08 夢むすび大明神ー大杉神社(稲敷市)
大杉神社とは
大杉神社は度々お参りしているのですが、本当に面白い神社です。
全国に670社ほどある大杉神社の総本宮。
主祭神は倭大物主櫛甕玉命、大己貴命、少彦名命。
ご眷属が、鼻高天狗と烏天狗で、鼻高天狗は「ねがい天狗」、烏天狗は「かない天狗」と役割が決まっていているそうです。
あんばさま、という呼び名と、天狗、茨城の東照宮とも呼ばれるきらびやかさが有名ですね。
トイレの豪華絢爛さと言ったら…!
あそこはもはや、聖域です。
私もご祈祷を受けたことはなかったのですが、悪縁切りの威力がすごいなぁと思っていて、お世話になったことがあります。
心の中で呪言(おまじない)を三度唱えて土器(かわらけ)を叩き割るのです。
しっかり縁を切ってくれますよ。
お朔日参りに行くはずが…
さて、昨日は11月1日。
月初めの日にお参りすることを、お朔日参り(おついたちまいり)というそうですが、私も1日にはなるべくどこかの神社に参拝しています。昨日は大杉神社の近くについでがあり、立ち寄ることができました。
神社に向かっている時点では、御祈祷を受けるつもりはありませんでした。
神社に着いたのが、12時23分ぐらい。
ふと、案内板を見上げてみると、「夢叶え三年祈祷」という文字が目に入りました。知ったのは最近で、いつか受けてみたいと思って一度調べたことがあります。
夢叶え三年祈祷
大杉神社は、「日本唯一の夢むすび大明神」と称しています。
数々の大企業の経営者の方が参拝に訪れているそうです。
詳しくはこちらをご覧ください。
自分への夢の誓いを、神様の前で宣言するというご祈祷だと言えます。
その、夢叶え三年祈祷は、正月、五月、九月の年3回ご祈祷を受ける、正五九参りをします。
年3回だから、9回通うということですね。
それだけ自分の夢と向き合えば、確固たるものになりそうです。
この3つのいずれかの月からスタートするのがベストだけど、必ずしもではなく、4ヶ月おきにすればいいのだとか。
この日は11月1日。
説明をよく読んだら、旧暦の9月は10/15〜11/14。
私がふと、案内板を見上げた日は、ちょうど旧暦9月のお参りのタイミングだったのです。
そして、ご祈祷の締め切り時間は30分前なのですが、その時点で33分前ぐらい。
3分しか迷えない!これはやるしかない…。
え、今日やるの?と自分に突っ込みつつ、その足で受付まで行き、申し込みしてしまいました。
ご祈祷の様子
拝殿の中には、向かって正面上と、右上に、鼻高天狗と烏天狗の大きなお顔が掲げてあります。
正面の天狗様たちは、本殿のガラス戸が開いていると見えるので知っていましたが、右側の天狗様は初めて見ました。
白い天狗様で、相当古いもののようです。
ギョロリと大きいですが、とても優しい目をされています。
正面の天狗様たちはまだ若そうで、
「本当にその夢、叶えたいのかー?ちゃんとやるんだろうなー!」
という勢いで見られている気がしました…ソワソワ。
☟その天狗様の写真はこちら
この時間は、希望者は私だけだったようで、贅沢ですが、宮司様と2人だけの拝殿で、祝詞をあげていただきました。
鈴祓いという、金色の金属と鈴でできたお祓い棒で頭上を祓っていただけます。
戸隠神社でのご祈祷の時も同じような鈴の祓い棒でした。これ、すごい威力なんですよ。
眷属が天狗様なので、勢いある強い感じのご祈祷かと思っていたら、とても柔らかいエネルギーの神様で、ふわふわと優しさに包まれるようなご祈祷でした。
終わった後、宮司様に「優しい目の天狗様ですね」とお話しさせていただくと、「いつも皆さんを見守ってくれているんですよ」というお言葉が返ってきました。
夢叶え祈祷の授与品
ご祈祷後にいただく授与品の中には、夢むすび絵馬が入っています。
「良かったらゆっくり書いていってください」と言っていただき、受付でペンをお借りして、そこで自分の夢と再び対峙するわけです。
私はようやく最近、将来こうありたいんだ、という姿が固まりつつあるところだったので、ちょうどこのご祈祷を受けられるタイミングだったのでしょう。
しっかりと書いて、宣言して、吊るしてきました。
こちらは初穂料五千円の授与品です。
神社の授与品は、いろいろ違いがあって面白いですよね。
大杉神社は方位除けや厄除けも有名なので、お札や授与品の中身もそういったものが多いです。切麻も入っています。
特に特徴的なのが、懸想文(けそうぶみ)。引き出しなどに願いが叶うまで入れておくそうです。
驚いたのが、御神酒が梅酒だったこと。
純米酒や純米吟醸酒以外の御神酒を初めて見ました。
しっかりいただきました。神崎の鍋店という酒蔵のもので、美味しかったですよ。
呼ばれる人
こちらのご祈祷を受けて思ったのは、よく「神社に呼ばれる」と言いますが、夢叶え祈祷も、それを受けられる状態にならないと、おそらく縁がないだろうということです。
だから受けられた私がすごいのか、というとそういうわけでもありません。
ただ一歩を踏み出しただけのこと。
なぜなら、神様への誓いは自分への宣言だからです。
何も神様に特別選ばれて、呼ばれたわけではないのです。
夢は強く強く持つことで、叶っていくもの。
興味をひかれた方はぜひ。印象深い1日になるはずです。