ある記憶を辿って(詰まらない生い立ち話)。。。🥺💘
私はある雪深い田舎町の3人兄妹の末っ子として生まれた!
実家は小さいながらも飲食店を何件か経営し、いつも従業員が家を出入りしていて、なぜか慌ただしくてゆっくり寛ぐという雰囲気が我が家には全くなかった!
だから、父と母と家族が揃ってご飯を食べるということはほとんどなく、それが普通だと随分長い間思っていた!
私たち兄妹はいつも従業員と同じまかない料理を食べていた。
でも、なぜか兄だけは別格。
母は兄に対する愛情が半端なく深く、母にとっての兄は特別な存在。兄の為には必ず手料理が一品加えられていた(差別😅💢)
兄はもちろん団塊の世代!
その当時の日本の流行語に巨人・大鵬・卵焼きという言葉があったが、兄はもれなく無類の卵焼き好きだった‼️
母は兄に対して私や姉とは違う扱いをしたがなぜか不満に思うこともなく、長男なんだから当たり前と思っていた!
それともただの鈍感だったのだろうか⁉️🤔🙄
その昔は旅館も営んでいたこともあり、女中さんや調理場のまかないのおばちゃんもいてて食事は結構種類も多く私的には美味しかったのだが好き嫌いが激しかった私は常に栄養のバランスが悪く、ほとんどの指がささくれが出来ていつも血を流していた😢
嫌いな食べ物、豚肉、ニンジン、ジャガイモ、玉葱、セロリ、鶏肉まだまだあった!
だから、カレーの時は具なしの汁だけのカレー🍛だった。
小学生の時に担任の先生が厳しくて、給食を全部食べるまで席を立たせてもらえず、結局、昼休みの時間は居残り組で無理やり食べ物を飲み込まされた😭
今の時代ならパワハラになるかもしれないが当時は誰もそのことに文句をいうものなどいなかった。
兄と姉は2つ違いでよく話が合ったようで二人はとても仲が良かった。
私だけ二人とは少しだけ歳が離れていたので二人には全く相手にされず、一人遊びばかりしていたような記憶がある!
父も私が末っ子だった為、姉の子(わたしの甥っ子)が生まれる20歳過ぎまで私は父に『ちび』という愛称で呼ばれていた!
学校から帰っても、母は店に出ていたし、夜も遅かったので私が学校に行く時、母はまだ寝ていて、その代わりまかないのおばちゃん(お手伝いさん)が私や兄妹の面倒をみてくれた!
冬の寒い夜には豆炭アンカを布団に忍ばせてくれていて、その仄かな暖かさに癒されて知らぬ間に眠りついていた!
私が小学校に入ってから高校を卒業するまで誰よりもそのまかないのおばちゃんに懐き、もう既におばちゃんはおばぁさんの年齢だったのに母のように私は慕った!
学校での出来事や友達のこと、そして好きな男の子のことまでなんでも話した!
おばちゃんは頷くだけだったけど、それでも私は自分を唯一理解してくれるおばちゃんが大好きだった!
私が中3の頃になると、もうとっくに70を越えていたおばちゃんはもう仕事は無理と引退しやめた!
近くにアパートを借りていたので私はその後も夕食後きまっておばちゃんちに遊びにいった!
おばちゃんも私が来るのをとても楽しみにしてくれていて、夏はわたしの大好きな素麺を用意してくれたり色々してくれた!
両親は私が余りにおばちゃんに懐くものだから、辞めてからも勤めていた時と同様におばちゃんを援助してくれた!
そのおばちゃんは明治生まれの元軍人さんの妻で子供もなく関東大震災も体験していて、その時の様々な経験を聞かせてくれた!
私の幼少期はそのおばちゃんのお影で母の愛情がなくても素直に真っ直ぐ育つことが出来たと思う⁉️たぶん🙄?
ただ、私が高校を卒業して大学進学の為に上京することになり、それがおばちゃんとの永遠の別れになった!
おばちゃんは私がいなくなったせいで中風、今で言う脳卒中で倒れ、暫く普通の病院に入院していたが、身寄りがなかったのでその後特別養護老人施設に移った!
その場所はかなり僻地にあり、私は一度だけ父と母と一緒にその施設におばちゃんを見舞った。
おばちゃんは寝たきりになっていて、私はおばちゃんに「おばちゃん、私だよ。覚えてる!」
すると、『忘いね!』と訛り言葉で一言言った!
私は涙が止まらなかった😭
ベッドの上にはその地域の小学生が書いたと思われるおばちゃんの絵が飾ってあった!
ちっとも似てなかったけど、回りを見渡すとどのベッドの枕の上の方にそれぞれの絵が飾ってあった!
ある寒い猛吹雪の時に家の風呂が壊れたからと、二人で肩を寄せあって震えながら歩いた雪道の思い出。
それからおばちゃんの一間の狭いアパートの自室の小さな窓から覗く隣の錆びたトタン屋根の映像など、様々な二人だけの秘密の情景や思い出がまるで走馬灯のように私の頭の中をぐるぐる回り出した!
それから私が嫁いでから少ししておばちゃんが亡くなったと聞いたが私は関西。中々行ける距離ではなく未だにお墓参りもしていない。
実はどこに埋葬されたのかもお墓の場所も当時のスタッフもいなくなり分からないのである。
探して貰ったが結局分からずじまいだった😢
私はいつも思い出す。おばちゃんと過ごした日々がどんなに私にとって大切で貴重な時間だったか⁉️
いつも離れていても心は一つ。肉体は滅びても魂が滅びることはない。おばちゃんはいつも私の心の中にあり、思うだけで胸が温かくなって涙が出そうになる。
おばちゃん、最後はおばちゃんを粗末にすることになってごめんなさい。
わたしももう60をかなり過ぎていつかおばちゃんの元に行きますがその時は迎えにきてね!
もう少しこの世にはいないといけないみたいだから、その時まで待っててね。。。🥺💘
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