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身体との付き合い方

普段何気なく過ごしているみんなにも持病があって、自分の身体と向き合いながら過ごしているんだと思う。

僕は6歳頃から15歳までは自律神経失調症で通院を繰り返していたり、中学生くらいから悩まされていた頭痛が実は群発頭痛だったことが高校生になってわかったり、30歳手前くらいからは副鼻腔炎に悩まされていたりする。

辛いけれど、病気のおかげで優しくなれたり強くなったりが起こるもので。僕にとっては群発頭痛が一番人生に影響を与えていると思ってる。今日はその話。

群発頭痛、ウィキペディアで見てみるとこういう説明が載っています。ハリーポッターのラドクリフくんも群発頭痛なんだよね。

群発頭痛(ぐんぱつずつう、Cluster headache)は、強烈な痛みを生じる頭痛発作を特徴とする、一次性の(ほかが原因ではない)頭痛のひとつである。痛みの特徴としては一側性で眼窩部を中心とする激痛が、一定期間(群発期)に集中しておこり1日の間に発作を何回も繰り返すことにある。

僕の場合、ある夜中にドーンと痛みで起こされたと思ったら、それから一定期間が過ぎ去るまで毎日同じ時間、同じ場所が痛むっていう頭痛です。緊張型と偏頭痛があるけど、偏頭痛側の痛みでもっと凶悪にしたやつで、痛みがえげつない。これが17歳の頃から今に至るまで、半年から1年半置きに一度。普通なら1ヶ月間、ひどい時は3ヶ月弱僕の日常を奪っていきます。

僕は高校生まで、本当に横着な子どもだった。少し勉強ができて、少しスポーツができて、少しゲームがうまかった。できない子を見下すフシが少なからずあった。自分は元気でいろいろ上手。それが当たり前だった。

高校生になって、この病気が自分の中に住みついた。毎日の痛みから逃げるように鎮痛剤を飲む。鎮痛剤を毎日飲みつづけることで1日の頭痛の回数が増える。どんどん悪化する。
家族や友達がいない場所でたまたま発作が起きたときには地獄だった。頭痛は本人にとってどんなに痛みが強くても、周りから見ればいつもと変わらない景色に気分が悪そうな人が映るぐらいのものだ。もちろんスルーである。それを何度も体験した。

あまりに痛みが強いから、入院をして頭痛を専門にしている先生に診てもらうことになった。気持ちが少し楽になった。それでも痛みは和らがなかったし、天気が悪い日にはグッタリとしていた。闘いの日々だった。
毎日仕事帰りに家族が様子を見に来てくれた。家族といる時間でも発作が来ることはあった。のたうち回って、その後グッタリしている自分をみて家族は泣いてた。元気でいられない自分が本当に申し訳なかった。痛みが引いて頭が上がったら、絶対笑顔でいようと決めてた。面会時間過ぎまで残って笑って過ごしていて、よく看護士さんに叱られた。

痛みが引いて寛解期に入れば退院、群発期の発作がひどい年には入院。この繰り返しを何年か続けた。

大学生になり、アルバイトを始めた。パン屋さんでキッチンから焼き上がったパンを出したりレジをしていた。新しいことを覚えつつあって楽しかった。
ようやく3週間ほど経った頃に、それはまたやって来る。バイト中に倒れる始末。この身体、将来生活していけないんじゃないかという絶望感に苛まれた。それからはバイトも辞めてしまった。店長さん、あの時はごめんなさい。

ただ、寛解期になれば元気いっぱい遊んで、運動して、恋愛して、勉強して、それでもまた群発期で倒れて。でも、そんな生活を繰り返していると、理解してくれる人が増えた。友達、先輩、後輩、先生、事務のおいちゃん。不思議とそれは歳を重ねるごとに増えるもので、「弱い部分があってもいいんだ」って感覚を持てるようになっていった。この頃から病気を持っていても、いいこともあるんだって感じられるようになっていた。

いまの仕事に就いた後、30歳になる年に東京に来たのだけれど、行ってみたかった病院にも通えるようになり、群発期が訪れるごとにコントロールが効くようになってきた。それでも痛いものは痛い。けれど、群発期でもなんとか、生活ができはじめている。

皆勤賞とか、タフなタイプの人物ではないけれど、痛みと一緒に過ごしてきただけ優しくなれたし、良いか悪いかは別として人より「痛み」に強いらしい。それだけでいいんじゃないかなと思う。

普段何気なく過ごしているみんなにも持病があって、自分の身体と向き合いながら過ごしているんだと思う。もっともっと相手を理解して過ごせたらなと思う。

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真士(まさし)
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