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信じて待つ、その難しさ

話を聞くとつらくなる。
代われるものなら私が代わりたい。
毎日笑顔で幸せにいてほしい。


生きていると、容赦なく雨が続く日もある。

それがたとえ受験や人間関係といった、正常な発達段階の悩みだとしても、大事な人がつらそうな顔をしているのは、つらい。


多分それは愛の形の1つ。


だけど、冒頭の言葉をそのまま相手に押しつけると支配や依存に繋がる。


昔は親の力無しでは生きられなかった子どもは、もう親以外の人を頼れる。


子ども自身が自分で人生を歩もうとしているその時に、たとえ自分が側にいなかったとしても、それを心から望めるか。
愛が試されている。


放任との違いは、いつも同じようにいること。
いつも同じ眼差しを送ること。
自分自身が、元気でいること。

時には言葉も必要になるときもあるけど、基本的には子どもが言い出すまでは待つ。
きっと困ったときは頼ってくれる。
その時に絶対的な味方になると決める。
味方というのは、全てを肯定するのではなくて、その子が幸せだと思うものや願いを聞いて、現実的に協力することだと思ってる。


頼られない寂しさ。
1人で抱え込んでいないか不安な日々。
何もできない歯痒さ。
...…そんな私の気持ちを安心させるために、相手がいるわけではない。

だから「私の」課題なのだ。
私自身の、自立に向けた必要なプロセスだ。


「信じて、待つ」

シンプルなのに、それがこんなに難しいこととは思わなかった。


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