私の足りない赤血球と母親
主治医は「あなたが次、具合悪いって受診したらすぐにでも入院させるから」と言った。
妊娠13週のころ、8本もの大量採血の結果、
私の体は貧血が進みすぎており、輸血が必要になるかもとまで言われた。
診察室で、主治医は不機嫌そうに数字の羅列をペンで叩いた。
どうやらSLE特有の溶血性貧血でもなければ、寒冷凝集でもない。
妊婦にありがちな脳貧血でもない。
骨髄はちゃんと機能して赤血球を作っているものの、赤血球の総量自体が足りないらしい。
原因はわからない。
若いころは相当モテたであろう主治医は、勉強熱心かつどんなときも患者ファーストだ。
「産科の先生が直ちには問題ないっていうなら、様子を見るけど…。次の検診まで1か月も空くのは不安だよ」
それで冒頭のセリフである。
どこも医療体制がひっ迫しておりベッドを探すのが難しいというのに、過保護ではなかろうか。心強いを通り越して、患者を想うあまり、多少強引なところを感じた。
しかし、だ。こちらにはこちらの都合があった。
都内の病院で分娩費用は800,000円だし
妊婦検診は自治体をまたぐので当日助成はしてもらえず、産後精算だし、
ただでさえSLE検診で月の上限10,000円まではかかる。
鬼のように医療費ばかりがかかり、
この上、歯科検診をしろだの、なんだの、
正直そんな金は我が子のために取っておきたい。
そんな経済的な事情を胸に秘めつつ、
「そう何度も仕事を休むわけには…」という万能な言葉で乗り切った。私の裁量で決めたことではない、と主治医の意見に背く罪悪感も無ければ、仕事に対する生真面目さや責任感もキャラとして醸し出せる。
それでも診察室の扉を閉める直前まで、「倒れないように、長風呂はダメだよ。急に立ち上がったりするのもやめてね」と声が聞こえていた。
30歳くらい年上の男性だが
健気な姿にちょっとキュンときた。
「私の家政婦ナギサさん」の大森南朋を彷彿とさせる。
ちなみに先ほど、まるで主治医が、
私の説得により了承したような書き方をしてしまったが、
私は拒薬していた過去もあり、主治医からの信用はゼロである。
私が書き留めて持って行った内服薬の残数に関するメモを見ながら
「ほんとにこの量?もっと残っていない?」と言われるくらいには信用されていない。
一度失った信頼は8年たっても回復は難しいようだ。
それ以外に、その日はマタニティ相談室で言われたことが心に残っていた。
実家も義理実家も近いと相談員さんに話したら
『じゃあ安心ですね!週に何回手伝いに来てもらえるのか、どんなことを手伝ってもらいたいのか、義母、実母それぞれに具体的に割り振っておくといいと思います!!』と言われた。
夫婦ふたりで乗り越えることが当たり前だと思っていたから、
それがそんなに難しく、
家事にしろ育児にしろ、誰かにやってもらわないとできないほどになるのか、とわずかばかりの想像力しかない私は、その『女たちの総力戦が当たり前』かのような一言に恐れ戦いた。
義母に手伝いに来てもらう想像はできなかったので、まずは実家へ行った際、実母に相談してみた。
「やだよ」一蹴された。
実母曰く、
「時代も考え方も違う私に、実の子供みられるの嫌でしょう。しかも私が育てた完成形はあなただから。それでいいの?」
とのことだった。
たしかに。
じゃあ育児については、もう少し検討してみよう。
家事だって、私がやらなければ夫がやるだけだ。
このやりとりにフンフンと納得してしまった私だったが
後日、母から失礼なことを言ってしまった、と謝罪のメールが来た。
私が育てた完成形はあなただから(子育てをまたやるのは遠慮する)という部分についての謝罪のようだった。慣れとはこわいもので、私はなんの怒りも疑問も感じずに、「たしかに。」とそれこそ確かに思ってしまったのだ。
しかも言われるまで、その言葉に気付いていなかった。
人間の体は慣れる。
そういえば、私の貧血も今に始まったことではなかった。
8年前、腸閉塞で入院した際も「動いてるのが不思議なほどの貧血」と言われていたではないか。
与えられた環境に対して適応していくのが人間だ。
有限の資源しかなければ、工夫してその中でやっていこうとするのが人間なのだ。
赤血球の量も、育った環境も、他人にとっては足りなかったのかもしれない。しかし、本人が生きてて問題ないならいいのだと思う。
問題は、言われたことをなぜ忘れているのかという点に絞られた。
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