部活顧問のパワハラ

学生時代の心残りと言えば…

もっと楽しく、ただ楽しく部活をしたかったかなぁ。


数年前、私の両親が近くの道の駅に立ち寄った時の帰りに、道路脇の畑で農作業をする小太りの小さなおじさんと目が合った。


「あらーA先生!ご無沙汰しています。」
母は私の中学の部活顧問と一発で当てたらしい。

A先生は両親を見るなり一瞬で青ざめ、直立不動。
震えて頭を下げて…
「あの頃は、申し訳ありませんでした!!
 私に余裕がなく…」
と、謝り始めたそう。

当時、私と妹が中学生時代卒業するまでの5年間、部活顧問のA先生からずっと無視され続けるという、異様な日々。
理由の一つに、私の父が同じスポーツの有段者で審判員も務めていたから。

小学校から習っている仲間たちは、大会会場で父を見つけては挨拶しに行く。
それが気に食わなかったんだろう。
で、八つ当たりの無視。

顧問の先生が決まらない部活には、部活をさせるために何も知らない未経験の先生方が入るしかないから…。


生徒数が多い学校で、各教科先生2人いたおかげで授業は受け持たれなくて済んだが、妹はA先生の教科を受けるハメに。

名前順や机の順での、教科書を読むのを飛ばされたり、ワザと難問を当てられたり…。

A先生は挙げ句の果てに、卒業写真に載せる為、部活の撮影時間を妹だけに教えないという、あり得ない事をやってのけた。

妹は泣いた。
私も悔しくてしょうがなかった。
妹が写っていない悲しい卒業写真になった。
中学校に乗り込んで行きたかったはずの両親も堪えた。

あれから時間が経過して、『中学校同窓会』に呼ばれる年になってしまった。
友達と「参加しよう!」と盛り上がり…
色々記憶が蘇り、怒り再燃!

A先生が来ていたら、私は土下座させる&平手打ちする覚悟でいた。

でも同窓会当日、A先生の姿はなかった。
メラメラ怒りに燃えていた気持ちは会場の隅っこに投げ捨て、お互い老けた顔の中学生と時間を忘れて喋ってまわった。

両親がばったり会った1〜2年後、A先生が亡くなったと知らされた。

以前、デヴィ夫人が80歳の誕生日「私の敵が死ぬまで生きます!」と言ったのを思い出して、A先生への怒りを一区切りさせた。

もういいんじゃない?
まぁ、いいか…って。

#学生時代の心のこり

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