ビデオゲームと見た風景#1「カンガルー」
懐かしさのあまり購入する。ビデオゲームと共に過ごして40年以上にもなるとそんな動機でゲームを買うことがあります。先日もそんな動機で1本ゲームを購入。ハムスターが現役ハードに向けて配信しているアーケードアーカイブスで1982年にサン電子(サンソフト)からリリースされた「カンガルー」が配信されまして、こりゃたまらんと購入。
カンガルーをゲームセンターで実際に遊んだことある人はどのくらいいるんでしょうか。タイトー、セガ、ナムコ、コナミ、アイレムに任天堂とアーケード界にはビデオゲームのマイルストーンとなる傑作山とありますけどそれが実際どれくらい遊ばれてたかは本当に分からない。少なくとも僕にはナムコのレジェンドタイトルでも当時雑誌の紙面上でしか知らず、実際に触れたのはPS1のナムコミュージアムやWiiのバーチャルコンソールアーケードだったというものもちらほら。インターネットの世界ではおじさん方が当時みんなが遊んでたかのように昔のゲームを肴に思い出話に花を咲かせている光景をよく見かけますが実際どうだったかというと、これは本当にまちまちじゃないかと思います。東京の中心で出るゲーム出るゲームほとんど遊んだわという人もいれば、駄菓子屋前に野ざらしの筐体に入りっぱなしのゲームが全てだった人もいることでしょう。家庭用のゲームだって僕みたいに運よく常に最前線を見ることができた世代から、お小遣いの中でゲームショップで格安売られてるものから遊んでたひとまで、ビデオゲームを手にした時の風景は人それぞれだと思います。
これ書くちょっと前に、ファミコンについて書かれた記事を見て「それは違うやろ!」と先輩方が記事に赤ペン入れてる姿を眺めててですね。「若い人には分かり得ない当時の空気あるよなあ。戦争の語り部のように、ビデオゲームについても当時の思い出話に時代を知るための価値が出てきてるんかなあ。」みたいなこと思いまして。思ったらやってみようということで、ゲームの面白さや進化の歴史を振り返るでなく、当時のロケーションなどにフォーカスして書き綴る企画をやってみることに。いいタイミングでハムスターさんからカンガルーという絶好球がきたので、今回は僕がカンガルーで遊んでた頃の風景です。
僕がカンガルーで遊んでたのは1983年から1985年頃でしょうか。まあまあ見かけたと思う。少なくともあのゲーセンに行かないと遊べなかったということはなかったと記憶してます。当時カンガルーで一番遊んだのは家から一番近い地元福岡の小さな商店街の、空きテナントの場所を利用したゲームコーナー。隣の喫茶店のオーナーが管理してたと思います。ピカデリーサーカスや国盗り合戦といったメダルゲームが3台ほど。スーパーボールやスーパーカー・ウルトラマン消しゴムが入った1回20円のガチャガチャがふたセット(2台ワンセットで計4台。おじさんなら多分みんな知ってる)。お菓子の入ったカプセルを取る3本爪のクレーンゲーム1台。そしてビデオゲーム。ビデオゲームは大物ではモナコグランプリがあって学校帰り友人がプレイしてるの見るのに飽きた時そこで寝てました。鞄置き場にもなってた気がする。テーブル筐体は10台もなかったかな。昔の商店街でちょいちょい見かけた、買い物ついでに寄るお子様と学生が利用するロケーションです。お客さんはまばら。この頃ビデオゲームのある場所は怖いヤンキーのお兄さんが燻ってる場所である事も多く、シンナー臭い先客がいた場合は絡まれないように逃げ出すことも多かった。下手するとかつあげされちゃうし。そんなこともあり幼稚園の頃から訪れてたとこだけど小学生高学年からは徐々に行く回数が減り、行動範囲に入れてたのは中学ぐらいまでかなあ。高校になる頃には西新などゲーム好きが集い店員さんも常駐してる比較的治安がよさげな街のゲーセンやゲームコーナーを何軒かピックアップして自転車で行ったり来たりしてました。
当時このゲームコーナーにあって好きだったのはペンゴとチャンピオンベースボールかなあ。そしてエグゼドエグゼスが入荷した時は大興奮。1985年2月リリースの作品だから発売直後に入荷された感じでしょうか。喫茶店が現存してたらオーナーにどういう経路で導入に至ったのか聞きに行きたいところだけど、残念ながらこの商店街はもうありません。ほんと残念。今なら聞いてみたいことが沢山あるのになあ……
エグゼドエグゼスはそれはもう面白くて、特に大きな敵がフルーツになる要素に釘付けでしたね。僕の中に「美味しそうなオブジェクトが出てくるゲームは名作」という法則があったりするんですけど、この意識はナムコのフルーツターゲットではなくカプコンのエグゼドエグゼスやソンソン辺りで最初に抱いた印象かも。
このままカプコンの思い出話に突入しそうなので話を戻して。
エグゼドエグゼスは最新作だけにプレイ料金も1プレイ100円だったか50円だったかとにかく銀色のコインが必要でして、中学生のお小遣いでは出来てもワンコイン一本勝負。ペンゴあたりも100円はしなかったと思うけどサービス台じゃなかったなあ。この頃ここに来る時は祖母にお使い頼まれてというパターンも多くてお釣りはあげるからということもちょいちょいありましたが、にしても手にするお金はさほど多くありませんでしたから使い道は慎重になります。
カンガルーは減価償却が終わったからか元々お安く導入できたのか分かりませんがサービス台として10円玉一枚で遊ぶことができました。ということでワンコイン一本勝負よりより多く遊べて駄菓子買ったりもできる使い方を選ぶことが多く、結果エグゼドエグゼスよりもカンガルーの方が沢山遊んでます。ゆえに思い出もひとしおと言いたいところでしたがうーん。よく遊んだ以外ではBGMのアメリカンパトロールと猿とリンゴが憎いという思い出だけが蘇る。このゲームコーナー1プレイ10円で遊べたタイトルカンガルー以外にナムコのタンクバタリアンとワープ&ワープがありまして、タンクバタリアンなんかは1面からレンガ全部消してスリルを味わったなど遊んだ時の思い出が蘇るんですけどねえ。
といいつつ、アーケードアーカイブス版のカンガルーで遊んでみると当時のゲームコーナーの風景が蘇り「昔のゲームの権利関係の処理ほんとに大変だろうに、こんなマイナーなゲーム配信してくれてありがとう。ありがとう。」と感謝の気持ちで一杯になりました。ちなみに40年近く経っても腕前はちっとも上がっておらず、初見は1面轟沈。ちょっとやり込み感を取り戻すも3面でリンゴの雨にやられて「サル憎し」の思いが強まってしまいました。
この頃共にゲーセンに行ってた友達の一人は父子家庭で、僕が帰ったあと隣の喫茶店でひとりで晩ご飯食べたりして、たまにマスターにカレー奢ってもらったといった話聞かされてちょっと懐羨ましく思ったりもしたなあ。そんなことも思い出したカンガルー。ビデオゲームの思い出は作品の面白だけじゃないなあとしんみりしたのでした。
えー、私個人の記憶を辿る旅でしたがいかがだったでしょうか。もちょっとカンガルーのここが楽しいとかここ進化辿る上でポイント!的なの交えた方がよかったかなと思いつつも、進化の記録、開発史だけでは見えない時代の空気ってのは確実にありまして、これはもう体験した人が書き残す以外残しようがないので、役に立つかどうかはさておき、今回はこの形で残しておこうと思ったマダオでした。いつまで覚えていられるか分からない僕のために。またビデオゲームで遊んでなんか思い出したら、忘れる前に残します。
サポート頂いたものは概ねゲーム会社に回ると思います