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宗教2世であるということ。

今日12月10日、国会で世界統一家庭連合(旧統一教会)問題について、被害者救済法と改正消費者契約法が自民、公明などの賛成多数で可決され、成立しました。
統一教会についての問題は多々、メディアで取り上げられていますが、今、特に注目されているのは宗教2世と呼ばれる、親が信者でそのまま本人の意思関係なく信者になった子供たちの問題です。
そんな中、一人の宗教2世の方の話を聞く事が出来ました。仮にAさんとします。
ただ、彼女は統一教会ではなく、母親がエホバの証人の信者であり、彼女も物心が付いた頃から教会へ連れて行かれていました。
エホバの証人は戒律が厳しい事で有名ですが、特に輸血拒否では1985年6月6日、交通事故で病院に運ばれた10歳の信者が医師や祖父母が説得するも信者である両親が輸血を拒否し、少年が亡くなるという事がありました。
他にも、祭りには参加しない、子供会なども駄目、通夜、葬式も無く、遺影、お墓も持ちません。遺骨は残らないように焼くか、無縁仏として以後の関わりを無くします。神仏は拝まない、合掌はしない。日本の伝統文化の習慣は一切行いません。誕生日もクリスマスもハロウィンもありません。国歌も歌いません。子供たちは学校でも給食の時にいただきますで、手を合わせては駄目です。体育や部活での武道は禁止。校歌も歌いません。漫画、映画、テレビ、インターネットは避けるよう指導されます。
個々の家庭によって多少の違いはあるかもしれませんが、ほぼこんな感じで、これでは通常の社会生活で障害があるのでは?と思われます。特に子供達にとっては、相当に厳しい事と思います。
Aさんは言います。「子供時代に一つも楽しい思い出が無かった。」
そしてエホバで、特に問題だと思われる事は子供を「戒め」と称してムチで叩くという事です。これは聖書に「しつけにはムチで叩く」と書いてあるからで、ムチで叩くほどその子供が良い子に育つとされているからです。実際には本当のムチではなく、ベルトだったり自作の物だったりするようですが、Aさんも母親から頻繁に叩かれ、皮膚が剥けた事があるそうです。いくら教義であるからといっても、年端のいかない子供をムチで叩く事に母親が抵抗はなかったのか?その点をAさんに聞いてみると
「無かったと思う。叩けば子供は常にいう事聞き、子育てが楽になると思っていただろうから。」
一度、Aさんの身体の傷に気が付いた祖母が母親に注意をしたのですが
母親は「この子が言う事を聞かないならやるんだ。」
「悪いのは全て私で、自分は一つも悪く無いと本気で(母は)思ってたと思う。」とAさんは言います。
結局、Aさんはエホバの教義にも疑問ばかりで賛同出来ず、半ば強引に家を飛び出して今は両親とも絶縁状態です。
Aさんの家族の場合、信者であったのは母親だけで、父親は信者ではありませんでした。そうなると、どうしても反対する父親と母親の喧嘩は多くなります。おかしいのは幸せになりたくて信仰している筈なのに、家庭内は揉め事ばかりで子供はムチで打たれ、まさに地獄絵図です。ですが、集会でその話をすると迫害に負けずに頑張っていると賞賛されるらしいのです。そして監視社会のようにお互いを牽制し、周りから何重にも洗脳が解けないようにロックをかけられていく。
そんな中で自分を曲げずに自らの意思で抜け出したAさんは本当に勇気ある人だと私は思います。
そのAさんに今、起きている統一教会の問題について聞いてみました。特に現在、テレビに出ている2世信者さん達が言ってる事などについても、どう思われるか?解散命令が出されれば、それでこの問題は解決するのか?Aさんは
「宗教2世の問題は、全て自分で考える事をやめた親のせいだと思う。人それぞれ幸せの形は違う。それは自分で手に入れるものだと私は思います。国が仕事を支援するとかなら分かりますが、賠償請求や生活保護は違うと思う。子供達は自分の力で立ち上がって、なんとかしなくては駄目。」
「特定の宗教団体を無くしても、また違うモノに騙されると思う。それは個人に問題がある。法律で子供達を救うなら、親の都合で入信はさせないようにすべき。成人してから本人が決めるとか、そうした括りを作らなければ何も変わらない。」
Aさんが繰り返し言っていたのは、
「人生は自分で切り開く事。それが出来ないからと、社会や国になんとかしてくれは何か違うと思う。」
という事でした。手厳しい言い方かもしれませんが、Aさんが母親から肉体的、精神的に虐待を受けても尚、自分の足で立ち上がり自立して、まさに自分で人生を切り開いたからこそ、言える言葉だと思います。
確かに社会や国も考えるべき問題だし、救済措置も必要でしょう。
しかし、親を子供が選ぶ事は出来ない、親ガチャに失敗したと諦めるより、自分自身の力を信じて立ち上がって欲しいと私も思います。

今、安倍元首相を銃撃した、山上容疑者に同情の声も集まっているようですが、それは正しいでしょうか?自分自身の生い立ちが不遇だったからと他人を殺害して良いでしょうか?
Aさんはこうも言っていました。
「子供の頃、一つも楽しい事がなくて大人に対する不信感と日本ってなに?日本人の私って何?と疑問ばかりだった。でも今、自分が食べている物、身につけている物も誰かが作ってくれたから自分が手にする事が出来た。全てのモノに神は宿るというけれど、その事に感謝する事が神を信じる事ではないかと思う。私は日本に生まれた事だけでも幸運だった。そして今、自分がやりたい事が出来て毎日幸せを感じる事が出来ている。だからここまで来る過程にも感謝している。」

壮絶な体験をしてきたAさんの言葉は本当に重く、考えさせられる事ばかりでした。
同じように宗教2世で今、辛い思いをされている方に少しでも勇気を持って踏み出す事が出来たらと思わずにいられません。そして、そこから立ち上がって出てきた子供に救済の手が直ぐに差し伸べられる社会であって欲しいと私は考えます。問題は宗教団体を解散させる事ではないでしょう。それで解決する事ではありません。

記事作成 eve

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