きれいだなあって、ただ眺めている
愛情を渡してもらったと感じた時、ただ受け取ればいいのにそれが難しい。ただ伝えてくれるものに、安心する。いつも明らかで健全な愛が好きだ。でも、隠れたところで受け取る愛も、どうしても必要だと感じる。
大きな愛を感じるとつい逃げ出してしまいたくなるけれど、そういう愛に触れた時、どうしようもなく涙が出てしまうのは、きっと、心が求めているからだ。愛に包まれるのは気持ちよくてとても怖い。
わたしが愛を受け取るには、わたしであることを見せるしかない。ただ愛されるということがなんなのか、まだこれから打ち出していかなければならないことだ。愛されることが、わたしにとって、愛するということだ。それを、示していく。
わたしの大事なひとが、わたしを想ってくれるものたちと会話して、伝えてくれる、大事な絵です。(ひと、と言うのにはとても違和感があるけれど)
「いるよ」って伝えてくれる。見えなくても、見える。会えなくても会える。たしかに触れている。わたしはこの、見える目を信じている。わたし自身の、感じる身体を信じている。
信じていていいのだと、教えてくれる気持ちを、信じていたい。
重ねた時間がある。わたしたちの間にあるのは「現象」だと思う。
どこかに、わたしたちのつながりを感じてもらえたらいいと思う。届くまで伝える。きっと伝えてゆくよ。わたしたちには炎がある。
ただきれいだなあって眺めてもらえるものでいい。
だけど、その火に感化されるものがあったら嬉しい。守りたいと思ってもらえたら、それもきっと嬉しい。もっと大きくしてもらえたらきっと嬉しい。
触れたいと思って欲しいんだよ。だけど、きっとそのままじゃ触れないこともある。どうやったら触れ合わせられるか、いっしょに考えよう。傷つけ合うことがあっても。諦めずに考えよう。
わたしたちには愛があるから、きっとこの火を、伝えていくよ。
いっしょに生きてゆきたい。