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美しい物語のようには
巷にある異性愛を題材にした映画やドラマや小説は、
必ずと言っていいほど相手を思いやるというエピソードが入っているように思う。
それを伝えて物語にしたり、伝えず偲んで物語にしたり、
その手法は様々だけど想いは必ずあって、無くて成立するだろうか。
例えばカップルが、女は男を、男は女を思いやり、
ならば物語は成立するが、
男は女を、だけど女は自分のことばかり考えてる、は成立するか?
ロミオはジュリエットを思いやるのだけど、ジュリエットはロミオの家の資産ばかり気にしてます、でストーリー的にイケるのだろうか。
それは物語の中心では無くて脇役のエッセンス的に入れられたエピソードなら効果があるかもしれない。
話の中心人物ロミオとジュリエットがお互いにや、どちらかが完全に、相手のことを見ていないでの恋愛物語って成立するのか。
自分の結婚生活を振り返ってみた時に、この私の物語を誰が夫婦愛の物語と認識するだろうか?全く成立していない、と思った。
もちろん、現実は愛し合っている夫婦だったとしてもそう美しいばかりじゃないのは重々承知してる。生活を共にするのは綺麗事ばかりでは無い。
でも、上手くいってる人と人の間にあるものは、
常でなくてもどこかに美しさがあると思っている。
男性に普段は多くを求めず、危機管理だけは頼りたいというのが結婚観だったが、多くを求めなかったらどんどん甘えられ、危機になった時には
「俺の言うことを聞かないからそうなった。」と手を振り払われた。
元夫にとって結婚の意味って何だったのだろう?と今でも思う。
自分でパンツを洗わないで良いこと?
と思い浮かんだので書いてみたけど、
何だか本当にそうな気がしてきてしまった。
となると、私はパンツを洗うための人間だったのかも。
パンツを洗いたくない男と、その男のパンツを洗う女の物語は、、、、
愛の物語では無い。
ということで、10日くらい前にパンツを洗う女をやめました。