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あをによし
いい写真が撮れました。
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かわいい。
そう。
奈良県の奈良公園です。
そこここに鹿。野生の鹿たち。鹿せんべいを求め、あらゆる人にアプローチする鹿たち。
奈良県の鹿といえば、万城目学さんの『鹿男あをによし』を思い出さざるを得ません。この作品にはまって、万城目ファンになって『プリンセス・トヨトミ』や『鴨川ホルモー』などを読みあさるようになりました。
読んだのはかなり前なので、どんな名所が出ていたかほとんど忘れてしまいましたが、平城宮がメイン舞台だったのは覚えています。平城宮跡は一度行ったことがあります。だだっ広い更地!と思った記憶がありますが、今回ブログに書きたいのは平城宮ではなく、「興福寺」「東大寺」「春日大社」に行ったよ!って話です。
まず、「興福寺」。
その中金堂は興福寺伽藍の中心になる最も重要な建物です。創建者は藤原氏の栄光の基礎を築いたとされる藤原不比等だと言われています。
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次に、東金堂と五重塔。
五重塔は興福寺の創建者である藤原不比等の娘光明皇后の発願で建立されたそうです。
東金堂は中金堂と五重塔とは創建の時代は違います。聖武天皇が叔母の元正太上天皇の病気全快を願って建立されたそうです。
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また国宝館に足を運びました。
いろんな仏像が置かれていました。
そこには「乾漆八部衆(はちぶしゅう)像」や「乾漆十大弟子(じゅうだいでし)像」といったグループ化された仏像がアベンジャーズのようにずらりと並んでおり、昔から人間は神様をこういったふうに「括る」のが好きなんだなあと思いました。四天王しかり、七福神しかり、オリュンポスの十二神しかり。ちなみに私が見た仏像の中でいちばんのお気に入りは「龍灯鬼・天灯鬼像」です。ぜひ画像検索してみてください。かわいらしいです。
次に訪れたのは「東大寺」。
言わずと知れた有名なお寺。
小学生のころ、遠足で行ったきりで、久々に訪れると、こんなにでかかったっけ?と思いました。
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大仏殿の中に入ると大きな大きな盧舎那仏が待ち構えていました。
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この仏像、廬舎那仏という名前なのですが、この名前を知ったのは私が中学一年生のときのことでした。当時、私のクラスに坊主頭で目つきの悪く、耳にピアスをつけていた、いわゆるヤンキー男子がいたのですが、社会の先生が「聖武天皇が建てた大仏知ってる?」とクラス全体に尋ねたときに、そのヤンキー男子が「廬舎那仏」と答えたのです。おそらく解答の想定は「奈良の東大寺の大仏」だったでしょう。しかし、意外な生徒がそう答えたことに先生は「よく知ってるね!」と驚いていました。そのことをなぜか今も覚えています。同時にそれ以来、東大寺の大仏の名前は「廬舎那仏」だということも忘れずにいます。
ちなみに東大寺の中には廬舎那仏のみならず、「虚空蔵菩薩」「廣目天」「多聞天」「如意輪観音」などの仏像も安置されていました。
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ちなみに私は『平家物語』に興味があって、今読んでいる最中なのですが、そこには平重衡の軍勢が南都に攻め入り「興福寺」「東大寺」もろともに焼き払ったという話があります。実はこの度、その聖地巡り的な意味でこのお寺に参ったのです。聖地巡り、いいですね。
興福寺、東大寺まで来たならば、ここにも参らずにはいられまい。
木漏れ日ゆれる、木々に挟まれた小径を進み……
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堂々と構える大鳥居。
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春日大社です。(ちょっと暗いかも)
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春日大社は平重衡の南都焼き討ちからからくも被害は免れたそうです。(それでも東西の塔は焼失したそうですが。)
中にも入りました。
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数多くの燈篭がつりさげられており、「藤浪之屋」というところには燈篭たちが幻想的な空間を作り出していました。ちなみに燈篭の助数詞は「基」だそうです。
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と、まあ最後は「青丹(あをに)」ならぬ「赤丹(あかに)」色の春日大社について書きましたが、最後はかわいらしい写真でお別れしましょう。
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結論、「鹿はかわいい」。
〈参考文献〉
法相宗大本山 興福寺 (kohfukuji.com)
TOPページ - 東大寺 (todaiji.or.jp)
春日大社 (kasugataisha.or.jp)