小さなものさし
自分が面白いと思った漫画を、誰かが面白くないと思うことはあるでしょう。
私にとって『進撃の巨人』は人生史上一番興奮させられた漫画ですが、世界には『進撃の巨人』をさほど面白くないと思う人もいることでしょう。
それと同じように、自分にとって大切なことが、誰かにとっては大切ではないことが多々あるように思います。
朝井リョウさんの『スター』という小説で、千紗という登場人物がこんなことを言っています。
「誰かにとっての質と価値は、もう、その人以外には判断できないんだよ。それがどれだけ、自分にとって認められないものだとしても」
つまり、ここでは、誰かが信じている価値を自分のものさしで評価することなどできないということを言っています。
世の中、いろんなひとがいます。
いろんな価値観を抱いています。
その誰かの価値観が、自分の価値観とかなり違っていたとしても(それが自分の価値観に対立するものだとしても)、その相手の価値観に白黒つけることは無意味なことなのでしょう。Twitterなどで繰り広げられる価値観の衝突は第三者から見れば、きわめて不毛だというのは火を見るよりも明らかです。その諍いが穏便に済まされたケースを私は見たことがありません。
そもそも、その人のものの考え方や価値観、価値意識のようなものは、その人の過ごした環境や人間関係が時間をかけてつくりあげられるものです。ですから、そもそも他人にとっての価値や思考を、そのままそっくり自分が引き受けて理解するなんて芸当はできることではないのです。
だから、自分にとっての価値と他人にとっての価値はそもそも相容れることなんてないんだという認識ぐらいがちょうどいいのかもしれません。
それをきちんと理解していれば、自分には理解しがたい価値意識を持っている人を見ても、論破しようという思いに駆られることもなくなるでしょう。そういう人とは関わりを持たないように思えば、それで十分です。
自分にとって大切なことが、誰かにとっては大切ではないことが多々あることでしょう。それは逆もしかりです。
自分のものさしを世界のものさしだと思うことなく生きていくことが大切なのだと思います。