上を目指す理由がない。
そもそも、『上』って何?
そもそも、『下』って何?
確かに、あるかもしれない。
例えば、野球で打率3割の選手と打率2割の選手なら、前者の方が良い。当たり前。
だが、前者が人間的にできていて、後者ができていないわけではない。
よく、自己啓発的なやつがあるけれど、
すごく「強迫的」だと思う。
自分に課すものが多いほど、
人間は生きることが難しくなる。
生きることが難しいとなると、正常な判断を下すことも難しくなる。
ただ、堕落して生きていてもいいわけではない。
どうせ、人間なんて、どこかのタイミングでは何とか頑張らなくてはならないものである。
「堕落」の基準は様々だ。
そこが、明確な価値観の違いなのだと思われる。
自分にとって、良いものは取り入れていくことは大切だが、強迫的になってはいけない。
常、人間は「正常な状態」であるべきだ。
人が何かを成し遂げるよりも、
人が自然に生きていられる方がよっぽど良い人生を送る。
私はすごく、サボりがちな人間だと思うので、
ある程度自分で、1日や1週間くらいで小目標を作った方が良いタイプだが、別にこれができてるからと言って、人間的に優れているわけではない。
「人生は、競争である。」という人がいるが、
そうではない。
競争している限り、「負け」が存在する。
結果的に「無敗」の男でも、「負け」はやってくる。
どうだろう。
私は、ある程度稼げるようには、なりたいとは思っているが、それは暇だからである。
いつまでも、同じような場所にいることに飽きてしまう人間だから、自分自身を成長させていかないと、退屈さを感じてしまう。
私は、人間にとって「暇」が一番辛いと思う。
意図的に作る「暇」は「暇」ではない。
だが、常に何かに夢中であったり、逆に、ゆったりとした風の中で息をすることで、人間は生きがいを感じる。
よく、色んな人が「宝くじで1億円」の話をするが、全く同じ意見だ。
確かに、死にはしない。
ただ、「生きた心地」は確実にしないであろう。
「明日になったら、また働きに行かないといけない、、、」
仕事があるだけ、マシ。
飯を食えるから。
「競争」とは、「バーチャル空間」だと思っておいだほうが良い。
ロシアとウクライナが戦争しているが、勝ち負けは正直、どうでも良い。
目を向けるべきは、それで死んでいる人がいることと、生活に困る人がいることである。
政治もバーチャルであり、仕事もバーチャルである。ただそこに、「飯のタネ」があるから、必死になるけれど、頭柔らかくすれば、食える方法は色々あるもの。。
私は、賭博場で働いている。
「ギャンブル依存症にさせる側」の人間である。
しかし、別に悪い人間ではない。
「賭博場は、グレーな人間の受け皿」であるという考え方もできる。
普段の生活で虐げられていても、
ギャンブルで勝つことによってまた明日も生きていけるのかもしれない。
気分転換になるのかもしれない。
そう考えると、別に悪い事をしているわけではない。むしろ、プラスになる事をしている。
何が言いたいのかは、書いているうちにわからなくなってしまったが、、、、
勝負に勝つことだけが幸せではない。
自分なりの幸せを見つけられた人が、
本当の勝者なのかもしれない。。