緩速濾過法と急速濾過法
おいしい水の探求 小島貞男著より抜粋
●緩速濾過法
ロンドンの水道会社の技師ジェームズ・シンプソンが考案した。その後1892年ハンブルグで流行したコレラで、その真価が認められ、ヨーロッパ各国に広まる。これを契機として、緩速濾過法は地表水に対する最も有力な浄化法であるとしてヨーロッパからアメリカに広まり、わが国でも全国各地で採用されるようになった。事実、戦前に作られたわが国の水道はほとんど全部この方法であったから、水源の清純なことと相まって日本中の水がおいしかったのである。しかし戦後、経済発展に伴ってほとんどの水道が薬品の力で浄化する急速濾過法という、いわばインスタント浄化法に変わってしまった。
浄化力
緩速濾過法はまったく薬を使わず、ただ砂でゆっくりこすだけなのに、その浄化力は大変強い。たとえば濁りや病原菌をほぼ完全に除去できるばかりでなく、鉄、マンガン、アンモニアなども完全に取り除くことができるし、合成洗剤の主成分であるLASも、それから藻類や小動物の類いもほんとんど全部除くことができる。それにもっとありがたいことは水の味を台なしにする臭気、ことにカビ臭までも完全に取ってくれることである。
浄化の仕組み
コンクリートのプールのような水槽に、下の方から大きな玉石、その上に砂利、その上にもっと小さな砂利、その上にもっともっと小さな砂利といった具合に砂利を数層重ねて置き、さらにその上に80cm~1mぐらいにの厚さに砂を敷き込んだものである。この層を通してゆっくりと水をこす。つまり、一日かかって厚さ5mの水が下に抜けていくぐらいの速さでろ過するのである。
実際の適用例
100年も前から汚れた汚れたとさわいでいるライン川から取水して緩速濾過しているアムステルダム市の水道を訪ね、緩速濾過が可能な秘密をたずねてみた。「汚れた原水をそのまま緩速濾過したら、浄化できない。そのようなときには、前もって原水を浄化して緩速濾過に向くような水質にしてからろ過すればよい」という。
「それでは、どんな方法で前処理をするんですか」「まずライン川岸で擬集沈殿と急速濾過をしたのち55kmも離れた砂丘にポンプで圧送し、ここで地下に浸透させる。約二ヶ月間滞留したものを地下水として取り出すと、バクテリアもアンモニアも濁度もほとんど浄化されている。そこで、これを再び急速濾過にかけてから、いよいよ緩速濾過池に導いて仕上げをする」という。
実に4回もろ過にかけ、しかも一つは地下浸透である。「しかし日本には砂丘はない」というと、「ではロンドンのやり方を参考にしたらよいでしょう」という。ロンドンに行ってみると、ここではテムズ川の水をポンプで汲み上げて貯水池に導き、ここで約二ヶ月間貯留する。この間に大腸菌やアンモニアは激減し、濁度も減る。しかし反面、プランクトン藻類が激増する。そこで、この水を浄水場に導き、まず細かい砂利層による粗ろ過(薬品をいれない急速濾過)、または微細金網を用いたマイクロストレーナーでプランクトンを除去したのち、緩速濾過している。
つまり、あらかじめ汚れた原水を浄化して、昔の水質に戻してから緩速濾過するという方式を取ることを知り、短兵急な日本のやり方を恥ずかしく思った。そして、汚れた水を浄化するには、緩速濾過法が最もよいのだという信念をもっているように見受けられた。これに対して日本は、汚れた水を直接ろ過し、機能を失えば、汚れた水には緩速濾過法はだめだといってあっさり急速濾過法に転換してしまった。
●急速濾過法
急速濾過はアメリカで開発されたもので別名アメリカ式ともいい、また緩速濾過法が天然の浄化力を利用するのに対し、薬品の力を用いて機械的にろ過するので機械ろ過と呼ぶこともある。わが国では明治41(1908)年京都市ではじめて採用され、その後2〜3の大都市で補助的に用いられたが近年まで普及しなかった。ところが第二次大戦を境として、戦後は規模の大小を問わず競って急速濾過法を採用するようになり、最近ではあたかも急速濾過法万能の感がある。
浄化力
急速濾過法の浄化力は、緩速濾過法と比べればかなり劣る。たしかに濁りや色はよく除くことができるが、細菌に対しては除去が十分でなく、したがって衛生的安全性に関しては塩素消毒が頼りである。また、急速濾過法ではアンモニア、マンガン、臭気、LASなどはまったく除去できないし、容存有機物の除去能力も緩速濾過法と比べるとかなり劣る。
濁りについては100%除去できるが、色度や細菌は数%は漏れる。またプランクトンは5%くらいは水道水中に残るし、小動物も漏れるというのが急速濾過法の実力である。
浄化の仕組み
急速濾過法ではどのようにして水をきれいにするかというと、まず原水に硫酸ばんどとか、ポリ塩化アルミニウムとかいったような薬、擬集剤を入れる。そして、急速混和してよく薬と水とを混ぜ、次いでゆっくりと20〜30分間もんでいるとゴミやらバイ菌やらプランクトンなどがお互いに集まり、擬集剤がのりとなって大きな浮遊物に成長する。これらをフロックというが、十分フロックが育ったところで水を静かに沈殿池に入れてゆっくり流す。すると、大きな重いフロックはどんどん沈んでいって、やがて底にたまる。そこできれいになった上澄み水を集めて砂でろ過するのであるが、このろ過の速さは大変速く、一日の速さに直すと120〜150㎥という速さである。そこで、急速濾過法という名前がついた。
●これが水道水の実態!
緩速濾過法も急速濾過法も、「一旦人間に汚染された天然水を、元に戻す」ために、「人間が考え出した」。つまり、どちらの浄化法も目指したのは「天然水」であり、その「水質」だ。だが、自然界が掛けているだけの時間もスペースも労力も、人間界では「掛けよう」がない。時間もスペースも労力も、人間がその時持つ「時間の観念」に合わせ容易に端折られてしまう。人間の「知恵」では、人間の作り出してしまった「毒」は十分取り切れないのだ。だから、水俣でも足尾でもたくさんの人が命を落とした。
小島先生は、「天然水が一番安全で、一番おいしい」という言葉を残した。だが、人々には「この言葉」は届かないし、届いても「この言葉」の本当の意味は伝わらない。私たちが自然から遠のいた分、自然のシステムが持つ「奥深さ」が、人々には理解不能な代物となってしまっているからだ。
天然水が地球上の生命を育み始めてから、もう何億年という歳月が流れている。その間に、この天然水浄化システムはほぼ「完全無欠」なものとして出来上がっている。一方、緩速濾過法の歴史は200年だ。だが、この200年を通して、その安全性は証明され、また人々の知恵により磨かれてきた。その浄化システムに共通しているのが、「生物濾過」という点だ。緩速濾過法で水を清純なものにしているのは、実は「微生物」の働きなのだ。「天然水浄化システム」に学んだ緩速濾過法は、その原点故に、原水の水質が悪化すればそれに対応する「きめ細やかさ」や「意識」を内包している。一歩でも、自然が掛けている時間や空間や労力に近づけようとする「謙虚さ」が、そこにはある。
それに比して、急速濾過法は薬品を投与して「飲み水」を作る。河川に含まれる不純物を取り除くにも薬品を入れ、また「微生物」を殺すのにも殺菌剤を投与する。つまり、「一旦人間に汚染された天然水に、更に薬品を加えて飲み水とする」。それは、まったく、自然の浄化法を無視して、わざわざその真逆を突き進むことに至った浄化法だ。今の日本の水道水は、そうした考えに沿って作られた「人工水」だ。大量生産のため、「手間、暇、コスト」を省いた、添加物満載の「安全な水(?)」というわけだ。余り長い説明をすると要点が「ボケ」てしまうので、やめにしたいが、殺菌剤というものはかならず「耐性菌」を生み出す。その「いたちごっこ」を繰り返しながら、体内に入った人工水は人体の免疫システムにちょっかいを出したり、それ故の「障害」を引き起こす。私たちは、日夜「その水」を摂取し続けている。そして、私たちの多くが、こういうものを「配給」されながら、日本の水道水は「良い」と信じ込んでいる。
玉川浄水場長として、日本で一番汚れた原水と格闘を続けた小島先生も水道水に大量の薬品を投与した。その上で、その効果のほども知り尽くすこととなった。そして、ヨーロッパで行われている「地道」で「入念」な「緩速濾過法」を見て、衝撃を受けた。それが「短い」抜粋からも読み取れる。多くの人々の健康を左右してしまう水道水に関わる人間が、自分たちが取ってきた方法の「不十分さや不完全性」を知る。それを知り得た者が、「愕然」としないはずはない。だが、その思いが日本の水道行政にフィードバックされることも、「急速濾過法」が見直されることもなかった。結局、小島先生は、自分が得た確信を曲げてまで薬を投与し続ける現場に「とどまる」ことはできなかった(しなかった)。きっと、「暖簾に腕押し」状態に耐えかねたのだろう。小島先生は、緩速濾過法の「普及啓蒙」へ独自に突き進む道を選択された。
日本に急速濾過法を持ち込んだアメリカは、人体実験の末「明白な結論」に達した。「最も基本的な食品」で「毎日2ℓは最低でも体内に取り込まなければならない」ものを「急速濾過法に頼るのはリスクが高過ぎる」と。アメリカでは、もう30年以上前から、ガロンボトル入りの(天然)水が「飲用や料理用」として、水道水に取って代わっている。しかし、アメリカの「後を追い続けてきた」はずの日本は、目の前を行く「手本」が居なくなったことに気付いていないわけではない。そのことは「百も承知」で、日本の行政は平然と「高リスク」な人工水を配給し続けている。だが、私たち国民には、その現実が知らされていない。だから、誰も、その配給水の危険性を認識していない。
なぜ?「こんなこと」になってしまっているのか?私たち個々人が、少しでも「想像力を発揮して考えない」といけない!日本だけが、疑うこともなく未踏の地に足を踏み入れている。それが「人から羨まれる」ような「一人旅」なら良いが、「そう」ではない。化学物質による汚染が進む現代では、すっかりその信用性が失われ、あのアメリカですらやめてしまった濾過法を日本は取り続けている。少しも現代的ではない低レベルな濾過法が日本だけで続けられている。小島先生の「声」すら、掻き消された。今では、「おいしい水の探求」を読む人もいない。私が、その「抜粋」を掲載しても誰も読もうとしないで、「随分前の本なんでしょう」と嘲る。暗に、「今はもう改善されているはず」だという「思い(込み)」が伝わって来る。
だが、「一つだけ」は明確にして置く。日本の急速濾過法そのものは一切顧みられることなく、今でも続けられている。確かにこの間「下水道」の完備が進んだお陰で、河川の汚れは少しだけ改善された。だが、それ以外は何一つ変わっていない。アメリカで中止された「人体実験」は、人々には「それと知らされずに」、今でもこの日本で続けられている。
それを「経済的」な要因から(か?)、人々は「黙々」と料理を通して体内に取り込み続けている...。
そして、少なくとも大型容器の「水」を取り扱う者たちは、自分たちが供給する「(天然)水」と「水道水」が、「どうちがうのか?」を説明し切れる程度の知識を持たねば、話にならない。