病に矯正されたもの
いやぁ、収入を生めてないって、焦りますね。
これはフリーランスはじめました期あるあるなのかしら。
はー、文字にできた。
これで40分ぐらい、最初の1行を書くべきか書かぬべきかといったりきたりしていました。
さて。
「思春期の子ってどうやって接していくんだろうね?」的なことを母と話していました。多感な時期だし、いろんなものに影響を受けることもあり、むつかしい時期だしね。
…ん、もっと自分って横着だったはずだよなぁ…と。
子どもの頃の僕自身を省みながら、ふと。
僕の性格は、何で構成されたのだろう?
と、ふと思い。
中学高校と、バレーボールをやっていました。
高校1年生でレギュラーになれました。2年生でキャプテンになりました。
「なぜ努力しないんだろう?」
と、周りに対して思っていました。口にはしませんが、大体そんな人だった気がします。
すでにヤバいやつですね。
このまま社会に出て、はじめからいいスタートが切れようものなら、なんとなーく、どんな人に育っていくか見えてきますね。
ちょっと前置きが長くなりました。
「群発頭痛」ってのが、この身体には一緒に暮らしています。高校2年の夏休み明け頃。この頭痛で入院してしまったことがありました。
頭痛の前兆が来たと思ったら、5分後には顔は真っ青、ワケの分からない理不尽な痛み、たまに吐き気にも襲われるような日々が、1ヶ月半ほど続きます。その頃は毎日が、地獄。
酸素が有効なため、入院をしていれば酸素吸入も受けられるため、発作時には幾分かマシな状況でした。ただ、1回の発作は60〜90分で消えるため、症状がないときは健康な人と同じ。
僕が発作時に病室で酸素マスクを着けて、のたうち回っているところに家族がお見舞いに来た日には、家族みんなが暗い顔をしてしまい、僕も発作が終われば放心状態でした。なぜか眠ってから1〜2時間後にこの頭痛に叩き起こされることも多く、寝ることにさえ怯える毎日。
そういうわけで、見出し画像はある年の入院時に撮った写真を選びました。「発作治まったよ」と、家族や当時繋がりのあった人へ連絡でもしていたのかなぁ。氷枕に酸素マスク。看護師さんも優しかったなぁ。ありがたや。
こういう日々が、17歳の自分にいきなり乗っかってきたものだから、「健康であること」が、これほどまでにありがたいと思える日々はありませんでした。
それから今日に至るまで、半年から1年半に一度、「群発期」を迎えます。いくつになっても、慣れないものです。痛みにも、恐怖にも。
何かの記事で読みましたが、尿路結石、群発頭痛、出産を経験した女性が、群発頭痛が一番痛いと仰るのだそうです。恐ろしや。
ただ、東京に暮らしてるときにネットで調べたら出てきた、ある病院に通うようになって以降。会社を休むこともなくなったように思います(夜中は地獄、あとは気合い)。
現在の医学では原因不明。ただ、40代後半ぐらいでスッと消える病気だともいわれていますので、もうしばらくのお付き合い。でしょうかね。
ただ、この群発頭痛に感謝することもあって。
人への「ありがとう」や、今があることが当たり前じゃないんだってことを再認識させてくれるんですね。
そういうわけで、へそが曲がっていた17歳の頃から群発頭痛と付き合っていて。
群発期を終えて、寛解期に入ると「ありがとう」や「ごめんね」が素直に出てきたり、弱っている時期になっている人の懐にすっと入って話せたりと、いまの自分らしい一面ができあがってきたんじゃないかなぁと思います。
これって、誰しもが抱えている持病との向き合い方でもありますよね。病と向き合うって、人それぞれのものを抱えていて簡単に言えるものではないですが…
群発頭痛である自分を受け容れられたら「まぁ、いっか」と思えてしまうことが僕には多かったなと思いまして、noteに書きました。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
さて、明日も探したり考えたり、行動に移したり。
おやすみですけれど、できることからコツコツと。
ではでは。
※2019年にも身体のことを書いたnoteがありました。定期的に思う日があるのかなぁ。