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京都紀行
「かつてハルク・ホーガンという人気レスラーが居たが私など、その名を聞くたびにハルク判官と瞬間的に頭の中で変換してしまう。」という書き出しから始まる小説の語り手がよもや源義経とは思いますまい。
さすが、町田康。
そんな町田康さんの小説『ギケイキ』を読みながら京阪電車に乗ること45分。出町柳駅に到着。
まず訪れたのは、賀茂御祖神社。
通称、下鴨神社。
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昨年の夏ごろ、「下鴨納涼古本まつり」が開催されていて、そのときに足を運んだので、今回で二回目の来訪となります。
前に来たときは本殿までの大きな道(糺の森)の両端にいろんな古本が並んでいて、活気あふれていたのですが、この日は人も少なく(当然古本もわるわけもなく)、閑散としていました。
次のやって来たのは、鴨川デルタ。
森見登美彦作品でたびたびあらわれる鴨川デルタ。
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特に何をするわけでもなく、ベンチに座ってぼーっとしていました。
石飛を渡る人たち、川沿いに座るカップル、川の流れ、並んで座る幼稚園児たちを見ながら、ぼーっとしていました。(不審者じゃありません)
子どもたちのはしゃぐ声、川のせせらぎ、とんびのヒューロロロという鳴き声、鳩の低い鳴き声、風に揺れる木々の音、バイオリンの音、バイクの走る音。
耳をすませば、いろんな音が聞こえてきました。自然の音と人工の音が渾然一体となって響き合い、それも鴨川デルタを彩るいいハーモニーになっていました。そんなのどかな時間を過ごし(やはり不審者じゃありません)、京都大学の吉田キャンパス沿いの道を抜け、私は吉田神社へ向かいました。
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吉田神社のこの鳥居のすぐ隣に幼稚園があり、園児が楽しそうに騒いでいました。
「清和天皇の貞観元年(859)4月、古くからの霊域であったこの吉田山に、中納言藤原山蔭卿が平安京の鎮守神として春日の四神を勧請し、以来、朝廷の信仰も厚く、正暦2年(991)には、朝廷から特別の奉幣を受ける二十二の社「二十二社」の前身である十九社奉幣に列する。」
と立て看板に書いてありましたが、なんのことやら、まったく頭に入りません。続いてこう書いていました。
「次いで、室町時代の中頃、神官の吉田(卜部)兼倶が吉田神道(唯一神道)を大成し、山上に斎場大元宮を造営してから、吉田流神道の総家として明治に至るまで神道界に大きな権威を誇った。」
とあります。
ともかく、吉田神社の「吉田」の名は「吉田兼倶」から来ているようですね。この吉田兼倶という名を見れば、「吉田兼好」を想起するかもしれません。しかし、この「吉田兼好」という名称は現在の研究で否定されています。吉田兼倶の書いた『唯一神道名法要集』にて「卜部氏系図」という卜部氏の家系図が記されたものがあるのですが、そこには「兼好」の名前があるのです。そのため、兼好は長い間、吉田流の卜部氏であると思われていました。しかし、最近の研究で、兼好は卜部氏を名のっているが、吉田流の卜部氏とはまったく関係のない卜部氏ではないかと言われている。後世の吉田家がその歴史を粉飾し、鎌倉時代後期の少ない有名人であった兼好を一門に組み入れた捏造であると断じられています。そういう意味において、「吉田兼好」という名称は間違っていると言えるのです。
何を隠そう私はこの事実を知らぬまま、兼好ゆかりの神社だと思って、吉田神社を参拝しに行ったのです。ところが、立て看板に「兼好」の名が一つもない。どういうことだろう? と思って、調べたら、以上のことがわかったのです。まだまだ勉強不足です。
出町柳駅にて叡山電鉄に乗りました。
電車の一部のいすは外を見ろと言わんばかりに窓向きに設置されていて、面白いつくりだなと思いました。しかし、私はニーチェの(もはやインターネットミーム化しているが)「深淵をのぞくとき、深淵もまたこちらをのそいているのだ。」ということばを思い出したわけではないですが、窓の外を見ているということは外から見られるということでは、と思ってしまい、なんだか気恥ずかしくなって、窓向きのいすには座りませんでした。
まあ、そんなことはさておき、出町柳駅から電車に揺られること30分。着いたのは鞍馬! 大きな天狗がお出迎え。
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そのまま、鞍馬寺へ。
ケーブルカーには乗らず、お寺への参道を登ります。
くねくねと曲がりくねっている坂道で、いわゆる九十九折りで、なぜか川端康成『伊豆の踊子』の書き出しである「道がつづら折りになって、いよいよ天城峠に近づいたと思うころ、雨脚が杉の密林を白く染めながら、すさまじい速さでふもとから私を追って来た。」という文章が頭をもたげました。「つづら折り」と「杉」の部分はあっているのですが、それ以外はまったく違います。天城峠はないですし、雨なんて降ってないですし、むしろいい天気です。
思い出すのだったら清少納言の『枕草子』の「近うて遠きもの」。そこに「くらまの九十九折」と記されているとかなんとか。でも、坂道を登る自分の頭には『枕草子』の「ま」の字も浮かびませんでした。もし、『枕草子』のその記述を知っていれば、果たしてほんとうに鞍馬寺までの参道が「近うて遠きもの」かどうかを検証できたでしょうが、教養が不足していたために、それができませんでした。やはり、教養は大事。朝、京阪電車で読んでいた『ギケイキ』にもそう書いてありました。
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『ギケイキ』の話をしましたが、この作品の主人公は源義経。義経はこの鞍馬山と深いかかわりがあります。義経(牛若丸)は7歳から約10年間を鞍馬寺の東光坊で修行に励みました。当時、義経は「遮那王」と名のっていました。遮那王ってなんだかかっこいい名前ですね。
そんな義経の供養塔がこちら。
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そんな供養塔を去り、さらに上へ上へ。
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到着しました。本殿です。
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ここからの眺めはサイコーと思いきや、山ばかりであまりいい眺望ではないというのが本音です。
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ゴール、ということで引き返すわけではありません。
まだまだ先。奥の院に行って、そのまま貴船神社まで行くぞっていうプランでした。千里の道も一歩から。では、GO。
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与謝野鉄幹(寛)、与謝野晶子の歌碑がありました。
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晶子の歌。
「何となく君にまたるるここちしていでし花野の夕月夜かな」
『みだれ髪』に収録されている有名な短歌ですね。
恋に恋する乙女の歌だと私は思っています。
お隣に与謝野鉄幹(寛)の歌。
「遮那王が背くらべ石を山に見てわが心なほ明日を待つかな」
こちらは鞍馬にまつわる短歌ですね。
「背くらべ石」とは次のものです。
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立て看板にはこうあります。
「遮那王と名のって、十年あまり鞍馬寺で修行をしていた牛若丸が、山をあとに奥州平泉藤原秀衡の許に下るとき、なごり惜んで背を比べや石といわれる。波乱に富んだ義経公の生涯は、この石に始まるといえよう。」
背を比べるということは、自分の等身大を知るということだと私は思いました。そして、成長して、またこの鞍馬の地に戻って、再び背比べをする。そういったことを義経がしたかどうかはまではわかりませんでしたが、きっとそんな意図があったのではないかと私は思いました。そのことから、鉄幹は、いつか成長して戻ってくるぞという気持ちで背比べした石を見て、明日奥州平泉に旅立つ義経に思いを重ねた短歌を詠んだのではないかと思うのです。
ちなみに与謝野晶子と与謝野鉄幹の歌碑があるのは、ふたりがたびたび鞍馬に訪れたことや、与謝野晶子が鞍馬寺館長であった信楽香雲の師匠にあたる人だったことが関係しているそうです。
義経ゆかりの「息つぎの水」「義経堂」「僧正ヶ谷」などにも出くわしました。
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鞍馬寺のよさは義経、与謝野夫妻といったゆかりある人物だけではありません。「自然」の壮大さも魅力のひとつです。
木の根道というものがありました。
木の根が地中に複雑な形で這っていて、生命の力強さのようなものを感じ取りました。
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さらに道の途中にも以下のような木の根が這っており、木の根はどうやら生命を支える大切な働きを担っているそうなので、できるだけ踏まないように歩いて行きました。
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歩きながら、なんだか「血管」と「木の根」って似ていると思いました。どちらも生命を支えるうえで必要なものです。複雑でいりくんだ細長い管の集まりという形状の点でも似ています。だから何だ? と言われれば、そこまでなのですが、こういった何でもない気づきって面白いものだと思うんです。こういった何気ない気づきから、想像が膨らみ、心が豊かになる。そういった体験は読書活動にもつながりそうですが、これ以上書くとかなり脱線してしまうのでここまでにしておきましょう。
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そんなこんなで奥の院に到着。
「魔王殿」という名前が目につきました。
太古、護法魔王尊が降臨した盤境として崇拝されているそうで、「魔王殿」というまがまがしい名前はそこからきているそうです。
ちなみに調べると「鞍馬寺 魔王殿 怖い」という検索候補が出てくるのですが、まったく怖くないですよ。のどかで気持ちのいい場所です。自然の畏怖というか、スピリチュアル的なことはよくわからない人間だから、そう感じるのかもしれませんが。
さて、この調子で貴船神社へGO。
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何人かの外国人観光客とすれ違いつつ、下りていくと、川の流れる音が聞こえてきました。そして、西門に到着。門を抜け、橋を渡って、アスファルト舗装を踏みしめました。
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貴船神社。
万物の命の源である水の神様をまつる神社です。
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参道の石段と燈篭。
3月という紅葉でもなければ雪も降らない半端な時期に訪れてしまったため、以上のような質素な感じですが、それでも感慨深いものはあります。(紅葉の季節ならば、とても美しい光景が広がっていたでしょうし、雪の季節ならば、えもいわれぬ情感を得たことでしょうが、徒然草の「花は盛りに、月は隈なきを見るものかは。」という有名なセンテンスを諫言といたしましょう。)
貴船神社は絵馬発祥の社であるそうです。
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桂という枝分かれがすごい樹木がそびえていました。御神木だそうです。
そこの立て看板に面白いことが書かれていました。
「貴船は古くは「気生嶺」「気生根」とも書かれていた。大地のエネルギー「気」が生ずる山、「気」の生ずる根源という意味。」
写真の木のように根もとから八方に広がていくさまはなんだかすごみがあります。「気」が上空に向かってぶわっと立ち昇っていくさまにも見えないこともないです。しかし、何度もいうように私にはスピリチュアル的なことはわかりませんので、木を見て、「すごい」と感じるだけで、「気」を感じるようなことはありません。ですが、昔の人は「貴船」を「気生根」と書いていたくらいだから、「気」を感じ取り、自然の荘厳さを崇拝していたのでしょう。たしかに、崇拝したくなる気持ちもわかるくらいに立派な大木でした。
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貴船神社の本宮を去り、奥の院に向かう途中。
川床がありました。
夏場ではこの貴船川に床を敷いて、川のせせらぎを聞きつつ、涼を感じながら食事をするのでしょう。視覚(自然の光景を見る)・聴覚(自然の音を聞く)・触覚(風に触れる)・嗅覚(自然のにおいを感じる)・味覚といった五感をフルに使った食事を楽しめるということでしょう。
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奥の院より前に「結社」がありました。
良縁「イワナガヒメミコト」が祀られています。
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ここに和泉式部の歌碑がありました。
こちらの立て看板に面白い話が記されていました。
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「平安時代の有名な女流歌人・和泉式部は、夫との仲がうまくいかなくなって当社にお参りし、貴船川に飛ぶ蛍を見て、切ない心情を歌に託して祈願しました。すると、社殿の中から慰めの返歌が聞こえてきて、ほどなく願いがかなえられ、夫婦仲がもとのように円満になったということです。」
そんな和泉式部の和歌がこちら。
ものおもへば沢の蛍もわが身よりあくがれいづる魂かとぞみる
(あれこれと思い悩んでここまで来ますと、蛍が貴船川一面に飛んでいます。そのはかない光はまるで自分の魂が体からぬけ出て飛んでいるようでございます。)
それに対する、貴船明神の返歌はこちら。
おく山にたぎりて落つる滝ち瀬の玉ちるばかりものな思ひそ
(しぶきをあげて飛び散る奥山の水玉のように〈魂がぬけ出て飛び散り消えていく=死ぬかと思うほど〉そんなに深く考えなさるなよ。)
神様から「ものな思ひそ」(そんなに深く考えなさるなよ)という言葉をもらえると、なんだか気が楽になりそうで、いいですよね。
そんな「結社」をあとにして、奥宮に到着。
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中のベンチで外国人男性が気持ちよさそうに寝ていました。
たしかに寝心地はよさそうなところです。
夏場は涼しくて気持ちよさそうですね。
深呼吸。すーはー。
そんなふうにほわほわした気持ちでいると、こんな立て看板が。
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謡曲「鉄輪」
だいたいの内容は以下のとおりです。
「嵯峨天皇の御代、ある娘が深い恨みから貴船神社へ、鬼にしてほしいと7日通った。姿を変えて宇治川へ21日間浴せよとのお告げ。さっそく角を作り、顔は朱塗りに。体に赤土を塗って頭には鉄輪。そこに松をつけて火を灯し、川へ急いだ。ついに鬼となって憎い女を呪い殺し、夫やその親族までをも取り殺したという。」
なんだか怖い伝説ですね。
なにかと鞍馬寺や貴船神社は怖いとか恐ろしいというイメージがつきまとっています。それはその地にまつわる伝説や伝承と強く結びついていたり、自然の荘厳さから畏怖を見出したりしているのでしょう。
ということで、賀茂御祖神社、吉田神社、鞍馬寺、貴船神社をめぐってきましたが、やはり京都はいいですね。これからも何度も足を運ぶことでしょう。
とりとめもない雑文きわまりのない文章になってしまいました。
これからも時間の許される限り、こういった紀行文じみたものを書いていきたいと思っています。
では、本日はここまで!
〈参考文献〉
川平敏文『徒然草-無常観を超えた魅力 』(中公公論新社、2020)
村井康彦・光明正信・森本茂『文学と歴史 新・旅行ガイド 京都』(京都書房、2012年)
総本山 鞍馬寺 (kuramadera.or.jp)