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フリに振り回され、オチに落ち着く。
好きな映画や好きな小説がある人の中で、それを何回も見返す人っていますよね。
私は基本、一回きりです。
内容を知っている以上、1度目の感情の昂りを超えない気がするからです。
一方で、好きな漫画はたまに見返します。
子供の頃は好きなジブリ作品を何度も見ました。
また、決まった人と決まったトークを繰り返すことがあります。
フリがあって、オチがある掛け合い。
必ずまた笑えるという自信以上に、1度目より面白いという無双状態になります。
この違いに、わずかながら危機感を覚えます。
楽しむことに新鮮さを求めず、わかりきった楽しさ、面白さを求めているのです。
たまにならいいでしょう。
例えば普段仕事で世界が広がっていったり、家族を養う中で一人では考えられない日常が連なってくなら、その箸休めとして決まりきった楽しさを味わうことは不思議じゃありません。
しかし、発展性のない仕事をし、休日は一人でわかりきった楽しさを咀嚼し続けているのは、どうにも不健康に思えます。
先日、友人とご飯を食べたとき、意欲の減退にあることを実感しました。
その友人は開口一番「何か面白いことあった?」と聞くのが常です。
10年ほど前はそれにイラつくことさえありました。そんなもんねえーよと。
しかしその後は、ならいっそつまらない日常を面白く語ってやろうと奮起したことがあります。
その時は踊るさんま御殿などのトーク番組を見て、芸人さんのラジオは毎週数本聞いてました。
それから、わかりやすいフリとオチを作ることが好きになりました。
人を笑わせるって難しく、狙ったところで笑いが起きれば快感を得られることを知ったのです。
15年ほどの付き合いの中で時は移ろい、彼は仕事も、家庭も落ち着いて、あとは普通で不変の幸せを歩んでいく中で、私は何も満たされていません。
それが羨ましいのかどうかもわからず、疲労を重ねて、沼へと沈んでいる状態にあると気づきました。
それから少し強制的にでも、動くようにしています。
まずは何事も、動かなければ始まりません。
動き始めて仕舞えば、あとは勝手に進んでいくものらしいです。
仕事を辞めるというフリは、一体どんなオチになるのでしょう。
いまだに申し出ることができず、それすらストレスとなって振り回され、落ち着くことができません。
2月も、残りわずか。早く、言いたい。
一旦、辞めさせていただきます。