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アルバイトと変わらない仕事をいかに面白がるか-"こういうもんだ"を疑う視点の話
自分は北海道の某ドラッグストアチェーンで、店舗運営業務についている24歳である。カッコつけたが、要するに総合職正社員として"ドラッグストアの店員さん"をやっている。
店舗でパートさん達と自分の出身や経歴の話になったことがある。ざっくり述べると自分は北海道の田舎町から青森の文系国立4大に進み、卒業後1年青森の山奥でラーメン屋店主として350日くらい営業(一応経営)してきた。
パートさんからは、「こんなとこじゃなくて、もっといい会社いけたんじゃない?笑」と言われる。確かに同期を眺めるといわゆる学歴としては自分は高い方と言えると思う。(学歴が高いことと、仕事ができることは同義でないのが申し訳ないが……)
もっといいところへ、を考えると転職ということになる。小売業は離職率が高い業界である。ドラッグストア業界の3年後離職率は20-30%とされており、自身の実感とも一致する。少なくなったなぁ……。そんな同期のひとりからこんな話を聞いた。
入社する前も、この会社でアルバイトしていたんだけれど、そろそろ2年になるのにやっている仕事のほとんどはアルバイトの頃とおんまり変わんないんだよね。
同期の表情には「やりがいの低さへの落胆」や、「将来に対する現状への焦り」が滲んでいた。現在の自分視点だと、"店員さん"の仕事を次のように感じている。
昨日と同じ今日をつくること
今日と同じ明日をつくること
店は"テセウスの船"である。お客さんからは昨日と同じように見えて、中身は常に移ろい続けている。
納品された商品を展開場所ごとに"仕分け"、開店前までに通路を空けるために全力で"品出し"をする。売れて凹んだ棚に、新しい商品を"補充"しつつ、補充するまでもない棚も商品を"前出し"して綺麗な状態を保つ。
食品を扱っているから、商品の賞味期限には徹底された管理が求められる。品出しのときも、補充のときも、賞味期限の近いものは手前に、新しく入れる商品は後ろにする。"先入先出"である。
こうして、昨日と同じ今日の店をつくり、明日が今日と同じ店になるように準備していく。
お客さんから求められる、購買環境としての快適さ(欲しいものがあること/店舗の清潔さなど)は、商品が陳列された店舗ができた時点でほぼ完成しており、あとは維持する努力をするだけなのだ。
季節に合わせた"棚替"なども予定された変化である。「冬になったら風邪薬を展開する」のは変化ではなく、「ドラッグストアとは冬になったら風邪薬を展開するものだ」と先に規定されている。むしろ「冬なのに風邪薬を展開していないなんて、ここは本当にドラッグストアか……?」とお客さんを不安にさせてしまうと、不快を覚えたお客さんから離れていってしまう。
1年前と全く同じ商品なんてない。それでもお客様からは"同じ店だ"と思われることが大切な仕事なのだ。きっとね。
日々変化しようとする店を押さえつけて、昨日と同じ状況を強制することがぼくの仕事だ。本部が計画/予定した変化以外が起こらないようにする。突発的な変化を未然に潰す仕事だ。
カッコつけてストアオペレーションだ、ストアコンディションだ、マネジメントだとか横文字を使ってもやることはほぼ変わらない。
書いていて変化を潰すなんてとても後ろ向きな仕事に就いている気がしてきた。ラーメン屋は最高に不安定で楽しい毎日だった。現職は生活の安定と働きやすさは最高だが、変わらないことを強要するために、自分も変わらないことが求められているとも感じる。不自由さがある。
この"不自由さ"はきっと離職率の高さにも影響していると思う。(分かりやすい要因は、肉体労働のしんどさと、低収入だと推察するが)特に若手社員は生活やキャリアがより良く変わっていくことを希望している。
しかし、折角やるなら愉快にやりたい。仕事の面白さを味わいたい。では、「アルバイトと変わらない仕事」を面白がるにはどのようにできるだろうか。そして、もし辞めたがっているあいつがこの話を聞いたなら、面白がってくれるだろうか。
まず、自分はこの仕事が嫌いじゃない。性格/能力的に向いてはいないとは感じている。圧倒的に"現場"で、同じようにしたいのに、毎日訳のわからないことが起こる。
そんな日々を面白がるには"店員さんではない視点"が必要なのではないかと考えている。
"品出し"を例に考えてみる。五体満足であれば誰でもできる作業と思われがちな品出しである。最近はその日来たスポットワーカーさんにお願いすることもある。そのくらい単純な作業だ。しかし、分解するとなかなか難しい作業なのだ。
商品の入った段ボールを持ち上げる
段ボールを持ち展開場所まで移動する
ガムテープの端がある方の段ボールの側面を押し、ガムテープと段ボールの間に隙間をつくりガムテープを剥がす。(この際、テープを剥がし切らないことでテープゴミが散乱することを防ぐ)
展開場所が合っているか、商品と値札のJANコードを確認する
段ボールに入っている商品点数から考えて、どのくらいの量が陳列できるか推測する
a.全量陳列できる場合→6
b.5割は陳列できる場合→最上段に在庫が置けるか確認する→6
c.3割は陳列できる場合→人気商品でない場合、バックヤードに下げるまたは、最上段に在庫として置く(4cの場合ここで完了)新しい商品をすでに陳列されている商品の後ろに陳列する(4aの場合ここで完了)
余った商品を最上段へ在庫として陳列する(4bの場合ここで完了)
多くの人はここまで言葉にしなくても、できるようになる作業である。しかし、"できる"人は多くとも、人によって精度(スピード/陳列の綺麗さ/品出し後の売場のきれいさ)が変わってくる。勤務年数が自分より長いひとでも、自分より遅いひともいるし、逆もまた然りである。
なぜ、こんな違いが生まれるのだろうか?
と、思えることが面白さのきっかけになる。しかし、この視点は「目の前の納品を捌き切る」ことを達成するには不要な視点である。だって、そんなことを考えるくらいなら、目の前の商品を無心で品出しした方が店員さんとしては適切だろう?
少しメタっぽいというか、抽象的というか、そもそも論というか……。つべこべ言わずやれ、と言われる仕事に躓いているから、そんな屁理屈を思いついてしまうのかもしれない。
侮れない視点だと思う。「これは、こういうものだから」と決められていることを、疑うこと。社会学的な視点と言い換えられるだろうか。
当たり前を、やらされる時、自分は急激に作業への集中度/没頭さが低くなる。それができるやつが店舗運営業務に向いていると思う。しかし、できないならできないなりに集中するための方法を考えるしかない。
だから、「仕事ではなく、参与観察している」気分になればよいのだと思いついた。現場に入り込み、つぶさにメモをとり、気になったことは写真に残し、その場で話を聞く。帰ってからフィールドノーツにまとめて、「なんでこうなんだ?」という疑問を蓄積させていく。たまにノーツを見返して、ちょっと調べて、レポートを書く。これが楽しい。
仕事が楽しくない、ならどうするか。
自分がどんなとき楽しんでいるかの傾向を把握する
現状の仕事で、楽しんでいるとき、と似た状況をつくりだせないか考える
自分の場合、「これは自分の心持ちひとつで楽しめる」と気づけたこと、そしてきっとこのレポートは大きく捉えると会社のためになっていると思える。
あれ、何を書いてきたんだったか。
まぁいいや、とりあえず仕事を楽しめるかどうかは、自分の傾向を知ることによるのだろう。就活のときにはみんなが自己分析をする。「私はどんな人か」を説明するために、過去を担保にする。でも、過去は過去で、今の自分はそのときの自分じゃない、エッセンスはあったとしても。
楽しみ方を知っても、状況が改善する訳じゃない。もしかすると、これは逃げや守りの戦術なのかもしれない。ただ、自分の置かれた状況への不満だけで辞めるには、現場は魅力的すぎる。向いていなくとも、キャリアのためでも、現場にいたいひとのために、"店員さん"以外の視点から仕事を見てみることをおすすめしたい。