「うら」の話
更新頻度がかなり低いのですね。
旅が全然できてないんですよね。
今回の話は「『うら』の話」。
旅の話ではないです。
西條奈加さんの小説で『心淋し川』というものがあります。
これは第164回直木賞受賞作なのですが、このタイトルを見たとき、私は「こころさびしがわ」と読んでしまったんですね。
でも、正しくは「うらさびしがわ」。「心」は「うら」と読むんです。
ちょうど手元に『新字源』があるので、「心」について調べてみましょう。
【心】意味 ①心臓。②こころ。㋐人間の精神生活の根本となる、知・情・意の本体。精神。㋑かんがえ。思慮。こころざし。㋒意味。③むね(胸)④まんなか。⑤まんなかにあるもの。「木心」⑥もと。かなめ。重要な部分。また、重要なもの。「核心」⑦とがった先端。⑧星の名。なかご星。⑨《俗》「点心」は、間食。おやつ。
、1968年初版、1994年改訂版初版、2015年改訂版53版)
ちなみに『角川新字源』には、「心」に「うら」という読み方はなかったです。「うら」の読みをもつ漢字は「裏」と「浦」のみ。
「裏」の方を調べてみました。
【裏】意味 ①うら。㋐衣服のうら。㋑物のうらがわ。うちがわ。「裏面」②うち。㋐なか。内部。「屋裏」㋑心の中。こころ。③おさまる。④ところ(処)
どうやら「裏」には「心の中」という意味があるそうですね。
「心裏(しんり)」という熟語もあるそうです。
また、ちょうど手元に『新明解語源辞典』もありますので、こちらでも「うら」について調べてみました。
うら【裏】
表から見えない部分。「おもて」と対になる語。「裏」が内側にあって人から見えないように人の心も同様であるので、心のことも「うら」といった。心の意味の「うら」は、単独の用法がまれにしかなく、多くの形容詞に冠して使われた。形容詞に付いた「うらがなしい」「うらさびしい」などの「うら」は、心の中といった意味を失って、ただなんとなくという意味を表すようになった。なお、裏・心の意の「うら」と「浦」も同源だとする考えがある。「浦」は陸地に入り込んで、陸地にこもっているように見える。そこで「うら」と呼んだものであろう。
おもしろいですね。
「身体」の対義語である「心」は誰にも見えないもの。
同様に「表」の対義語である「裏」も見えないもの。
「心淋しい」と書いて「うらさびしい」と読む理由には合点がいきました。(その「心(うら)」には「見えないもの」の意味合いがないのは少し惜しいですが。)
なんと、『新明解語源辞典』によりますと、「うらやむ」「うらむ」「うるさい」「うれしい」などの言葉も語源的に「心(うら)」と関連するそうです。
「うらやむ」は「心病む(うらやむ)」から。
「うらむ」は「心(うら)見る」から(有力説だが疑問は残る)。
「うるさい」は「うるせし」から。「心(うら)」+「狭し(せし)」
「うれしい」は、「心(うら)」+「良(いし)」から。
私は一番めの「うらやむ」が「心病む」から来ていることにびっくりしました。
「ねたみ・そねみ」は「心が病んでいる」証拠だ、と言われたみたいに感じました。でも、言い得て妙というか、たしかにそうかもしれませんね。
「ねたみ・そねみ」は他人と比較して初めて発現する感情です。
自分の人生に満足していれば、「ねたみ・そねみ」といった感情はあらわれるわけないですよね。自分の人生に満足がいかず、心が病んでしまっているから、ねたんだり、そねんだりするのでしょう。
言葉とはおもしろいものです。
そんなことを思った、「『うら』の話」です。