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辛口のお酒をください

「辛口のお酒下さい」お客さんがそう答えると、店主は、声にならない音で「ケッ」と言い、カウンターの隅の方で吞んでいた常連と思われる人たちは、やれやれと言う顔をしていた。

例えば、焼き鳥が食べたくて、ふらっと入ったお店で、「どんなタイプのお酒が良いですか?」と聞かれたとき、拘りの日本酒を取りそろえたと、自信満々な店主に、なんと答えればいいのだろう?

◆ ◆ ◆

最近、濃いお酒、甘いお酒を吞むのが、しんどい。

広島から神奈川に戻った頃から、家にある旨口、甘口と言われる地域のお酒が多い我が家のストックでは、季節的な要因も重なって「どれもこれも食事に合わない」って思う事はあった。

けれど、今は口に含むだけで、あれだけ好きだった生酒、特に無濾過生原酒の、濃さや甘さ、香りがしんどい。

そんな私が、「どんなタイプが良いですか?」なんて聞かれたら、
「辛口のタイプ、なんかあります?」って答えちゃいそうだ。
しかし、最近は「脱辛口のお酒下さい」が推奨されているよう。

「そもそも、お米と水で、糖化とアルコール発酵を同時に行う(並行複発酵)日本酒に、辛いお酒なんて、無ぇんだよ」


「あんたらが言う、辛いのって、アルコールの揮発性、スースーする感覚。辛み成分を入れてるわけじゃないから、辛いお酒なんて無いの」
という人たちもいる。

「だからね、辛口のお酒を下さいって言われちゃうと、もう、それだけで選択肢が狭まっちゃうわけだよ」

本当にそうなのかな?辛いお酒って存在しないのかな?
そもそも、辛味というのは、刺激であって、基本五味には含まれていない。

因みに、日本酒の甘さを表す基準として、日本酒度っていうのがある。

水に糖度が加わると重くなる。
その性質を利用して、水温4℃の水の重さを基準にした日本酒度計というものを、水温15℃のお酒の中に浮かべて測るのだけれど、糖分が多いお酒の中では、日本酒度計は浮いてマイナスを、逆に糖分が少なければ、日本酒度計が沈んでプラスを指す。

だから、プラスを示すと辛口、マイナスだと甘口って言われるけれど、元々は、お酒の糖分を表すもの。

「だから、日本酒の辛口ってぇのは、甘くないお酒っていう意味だよ」

というのは、なるほど…とも思うし、実際には、人の味覚はもっと繊細で、お酒が持つ味わいも、甘みだけじゃないので、日本酒度があくまでも目安の一つというのもわかる。

けれど、それは、糖分の量だけで、人が感じる甘さが決るという訳でもないという話なのだと思う。

例えば、甘みが酸味といっしょになることで、実際の糖度より軽やかさを生み出したり、苦味と一緒になることで、奥深さやコクを出すこともあれば、バランス次第では、より強調したり、隠したり。
もっと言えば、酸味の質などでも感じ方が違ったりするんだろうけれど、そんな風に、いろんな味わいが、絡み合うことで、人に与える印象は変わるのだと思う。

だとすれば、
甘みを感じにくいお酒の場合、酸味や苦味を強く感じたり、刺激が辛味というのなら、アルコール由来の刺激を強く感じることを、辛味と表現するのは、間違っていないんじゃないか…と思う。

それに、実際に呑んで「辛い」という感覚を感じることがあるのなら、辛いお酒は存在しない…てことにならないんじゃないのかな?

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常山 純米超辛 直汲生。
日本酒度 +10。ほのかに甘い香り。辛さは感じるけれど、尖っておらず、背景に酸味があるのか、やや強めな心地よい苦みがあり、スッキリと清々しさを感じるお酒。

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華鳩 大古酒累醸貴醸酒オーク樽貯蔵
日本酒度-60度。我が家に今ある日本酒で、一番日本酒度のマイナスの数値が大きいお酒。貴醸酒は、水の代わりに日本酒でお酒を造ったもので、華鳩の貴醸酒は-40度を超えるものが結構あるけれど、酸味も感じるので、数値から受けるイメージ程は甘く感じない。

◆ ◆ ◆

「辛口のお酒をください」って言われると、相手が何を求めているのか、わからない

ことがあるらしい。
 
仮に私が「辛口のお酒を下さい」と言うとしたら、「甘くて、濃くて、香りの強いお酒を吞むのが嫌だ」っていう時だと思う。

そうじゃなくて、お酒に刺激を求める人もいるだろうし、求めるものはいろいろ。だから、適切じゃないっていうのもわからなくはない。

「フルーティーな」「ドライな」「しっかりとした」とか、他の情報がある方が伝わりやすいと言われたら、その通りだと思う。
けれど、本当にそれを言ったら、伝わるの?

「辛口のお酒をください」って言葉を聞いて、時々、音楽とか、絵画とか、芸術に似ているなぁ

って思う。

私が飲みたいお酒って、多分、辛口かどうか以上に「今の自分が美味しいと思うお酒」だと思う。
それを、表現しようとして、出てきたのが「辛口のお酒を下さい」という言葉なんだろうなって。
そもそも、味の表現って、結構難しいと思うんだけれど。
 
例えば、動物園で、キリンを描こうとする。

この時、『キリンは、首が長くて、角が5本ある』ってわかっていても、それを上手に描ける絵心がなければ、キリンって見えない。

かといって、逆に、絵心があっても、キリンってどんな動物か思い出せなかったら、やっぱり描けないし、見る人がキリンを知らなかったら、キリンがいくら上手に描けても、そもそも、その動物が何か、当てることはできないと思う。

つまり、伝えたい人に、表現力がなければ、伝わりにくいかもしれないけれど、同時に、それを受け取る側の感性や、能力も必要という事。

「甘いの」「フルーティーなお酒」と言ったところで、提供する側が、相手を望んでいるお酒を、理解できる能力があるかはまた別の話で、もし伝わらないとしたら、表現する側だけの責任じゃないって思う。

そもそも、人の味覚って人それぞれ。

無濾過生原酒や、濃くて甘いお酒が好きな人には、淡麗辛口は美味しく感じないかもしれないし、繊細な味わいが好きな人には、無濾過生原酒は濃すぎるかもしれない。

ストライクゾーンが広い人や、想像力がある人なら、こちらの要望も伝わりやすいかな?と思う。
でも、自分が美味しいと思うお酒が、スタンダードと思う人も少なくないんじゃないかな?
相手がそんな人だったら、どういう表現なら、伝わるっていうんだろう?

でも、「辛口のお酒を下さい」というお客さんに、一方的に求め通づけるだけだとしたら、それは違う気がする

お店に、お客さんが望むようなお酒がないのか、お客さんの好みを読み取る力がないのかはわからないけれど…

もし、適当なものが見つからないなら見つからないで、一緒にその人が求める美味しさを探したり、リクエストとは違うかもしれないけれど、新しい提案してくれる人がサーブしてくれたら、どんなに素敵だろうと思う。

それが、日本酒を提供する側の表現。

日本酒を注文する人が、私たちみたいな、毎晩日本酒を吞んでいるようなファンとは限らない。

私だったら、「どんなタイプが良いですか?」と聞かれたときに、

「辛口を下さいって言ったら、嫌がられるらしいよ」
「もっと、フルーティーな辛口とか、軽いタイプの辛口とか言わなくちゃいけないんだよ」

って、気を使う事を求められたら、日本酒って面倒くさいなぁ…って思うだろうな…。

それが嫌で、「どんなお酒があるの?」って聞くようにしているんだけれど、それはそれで面倒くさがられたり。

でも、日本酒って本来、そんな面倒なお酒でもないし、多種多様で複雑だから、いろんな人を受け止めることができる、八百万の神様がいる国らしいお酒だと、私は思う。

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