都市・大学1年生の一般的な夏休み
中学生くらいまでは、ゲームが大好きな子供だった。ゲームの中の世界観、草むらからポケモンが飛び出してくるとか、四天王といったカッコいい称号と組織があるとか、そういったものを純粋に愛していたし、愛し続けられる人間になりたかった。たぶん皆も同じで、だからゲームの話が分かる先生はいつも人気だったんだと思う。
でも、僕は現在ゲームをしない。部活とか委員会とか勉強とか、“学園”が忙しくなる中で、自然と生活の中から排除されていった。「この学校を如何に善くするか」が思想の主軸にあった僕に、ゲームは確かにいらなくなっていた。僕がかつて嫌っていた大人のように、「時間の無駄」「ゲームなんてつまらない」と、今ではゲームに熱中する同世代をどこか本気で馬鹿にするようになっている。
ゲームは、「魅入られた世界の中で生活すること」と「世界に指示されたクエストをこなし続けること」という二つの要素を複雑な配列で提示してくる。ポケモンの存在する世界そのものにワクワクするのが前者であり、努力値振りのためにイシツブテを殺し続けるのが後者だ。どちらも面白いゲームたるには重要な要素で、故にゲーマーは時に混同し、後者ばかりに目がいくようになる。前者を忘れれば、それはゲーム世界(虚構)を信じなくなったということなのだから、その世界で自然と発生するクエストの必然性・当事者性を納得できなくなり、なぜゲームをするのか(why)がより個人的な問題に終着していく。個人的な問題とは、要はクエスト攻略の過程・インターネット対戦で生じる快楽に飢えている、とか、「学校で友達がいなくてゲームしかやることがない」云々。そうなると「虚しい」しどこかで「飽きる」。ゲームそのものが、別のゲーム(世界)に置き換え可能な、記号になるからだ。
仕事・人生もまた、大してゲームと変わらない。「なぜ(why)その仕事をしているの?」が日々の業務に忙殺されているうちに、より個人的な問題、金を稼がねばならない、皆に承認されるキャリアが欲しい…に終着していく。物心ついたときから所謂“タワマン”に住んでいる身からすれば、そういった“個人的な問題”それ自体が“どうでもよい”ものとして見えてきて、いよいよwhyは喪失される。
「都市インテリ」という政治的・経済的階級があるが、彼らは「魅入られた世界」をもたない。「親が米農家だからお米の魅力を伝えるためにおにぎり屋をやる」であるとか、「地元を世界中の人に知ってほしくてゲストハウスを経営する」といった物語を、血縁・地縁の非常に弱い地域で生きてきたからこそ、持ち合わせていない。故に思想にしがみつく。普段似たような階級の人としか絡まない・絡むことができないため、Xの濁流や新聞や経済的統計から空想的な“他者”を掬い取り、頭の中だけの社会について考え、議論し、思想に発展させるのだ。彼らには都市貧困層を救う物語も、日本を復興する物語も実は存在しない。しかし、それでは「なぜ(why)生きているのか」分からないから、思想もまた“物語”と呼ぶことにして、その“物語”に従って生きようとする。若いうちはそれでも良いかもしれないけれど、虚構に生きる、ことに自覚的になった途端、無気力・燃え尽きおじさんが完成するのだと勝手に想像してしまう。一周回ってまたポケモンをやり始めるのかもしれない。
さて、「魅入られた世界」の正体とは、実在し顔の見える他者であり、目に見える山・川・海、そこから必然的に編み出された土着の文化に他ならない。所謂地域の(僕がつい先日滞在したのは奈良県下北山村であったが)おじさん達にとって村内の子供は、自分やタメの実子であり、ときどき会って遊んだりしているからこそ、無給で夏祭りの設営をして、焼き鳥を手渡しすることに誇らしげになれる。きっとそこには、自分の親もまた屋台の向こう側で焼き鳥を焼いていた記憶があるに違いなく、世代・家族・地域といった物語に自分自身が溶け込んでいる。
僕達は「魅入られた世界」に生きることで初めて、生活に基づく自然なあり方にwhyを内包することができるのだと思う。そして人に説明するときには、確かに「親が米農家だからお米の魅力を伝えるためにおにぎり屋をやる」「地元を世界中の人に知ってほしくてゲストハウスを経営する」とは言うが、「そういう世界に生きているんだから」が真に“全て”になるときが来るのではないか。
もういっそ、“whyなんてないぜ”と若者に諭しながら、昼間街中を走り回れるおっさんこそが、「善く生きる」を体現しているように思えてくる。
whyやwhyを求める自我そのものが世界に溶け込み、生活倫理という形で、要は人と出会ったら挨拶をして、野菜が余ったら届けに行くような実践的な形式を規範として生きれたなら。キーボードの音以外が人工的に消去された都市の一室で、これもまた思想にしてしまいたくなる自分には、常々苦笑いしかできない。脱都市を謳いながら、しかし東京を手放せない僕へ。今日も生きていて偉いから、ご褒美のショート動画を。