映画『エルヴィス』を観て
なんだかインプットが足りて無いなぁと思うこの頃。
毎月の目標として映画を一本以上見る、と掲げてみました。
4月はようやく一本だけ見れて公開の時から気になっていて見れなかった『エルヴィス』を鑑賞。
ちなみに映画も洋楽も精通していない者が好き勝手に書いてる感想なのでご了承下さい。
エルヴィス・プレスリーという人物を全く齧ったこともなく、どちらかと言うと歴史的人物のような認識だったと思う。
映画を観て彼の生い立ち、時代背景、スターへの道のりから最後までを知り、エンタメとして映画を楽しむというより歴史映画を観ているようだった。
しかし華やかに見えた彼の人生は搾取される人生だった。
輝かしい功績を残したスターでさえ搾取されるのか。いや、それとも注目される人の人生というのはそもそも搾取される人生と同義なのだろうか…
身近な人から搾取されることはスターでなくとも起こりうる。
血縁同士で稼ぎの多い者に金吸い虫のごとく集るのはよくある話だろう。
血縁、家族だとしたら、たかられていると分かっていても拒めないことの方が多いのではないだろうか。
ある種の悟りのような諦めなのだろう。
自分が養わずにのたれ死なれても目覚めが悪いというのもあるだろうし、この人を見捨てないことが自分のすべきことと認識し養い続ける。
そのような感情もあるのではないかとも思う。
マネージャーのトム・パーカーは血縁では無かったが、エルヴィスにとっては切っても切れぬ関係だった。
彼の借金を背負いながら、立ち上がれぬ身体に鞭を打ち、最後までステージへ向かい続けた。
家族に見捨てられてもステージに立ち続けた。
薬の影響もあっただろうが、どこか悟りのような気持ちもあったのではないかと思ってしまった。
もう一生逃れられない、ならばもう生きる使命をこの人に見出さなければやっていけない。
スターの人生というのは凡人には計り知れない。
だが映画を通して彼もやはり苦しみもがきながら生きた、自分達と同じ人間だったことを少しでも知れた気がする。