![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/174967181/rectangle_large_type_2_f27826ce728e8ff6faae0bf640d47760.png?width=1200)
陰キャ大学生は人権尊重の立場から立食パーティーに反対します。
孤独であった。虚しくさえ、あった。見渡せば、銀色の容器に盛り付けられた豪華絢爛たる料理がずらっと並び、白銀のテーブルクロスはシャンデリアの光を反射して、一瞬たりとも、そのまばゆい輝きをやめることがない。その光の中で、若くみずみずしい彼ら/彼女らは、幸せそうに笑いあっていた。僕のみが一人、アホ面で突っ立っていた。頭上には何か蠢くものがあった。
立食パーティーとは、料理をビュッフェ形式(立食とセルフサービスを特徴とする形式)で供するパーティーのことで、参加者は各自セルフサービスで元卓(ビュッフェテーブル)に供された大皿の料理から各自の皿へ適量を取り分けて立位のままで食べる。(中略)定められた席の無い立食形式では、参加者は自由に動くことができるため、交流しやすいという利点がある。
回想する。どうしてこうなったのか。その日、僕はある論文発表会を聴講していた。学問は良い。論文にひかれるまっすぐな道筋、プレゼンで明かされる論理の清流、その出来栄えのみが評価され、議論される。魂こもる言葉のパレードに、僕はただ、感動していた。その発表会は、知り合いの教授が面倒を見ている、僕と同じ学部生たちによるものだったが、そのクオリティの高さたるや、圧巻。僕の書いた貧相な発想、構成、文体による論文を思い出し、赤面するほどであった。その会は、全員の論文発表が終わると、教授による講評があり、プレゼン大賞の授賞式へと、トントン拍子で進んでいった。ああ、よかった。僕も頑張ろう。大賞の賞状を受け取り、満面で笑みで観客にお辞儀をする女子大生を遠目で眺めながら、確かにそう思った。
さあさ、帰ろうか。散らかった資料と、ボールペンをガサゴソとしまおうとしたとき、教授の声が響いた。「えー、この度はこの論文発表会にお越しいただきありがとうございます。これから、別に大したものはございませんが、ご夕食を用意致しましたので、あちらの食堂に移りまして、立食パーティーを行おうと思います。観客の皆さんもぜひ・・・」
僕の帰り支度をする手が、一瞬の間、止まった。どうしよう。怖い。僕は言うまでもなく人が苦手である。嫌いである。いつもの僕なら、迷わず、誰とも目を合わさぬようにして、そそくさと退散していたことだろう。しかし、ここは知の楽園、大学!しかも品の良さそうな論文発表会の出席者しかいないのだ。魂の程度が低いとしか思えないジャラジャラ金髪野郎や、室内でさえキャップを脱がない失礼なラッパー気取りに怯える必要はない。今、交流を広げ、友をつくらずして何になろうか。ほら、立食パーティーについてのWikipediaにも、「定められた席の無い立食形式では、参加者は自由に動くことができるため、交流しやすいという利点がある。」と書いてあるではないか。立食パーティー、そこは既存の共同体に属していない僕のような人間関係弱者にも優しい、理想の舞台のはずだ。行くしかない。行くしかないのだ。会場にいた人々を先導する教授が、大きく腕を振って出発の合図をした。その煌びやかな行列に、気付くと僕は、意気揚々と加わっていたのであった。
しかし、この時点の僕は、愚か極まりない楽天家の僕は、まだ知りようもなかったのである。立食パーティーという名のデスゲームの勝敗は、乾杯後3秒間に決してしまう、ということを。
「いやー、皆さん改めまして論文発表会お疲れさまでした。また観覧いただいた大学関係者、そして学生の皆さん、長丁場ではありましたが、ありがとうございました。皆さんもお腹を空かされているかと思いますので、挨拶もこれくらいにして、乾杯に移らせていただきます。どうか楽しんでください。それでは、」
「乾杯ーーー!」
まさにその瞬間、会場は多幸感に包まれていた。発表者も観覧者も、論文の発表に満足しているようであった。発表者の面々が、緊張の解けた優しい顔で、お互いを労い合っている。観覧者は、それぞれ知り合いを見つけて挨拶をしたり、会の感想を述べあったりしている。なんと、理想的な空間だろう。人間理性の温もりとでもいおうか。僕はその光景に見惚れてしまっていた。
しかし、しばらくすると、ある異変に気が付いた。バラバラに散らばっていたはずの人々が互いに近づき合い、いくつかの島が形成していたのである。そして、会場の端にいた自分に背を向けるようにして、それぞれの島の住民たちは会話に華を咲かせ始めていた。手前右に見えるのは発表者たちの島、その奥は教授とその教え子とみられる学生たちの島、左手では観覧していた女子大生たちが集まって、料理を物色しているところであった。
僕は焦った。すぐさま近くの島に加わろうとした。しかし、一歩踏み出せない。声が出ない。時、すでに遅しであった。会話と言う名の大繩は既に高速にまわり始めており、熟練のコミュニケーション強者でなければ、それなりの傷を被らずして、それに参加できなそうになかった。地球に衝突しようとする小惑星が大気圏との摩擦で擦り切れるように、僕という流星は、眼前の学生たちの視界に入ることすら難しかったのである。
そうして僕は、孤独に宇宙を漂うことになった。後悔、懺悔のみが募る。「定められた席の無い立食形式」はつまり、自ら”席”を創りださなければならないことに、何故気づけなかったのか。惨めである。なんだか島の住民たちがチラチラとこちらを見ているような気がして、恥ずかしい。お腹も大して空いていなかったが、忙しそうなふりをしなければ耐えられない。何度も何度も料理の品を見て回り、とりあえず全てのおかずを皿に盛り続け、味も分からず胃に流し込むことで時間を潰した。きっと島の住民たちは、せっかくの懇親会で一切喋らず、ただ料理を食い荒らしている僕が、獰猛な熊かなにかに見えたであろう。実際は、会話を遮って輪の中に入るのが怖いだけの、一人の人間であったのに。
突然、プツンと何かが切れた音がした。おや、と思ってあたりを見渡したが、周りの学生たちには聞こえていないようだった。なぜだか気になって上を向くと、薄黒いシミがポツポツと天井にこびり付いていた。それは純白の壁紙に不思議と馴染んでいるようにみえた。この場所では、何十年もの間、数々の立食パーティーが繰り返されてきたのだ、ということが僕の心を少し、軽くしたような気がした。僕の仲間は、ここにいたのだ。
その夜僕は、皆が帰ってからもそこを動かなかった。