本になる内容と思います。
運良くこの世に生まれたたった1度の人生を悔いなく満足に生きて行きたい!
この思いをあなたと共有して叶えられる事を期待して止みません👍️