偽りのマザーテレサ。マザーテレサは聖人⁉️それとも⁉️真実の探求。。🥺💘
1
私がこんなことを書くと彼女を正に聖人と思っている方々から非難囂々ですね。ですが、マザーテレサは本当に聖人だったのでしょうか⁉️
生前からも彼女の死後も黒い噂が絶えません。
誰でも清廉潔白というより影の部分、二面性というものはあると思います。
まずは、みなさんもよくご存じのマザーテレサの簡単な経歴から~
マザーテレサことコルタカの聖テレサ
本名:アグネス・ゴンジャ・ボヤジュ
北マケドニアのスコピエという町に1910.8.26に生まれる。
比較的裕福な家庭の3人兄妹の末っ子として生まれ、彼女の父は実業家で地元の名士であった。
そして敬虔なカトリック教徒で信仰心に篤く、貧しき者への施しを積極的にしているような人物だった。
その両親を幼い頃から見て育ったアグネス自身もカトリックに深く傾倒していき12歳で修道女になる決心をしていた。
彼女が9歳の時に最愛の父が亡くなり、18歳の時に故郷を離れてアイルランドのロレト修道女会に入り洗礼を受け、修道名「テレサ」と名乗った。
生涯を神に捧げる終生誓願を宣言し宣言以降シスターと認められてシスターテレサと呼ばれました。
テレサの由来はカトリック教会の聖人であるフランスのリリジューの聖テレーズに由来しているそうです
シスターテレサはその後修道会のリーダー・指導者を表すマザーテレサと呼ばれるようになります。
彼女は19歳の時にインドに渡り、そこから18年間カルカッタにある聖マリア学院で1927-1947まで教鞭をとり、1944年にはその学校の校長に任命されています。そこでは、地理と歴史を教え、生徒たちにはたいそう人気があったそうです。
その後、彼女は『すべてを捨て、最も貧しい人の間で働くように』と神からの啓示を受け、全てを投げ捨てて自らスラム街に飛び込みました。
ですが、修道女である彼女は当初教会の上層部であるバチカンの修道会管轄庁の許可なく動くことはできず、中々その許可も下りませんでした。
啓示を受けて2年後にやっと当時の教皇ピウス2世からの修道院外居住の特別許可を得て、カルカッタのスラムで活動が許されました。
テレサは当初学校に行けないホームレスの子供たちに街頭で無償で授業を始めました。
その後かつての学院の教え子たちが集まりボランティアでテレサを手伝うようになり、やがて教会や地域の名士たちから寄付が寄せられるようになったのです。
そして、シスターテレサがマザーテレサと呼ばれるようになったきっかけはカトリック教会の修道女で修道会「神の愛の宣教者会」設立が契機になり、リーダー・指導者という意味のマザーがシスターに代わってマザーテレサと呼ばれるようになりました。
その後男子修道会「神の愛の宣教者修道士会」や「神の愛の宣教者信徒会」等、次々に設立されました。
AIDS患者のための家、ハンセン病患者の施設、炊き出し施設、児童養護施設、更には学校運営と幅広く活動の場が広がりました。
そんな1969年にアメリカのマルコム・マッグリッジが制作のドキュメンタリー映画🎥
『すばらしいことを神のために』
が公開されるや否や、テレサの活動はアメリカだけではなく全世界の人々に知らしめることになったのです。
その後はみなさんのご存知の通りです。
その後も彼女は様々な賞を貰い、1979年にはノーベル平和賞を受賞。
その時彼女がいただいた賞金19万2000ドル全てをカルカッタの貧しい人々に使われました。
授賞式では正装ではなくいつもの白のサリーにサンダル姿のまま。
そのスピーチでは「わたしには晩餐会は不要です」と述べ、その費用は貧しい人に使ってほしいと要望。
そのことが益々世界の人々に好感を抱かせました。
テレサは様々な運営する組織の総長となり、一度体調不良で辞退するもバチカンが許可せず生涯総長を継続しました。
そして1997年9月5日87歳でカルカッタにあるマザー・ハウスにて逝去。
彼女の葬儀は一般国民には珍しいインド政府により国葬で執り行われました。
死後19年経った2016年にカトリック教会の総本山であるバチカンの教皇庁にて、カトリックに属した人が聖人として認めるかどうかという列福が行われた結果、
様々な条件を満たしていると認められ、当時の教皇フランシスコによって聖人の称号を貰い
『コルタカの聖テレサ』となったのです。
2
前置きがかなり長くなりましたが、本題はここからです。
彼女は最も重要視した施設は貧困や病気で苦しむ人のための施設、最後を看取るためのホスピス施設である「死を待つ人の家」を1952年にカルカッタに設立。
この施設はインド政府の協力により譲り受けたヒンドゥ教の廃寺院をリニューアルしたもので、
そこにはマザーテレサの存在を知った患者たちが安らぎを求めてその家にたくさんの人々が訪れたのです。
彼女は確かに慈愛・慈悲に満ちていたのかもしれませんが単なる修道女。
その彼女の価値観は『貧困と苦痛は神の祝福』
彼女はガンで痛みで苦しんでいる患者にイエス・キリストの受難のように痛みに耐えることは尊いと繰り返し、鎮痛剤も与えることなく、痛みに耐えることを賛美して癒す。患者は癒えるどころかもがき苦しむ。それを楽しむかねように何の治療も医師も呼ばない彼女の仕打ちはまるでサイコパス。
マザーテレサは医師でもなければ医学的知識もなにもありません。
集められた多額の支援金や寄付は、患者や施設の改善や医療スタッフを雇うこともなく、その為になぜかお金は一切使われなかったという事実。
病める患者に使う注射器にしてもただのぬるま湯で洗浄するだけで殺菌されることもないまま使い回しされたり、給湯器もなく、患者を水で洗うなど、不衛生極まりない環境で、そこにいる病める患者たちは病気が治るどころかむしろ悪化し死に至るケースもかなり多かったようです。
また結核患者をも隔離することなく、他の患者と同じ場所において更に病気が蔓延する劣悪な環境で何の経験もないシスターたちの看護が行われていたのです。
むしろ、彼女が集めた資金はカトリック教の伝導活動をメインに使われ、
また悪名高い世界の独裁的指導者(ジャン・クロード・デゥヴァリエやエンベル・ホッシャ等々)等からも多額の寄付(汚いお金)を募り、
深く関わっていたという黒い噂を証明する証拠の写真などなど、真の慈悲はどこへやら🤷♀️
彼女は貧民街で生涯を送ったというが、布教と称してスラムにいることはほとんどなかったのです。
また彼女が活動を始めた当時のカトリック教会自体が弱体化していて、
マザーテレサの存在はカトリック教会、またバックにいるバチカン教皇庁にとっても起爆剤としての役割も多く、マザーテレサの存在を利用し多額の利益を得ていたのです。
ある調査では、マザーテレサがバチカンに毎年1億ドル~1億5000万ドル(50億~100億円)送金していたと言われています。
このことからも分かるように、マザーテレサとバチカンの密接な繋がりがよくわかります。
マザーテレサはまさに偽善者で、外面はいいですが実は真っ黒い人間であるということが分かります。
ただ、これは私の考えですが、マザーテレサとて一修道女。大きなバチカンという組織の中の1人間である以上、自分の意思を越えたところに巨大な組織があり、そこには逆らえないものもあったのではと擁護したい気持ちもないではないのです。
またマザーテレサはさまざまな事実を隠すために、ノーベル平和賞での彼女のスピーチでは
『私のための晩餐会は不要です。その費用は、どうか貧しい人々のためにお使いください。』
と述べたそうです。
これこそ、まさに完全な偽善以外のなにものでもありません。
ただ私としては、マザーテレサを責める前に神の住みか、神を称える宗教団体であるバチカンという組織に問題があるようにも思います。
また私感ですが、宗教と言う「教え」という言葉が付いたものには疑問を感じます。
教えとはあくまでも人間が考え出したものであり、教えは時を経たときには残らない。
ではなにが残るのか⁉️
それは真理です。真理は普遍であるからです。
どんなに時代が変わろうと真理は変わるものではない。
愛も真理。人も人を殺めてはいけない。例えば、戦争では合法的な殺戮、殺人が行われますがそこには正当性はないと思います。どんな時でも人が人を殺めるのは真理に反します。
ただ殺さなければ殺される。だから殺す。
時代と共に価値観は変わりますが、真理は普遍です。
話を戻しますが、
カトリックの総本山であるバチカンは資金集めの為に、マザーテレサをメディアキャンペーンとして彼女を全面に出し、バチカンのプロパガンダ、公報として大いに利用しました。その事でカトリックのimageupになりました❗
彼女のところには莫大な寄付や支援金が入りました。ですが自分のために使うことはありませんでした。
ですが、彼女の死後スイスにある彼女の預金口座には日本円にして48億円の大金があったそうです。
最も呆れる話は自分が運営する施設の改善にもほとんどその資金は使われることはなかったということ。
支援金の使用状況に関する内訳は一切公開されていませんし、支援金・寄付金自体汚いお金が多かったようです。
そのお金は一体どこに行ったのでしょうか⁉️
莫大な資金の会計報告すら一切なされず、ドイツとアメリカニューヨークの会計を預かるところには生前、日本円にして何十億のお金が振り込まれたそうです。
そのお金は結局バチカンへ。
話はまだまだつきません。孤児院の子供や赤子の人身売買の話もあり、出てくる話はダークサイトの話ばかり。
マザーテレサ、貴女は聖人だったのですか?
それとも宗教という名を借りた単なる偽善者?
貴女は様々な疑問を私たちに投げかけています。人々は貴女を聖人と崇め、一部は偽善を装う悪魔と。
いずれにせよ、問題提起をし、宗教のあり方を改めて私たちに知らしめたことは貴女の生前の行為は称賛に値いするのかもしれませんね。
。。🥺💘
追記。肝心なことを言い忘れていました。 痛みに苦しむ人には何の治療も施さず、痛みは祝福といいながら、自身の病気の時はわざわざアメリカまで出向き、最高の医療スタッフによる最高の治療を受けたことに対して貴女はどう感じたのでしょう⁉️
貴女が解いた神のご意志と思いとは相反するのではないでしょうか⁉️
口と行いが揃ってこそ、神の道にすすめるのではないでしょうか…🍃
以下総合的私の見解。。
上記では彼女がイエス・キリストの受難のように痛みに耐えることは尊いと繰り返し患者に言っていた彼女の独特な解釈の元での宗教観。
今私が思うことは彼女の意思で最新医療の治療を受けたというよりはバチカンの教皇の意思で受けさせられたのではないかと今はそのように解釈すると同時に想像する。
その手術(心臓のペースメーカー)を受けたことで彼女の中で葛藤が生まれ、最後は自分を責めくるしんだのではないかと思えてならない。
また彼女の最期は痛みに苦しみ、死ぬ瞬間歪んだ顔で口を痛みのために閉じること亡くなくなったそうだ。
国葬の際に開いたままの口では民衆に見せる訳にはいかず、顔を口が閉まるように包帯でぐるぐる巻きにされていたとのこと。
最後は壮絶な死を迎えた訳ですが、やはり神から大いなる指名を受けて生まれたのだと。
彼女の果たした役目はやはり後世の私たちに大きな課題を突きつけたのはたしかかもしれない。
あくまでも、これはわたくしの個人的な独断と偏見による見解ということをご理解くださいませ。
最後まで拙い文章を読んでくださり心から感謝申し上げます🙇。。🥺💘