見出し画像

太古から半永久的に生き続けてきた【生命のバトン】

宗教や死という概念を超えた世界観

私は微生物の深い世界に浸かっていたが、もっと誰もがわかる概念に近付きつつある。

人間は死なない?!

私たちが理解してないのは宇宙的時間の概念で、私たちの時間の理解度は犬以下と言っていい。

生死にはもっと大きな何かが動いているはずだ。

それは、私たちが日常で気付いている何かより、もっと大きな力だと思う。
しかし私には、それを伝える知性もDNA構造もない。

そこで、自分よりマシな脳構造持つ専門家の論文を引用し、死に対する勇気を得たいと思う。

現在の地球に暮らしている、ヒトを始めとした様々な生物は、元をたどれば、“物質”にすぎません。ヒトは生物と無生物を認識できるが、生物にとって、そうした認識は意味がない。例えば、ヒト以外の動物からすると、「石は食えないけれど、ウサギは食えるぞ」といった認識のほうが、はるかに重要です。

つまり生物にとっては本来、「生きること」も「死ぬこと」も大した意味がないのです。

生物の死が避けられない以上、ヒトも、死を恐れてばかりいても仕方ないとはいえ、地球上で最も知能が発達した人類は、ほかの生物と違って、生死を認識できるが故に、「死を最も恐れる生物」であるとも言えます。そのため、死の恐怖から何とか解放されたいと、宗教に救いを求めたりする人も多いが、誰もが納得できる「ヒトが死ぬべき理由」を知ることで、死を前向きに捉えることができるのです。

動物はそれぞれ、個体として生きています。私たち人類も一人一人、自我を持っています。だからこそヒトや動物は、個体としての「生と死」のライフサイクルを繰り返すことになりました。しかし、「遺伝子という切り口」から生物を見ると、全く違った世界が見えてきます。

例えば、単細胞生物であるバクテリアは、ヒトや動物と違って、何回も細胞分裂することができます。つまり、再生して生き延び、自己の遺伝子を保つことができるのです。

遺伝子は、生物の生殖行為によって親から子へと継承される中で、さまざまに変異し、無数の生物種を生み出しつつ、「約38億年前の太古から半永久的に生き続けてきた」とも言えるわけです。

言い換えれば、私たちも人類の長い歴史の中で、駅伝ランナーの一人として、遺伝子という「生命のバトン」を先祖から受け取り、次世代に受け継ぐ役割を担っていると考えられるでしょう。

個体としては死んでしまっても、遺伝子が残っている限り、現世のどこかで、私たちの一部が「生き続ける」ということは断言できるでしょう。

生命のバトンタッチは、自身の子どもである必要はありません。死んで土に返れば、体が分解されてほかの生物に取り込まれ、その生物の一部として生き続けることになるわけですから。

地球の生態系を維持するのに、実は、生物の死は不可欠とも言えます。
生物が死んで分解されることで、新しい生物の素材が供給され、生態系のリサイクルシステムが成り立っているからです。

死によって、肉体が完全に消滅してしまうわけではありません。「自分の一部は、形を変えてどこかでずっと生き続けている」と思えば、死後を考えたときの虚無感や寂しさも、少しは紛れるのではないでしょうか。

Hiroプロデュース

Madman Hiro

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?