講和集(3)
「神はすべてのものより前に理性をお創りになられました、と言われることの意味とはなんでしょうか」という問いに対する答え。
すべてのものにはそれぞれ目的が与えられている。例えば、いくつかの木の目的は、実をもたらすことである。一粒の小麦にも、葉っぱや枝、穂があると自然に想像できるように、理性にもすべての存在世界と宇宙が付随しているのだ。どの植物も木も、自らの種子がのぞむ姿で表われ出でたのと同様、人間も、生まれる前に心の種が要するものを、生まれた後のこの世界で心の中心に据えるだろう。
そうとも、木にとっての完全な状態が、実をもたらす段階まで成長することであると言うなら、同じように、人間にとっての「完全」も「自由」(魂が神以外のものとのつながりから解放されること)も、ただ生まれる前の姿に到達するくらい成熟するということだと言える。つまり、すべてのものの種は、それら自身の実である。また、すべてのものの実も、それら自身の種なのだ。(168頁)
(※)種は実、実は種。人間も木と同じ。実になる、ということは種のなかに込められた本来あるべき姿に戻る、ということ。生まれる前の姿に戻ることが、完全になるということ。諸世界は理性という種によって生まれた。諸世界・宇宙の凝縮である人間が、理性に戻ることが「完全」の意味。円環の始点であり、終点に至ること。
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