テクノロジーと向き合う法務の仕事術
【この記事は法務系 Advent Calendar 2022 (表)における7日目のエントリーです。たっしーさんにバトンをつないで頂きました。】
はじめに
昨年の法務系Adventから投稿と本稿の間に何も書けていないことに愕然としつつ、今年は何を書こうかと思案していた2022年11月後半、私の大学(工学部時代)の恩師の一人の訃報が飛び込んで来ました。
班目春樹 東京大学名誉教授。
2011年の東日本大震災に伴う福島第一原子力発電所事故により、当時の内閣府原子力安全委員会(現・原子力規制委員会)の委員長として世間に知られることとなった工学者です。
班目先生の勤められた東京大学工学部では、具体の始期は定かではないけれど、遅くとも私が在学していた2000年代初期から現在に至るまで「社会のための技術」という科目が開講されています。この科目は、全学科共通で履修が推奨される、いわゆる「技術者倫理」のプログラムとなっています。
そして、私の在学時(2005年)に「社会のための技術」を担当されていたのが班目先生でした。当時、班目先生の専門は原子力工学であり、科学技術の倫理の研究者ではありませんでした。
しかし、教え子が1999年のJOC臨界事故で刑事責任を問われるに至ったことに大きなショックを受け、このプログラムが開講されるに至ったと話されていたことは今でもよく覚えています。
その後、平時からの原子力安全に対する責任感から原子力安全委員会の委員長の委嘱を受けた班目先生が、福島第一の事故にどのような気持ちで取り組まれ、その後に何を考えられたのかについては一冊の本にまとまっています。
班目先生は、私が弁護士を志す契機となった3人の恩師のお一人であり、また、福島第一の除染は、弁護士一年目として担当した最初の案件になりました。
今年は、班目先生を偲びながら、企業法務を担う立場から最新のテクノロジーにかかる法律問題へどのように取り組んでいくか、特に新人の法務担当者の方向けに書いてみようと思います(散文的ですが……)。
行政規制の検討
法務担当者が新しいテクノロジーを活用した事業の適法性を検討しなければいけないときに、どの辺りから調査を始めるかについては、いくつかのアプローチあります。
事業に着目したリサーチ
最初に検討することが多いのは、当該事業自体を規律する法規制、いわゆる「業法」の存否です。事業自体がすでに世の中に存在する事業である場合には、その事業を直接に規律する法令がないかを調査することになります。
業法の構成は、事業者を規律する部分と事業者以外のすべての者を規律するルールのセットである場合が一般的です。
例えば、医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律(いわゆる、医薬品医療機器等法/薬機法)は、第三章から第七章までが医薬品の製造販売業等の事業者ごとの規律を定めている一方で、第十章(医薬品等の広告)の規律は「何人」が主語となっており、所定の事業者でなくてもその規律を受けることになります。
法務担当者としては、まず、新事業が法所定の事業に分類されるのか、所定の事業には当たらないけれど、一般に広く適用される規律(多くの場合は法所定の事業者以外には許されない行為に対する規律)を受けるのかを確認することになります。
要素に着目したリサーチ
一方で、事業自体を規律する法律が存在しなくても、事業に利用する要素を規律する法律が存在する場合も多くあり、このようなリサーチは初心者では見落としがちです。
例えば、Apple社のAirTagに代表されるクラウドGPS(端末自体は測位機能を持っておらず、すれ違った測位機能を有する他の端末を利用して位置情報を活用する仕組み)のような事業については、それ自体を規律する法律は存在しません。
しかし、端末であるタグ自体は、ワイヤレスマウスやワイヤレスヘッドホンでなじみのある2.4GHz帯の近距離無線通信規格"Bluetooth"を利用しており、このような要素技術としての「電波」を規律する法律として、電波法が存在しています。
電波法は、無線局に対する規律という意味で業法としての性質も有してはいますが、無線通信の事業を営むわけではないと思っていると見落としがちな法律になります。
このような要素技術に着目した法律の適用に気づくためには、事業に利用される技術自体を、ある程度までは法務担当者も把握する必要があります。
特に、新事業の新規性を基礎づける部分に利用されている要素技術は、最低限、法務担当者においても把握をしてリサーチをするクセを付けておくとよいと思います。
要素技術を規律する法律の種類としては、電波法のような「方法」を規律するパターンのほかに、使用する化学物質等の「有体物」を規律するパターンもあります。
わかりにくい例では、ガソリンスタンドでのアルバイトに必須の資格「乙四」に代表される危険物取扱者資格は、消防法の下にアタッチされている危険物の規制に関する政令で規律されているなど、法令名からは規律内容が想起しづらい例もたくさんあります。
なお、Google検索などの通常の検索サービスを活用する場合は別として、行政機関のウェブサイト上で検索するときは、検索ワードにする要素技術の名称が登録商標でないかどうかに注意してください。
政府機関では、製品安全の注意喚起などの例外的な場合を除き、一般に認知されている名称であってもそれが登録商標である場合は、政省令や通知・通達などでは使用せず、あくまで普通名称を使用します。
例えば、焦げ付きにくいフライパンの表面加工で有名な「テフロン」は登録商標であり、普通名称は「フッ素樹脂」です。行政規制のウェブサイト上に「テフロン」の表示がないこと例を挙げておきます。これを読んで、テフロンのことだと分かるには一定に知識が必要です。
リスクに曝露される者への対応
行政規制の適用の有無にかかわらず、新しいテクノロジーは、既知の、あるいは未知の被害を関係者に与えるリスクがあることがあります。
このリスクは、医薬品の候補にかかる治験における健康被害補償制度や自動車損害賠償責任保険制度のように、構造的に被害の発生が予想されるために制度であらかじめリスクへの対応策が定められているものもありますが、そうでない場合は、リスクに曝露される者への対応を検討する必要があります。
インフォームド・コンセント(同意)は万能か?
未知のテクノロジーにかかるリスクに曝露される者に対する賠償責任を免れる一番簡単な法技術は、対象者へのリスク転嫁、つまり免責同意です。
しかし、情報の非対称性がある状況下で、対象者が十分にリスク評価をした上でリスクの引受を行ったとは評価できない事情があるのであれば、そのような同意は真摯な同意とはいえず、同意の存在が否定されることがあるのは多くの法務担当者が理解しています。
そのため、同意は十分な情報が提供されたもの(informed consent)でなければならないというのが、医療分野をはじめとした一般的な考え方でした。
しかし、昨今は、データ保護を巡る同意偏重への懸念が識者から示されているとおり、仮に十分な情報が本人へ与えられていたとしても、当事者間での合意により自由に処分し得ない人格的利益の保護が優先し、同意とは別の根拠が必要とされる段階に入っています。
そもそも、これが消費者契約や製造物責任の範囲であれば、免責規定の効果は相当に減殺され、あるいは全体が完全に無効化される性質のものもあります。
法務担当者として、回避も受容も出来ず、転嫁しかオプションがなく、どうしても免責規定以外に管理できないリスクが残存するとすれば、それはまさに技術的に「未知の部分」に限ってのみ、そのような免責が有効とされ得ることに注意が必要です。
例えば、製造物責任法のおける欠陥は「当該製造物の特性、その通常予見される使用形態、その製造業者等が当該製造物を引き渡した時期その他の当該製造物に係る事情を考慮して、当該製造物が通常有すべき安全性を欠いていること」と定義されていますが、通常予見し得ない部分まで対象者に転嫁するリスクを減縮しないといけないことは自明でしょう。
つまり、安易に新しいテクノロジーであるから生ずる結果は全部免責とするのではなく、既知の要素と未知の要素の切り分けをしっかりした上で、未知の要素に起因する損害に限って、免責ないし責任制限の規定を設けることが重要となります。
これは、社外の消費者等との契約のみならず、リスクに曝露される労働者との関係でも重要ですが、労働安全衛生の観点では「未知」で免責されるわけではありません。
特に、労働安全衛生法第28条の2において「事業者は……建設物、設備、原材料、ガス、蒸気、粉じん等による、又は作業行動その他業務に起因する危険性又は有害性等を調査し、その結果に基づいて、この法律又はこれに基づく命令の規定による措置を講ずるほか、労働者の危険又は健康障害を防止するため必要な措置を講ずる」ことが求められている点には注意が必要です。
べき論と適正手続
新しいテクノロジーは「倫理」の問題を提起することがあります。
コンプライアンスが単なる法令遵守にとどまらないことは周知の事実ですが、いわゆる「倫理」の問題を、法務やコンプライアンスの担当部門がどこまで取り扱うべきか、あるいは取り扱うことができるかは大きな問題です。
ここから先は私論であり、賛否があるところかなと思います。
コンプライアンス部門は「べき論」を展開すべきではない
コンプライアンス部門の場合、その役割は、予め定められた法令を含む行為規範からの逸脱がないか、規範に事実のあてはめを行って対応を実施していくことにあります。
一方で、倫理は、立法趣旨同様に価値判断を前提とし、特に倫理が問題となる場合には、多くのケースで何かしらの価値の比較衡量を伴う一方で、多くの倫理問題は、それ自体が単なる「べき論」、言い方を選ばずに言えば「お気持ち」にとどまっており準則化はされていません。
このように準則化されていない「べき論」は、法務・コンプライアンス部門が依って立つべき規範たり得ません。
特に強い意志を持って法令違憲を主張する場合を除き、立法手続が権威性を保障している法律と異なり、世間にはびこる多くのもっともらしい「倫理」の多くが準則化されないまま、なんとなくその「べき論」がゆるやかに行為規範としてコンプライアンス部門を縛りつつあるという状況というのは由々しき状況だと思います。
それは、準則化されない「べき論」は、運用担当者の恣意に委ねざるを得ないからです。
では、法務・コンプライアンス部門が「倫理」と無縁でいられるかと言えば、世間はそれを許さない状況に来ています。
現在の倫理問題は5年後の法律問題ともいえる状況下では、何かしたらの対応をしなければ「炎上」するかもしれませんし、社内を見渡してみて、法務・コンプライアンス部門以外に引き取り手がいないという会社も多いと思います(稀にIR部門というケースもありますが)。
倫理を準則化するための適正手続
多くの倫理問題について、単なる「べき論」にとどまらないようにしっかりと準則化する上で参考になるケースとして、ヒト臨床研究における「治験審査委員会」(IRB: Institiutional Review Board)があります。
IRBは、医薬品候補の治験等のヒト臨床研究において、研究の安全性や妥当性の他にその倫理性を審査する有識者の会議体です。
多くの場合、IRBの手続は明文化されており、法律上では答えのない倫理上の問題への回答の権威性を、有識者の会議体における議論という適正手続によって担保するアプローチであり、それ自体は特に目新しくはありません。
どのような倫理観を採用して準則化するにせよ、なぜその倫理観を採用したのかは、一定の傾向を有する特殊な企業体でない限りは、上場企業であればなおさら、一定の説明責任が伴います。
法務・コンプライアンス部門で新しいテクノロジーの倫理問題を扱う場合は、どのような倫理問題があるかを把握することだけではなく、採用する倫理観をどのような手続で「準則化」するのかに注意する必要がありそうです。
社会的に広く受容されている価値観の準則化であれば、経営判断だけで足りるかもしれませんが、新しいテクノロジーの採用などの議論を呼びうる倫理については、準則化するための適正手続を意識したいところです。
テクノロジーとガバナンスの責任
行政規制の把握、契約上のリスク転嫁、技術倫理の準則化のいずれもうまく出来たとして、それでJOC臨界事故や福島第一の事故が防止でき、あるいは被害拡大を防ぐことが出来たかというと、そうでなはなかっただろうことは想像に難くありません。
結局、最終的なリスク管理の判断は経営者に委ねざるを得ないからです。
私自身、もうすぐリスクマネジメント全般の責任を負う役員となって2年目が終わろうとしていますが、テクノロジーに対するリスクマネジメントは前提知識の共有も含め、複数部門間の連携が必須であることの難しさを常に感じています。
テクノロジーであっても、経営判断の原則が適用されることに変わりはありませんが、班目先生のことを思い出しながら、経営判断の原則で有責でなければそれでいいかと問われると言い返す言葉がないなと……というのは、解決の糸口がない永遠の悩みのようにも思います。
【この記事は法務系 Advent Calendar 2022 (表)における7日目のエントリーでした。次は、tkuさんにバトンをつなぎます!】