生き辛さを謳ったつもりで、ただ嫌なことがあったと言っているだけの曲について考える。
最近朝起きて、最初に思うことは「あいつに会いたい」ばかりだ。天井をカッと見つめ、時計を確認し、瞼を緩める。そうして布団横で仰向けになっているスマホを手に取り、スクリーンの上で親指が散歩するのをただ眺める時間がくる。これが20分ほど続いて、何かが吹っ切れたとき、はじめて体を起こすことができるのだった。もう朝の日課と化している。
美術館の展示を1つ1つ慎重にじっと見つめるようにして、スーパーの中を練り歩くのが好きだ。白身魚から赤身の魚に変わり、外国産の牛肉がしばらく並んだ後、待ってましたと黒毛和牛の黒と金のラベルが光る。そこで冷蔵コーナーの箱は終わりになる。すると急に、業務員用ドアの向こうの暗闇が、僕の視線を吸い込んでいく。焦点がぶらつく。ふと、「あいつに会いたい」ことを思い出す。
よく米津玄師の歌詞について考える。
例えば、
LADY
君と二人 行ったり来たりしたいだけ
がらくた
もういいかい もういいよ だけどもう少し 長い夜を歩いていきましょう
であるとか。すっと文字面だけで見ると弱い歌詞を、重要な場所で当ててくる。それが耳に残る。
彼は、活字にすると何でもないように見えることの、だから、なんだかそれだけじゃ理由として薄いんじゃないか、とか勝手に考えてしまうことが、あまりに、しかし人間とはそれだけの存在であることを主張してくる。根拠やその続きがないという意味での、決して強度が弱い訳ではない”なんとなく”に寄り添っている。
故に、僕の”なんとなく”な「あいつに会いたい」の感覚を、共有できている気がする。会ったからどうという訳でもなく、別に話のネタがあるとか、行きたい場所があるとかでもない、「あいつに会いたい」が、ヒット曲になってることを、もっと喜んでいきたい。そう思った。